俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

可能性

2013-04-23 11:07:25 | Weblog
 テレビを見ていたら学者が「可能性が高くなったと考えられる」と発言していた。新聞を読んでいたら「可能性は否定できない」と書かれていた。これらの言葉に意味はあるのだろうか。
 例えば三宅島で地震が起こったら東京直下型地震の「可能性が高くなったと考えられる」し、明日東京に隕石が落ちることだって「可能性は否定できない。」どうも可能性という言葉が安易に・無責任に使われ過ぎているようだ。
 かつて天気予報で「晴れ時々曇、所により雨」という予報があり、こんな余りにも文学的で無内容で曖昧な表現は否定されて現在の降水確率予報になった。同じように、こんな無責任な放言を追放すべきではないだろうか。これらは無用な危機感を煽るだけだ。前者なら「何%から何%に高まったか」、後者なら「何%の可能性なのか」と突っ込むべきだろう。科学者は評論家ではない。科学的知識に基づいて適切な指針を示すべきだ。責任逃れを最優先する学者など学会から追放すべきだろう。ガリレオ・ガリレイに倣うべきだ。
 人は小さな可能性を過大評価する傾向がある。宝くじが当たることやBSEに感染することや明日大地震に遭遇することなどの可能性は殆んど皆無だ。こんな微小な可能性を騒ぎ立てることは迷惑だ。もっと大切なことは幾らでもある。科学を装った無責任な放言をして危機を煽ることを放任すべきではない。

世間の意思

2013-04-23 11:04:59 | Weblog
 東日本大震災の際、関東のスーパーで真っ先に売り切れたのはトイレットペーパーだったそうだ。所謂知識人はこの行動を馬鹿にするが彼らこそ阿呆だ。消費者は正しい反応をした。なぜなら売り切れる商品を正しく予測したからだ。
 必要性を考えれば水、食品、乾電池、防寒具などを急いで買うべきだろうが、別の考え方もある。売り切れそうな商品を買い溜めるということだ。必要な物と売り切れる物とは異なる。売り切れるのは多くの人が「急いで買わなければ買えなくなる」と思う商品だ。訳の分からないままトイレットペーパーを買い漁った人が大半だろうが、品薄になることを予測して買い溜めをした人もいるだろう。
 美人コンテストの審査員は最も美しいと思う女性を選んではいけないと言われている。大衆が納得する女性を選ぶことが求められているらしい。つまり自分の意見ではなく大衆の意見を予想して世界中から支持される審査結果を出さねばならない。こうすることによってコンテストの権威が保たれる。
 ある百貨店の食品バイヤーからこんな話を聞いた。「旨い商品を選んだら失敗する。売れる商品を選ばねばならない。」
 不特定多数が参加する政治や経済においても正しい策は必ずしも最善策ではない。世間が納得する策こそ最善策だ。
 日銀の黒田総裁による超金融緩和策によって円安・株高が実現しつつある。これは市場を味方にしたから成功したのだろう。海外も含めた市場参加者から歓迎される対策を表明したからこそ思惑どおりに市場が動いた。
 この逆が白川前総裁だ。「為替レートはかくあるべし」という勝手な理屈で市場に介入したから市場参加者の協力は全く得られず大失敗を繰り返した。多分「世界は日銀に平伏す」と思い上がっていたのだろう。市場が思いどおりに反応しないからその後はデフレ対策まで放棄してしまった。当時の財務大臣も含めて全く駄目な権力者だった。
 従順な日本国民の多くは権力に従うが外国人にとっては日銀の権力などに何の権威も無い。このことを「お山の大将」は理解していなかったのだろう。市場の意向を読んで世界の市場参加者に協力をさせなければ市場を動かすことはできない。独り善がりでは成功できない。