行動経済学あるいはゲーム理論の分野で一時期大ブームになった心理実験がある。独裁者ゲームという。これは最終通告ゲームのバリエーションの1つだ。
最終通告ゲームでは預かった金の分配を通告者役が提案して、被通告者役はその提案を受け入れて金銭を得るか拒絶して両者を無報酬にするかを決める権限を持つ。この拒否権を無くして通告者役が一方的に分配額を決めるのが独裁者ゲームだ。このゲームでは独裁者役の70%が被通告者役に分配し、その平均額は20%程度だそうだ。
人間の倫理性を信じたがる無邪気な人達はこの結果を喜んだ。人は何のメリットも無くても利益を分かち合えることが証明されたと彼らは考えた。
ところが捻くれた人はいるもので、独裁者ゲームのルールをこう変えた。「被通告者役に分配しても良いし1ドルを巻き上げても構わない」すると状況は激変した。分配する人は35%に半減し、20%の人は分配しないだけではなく1ドルを巻き上げた。
この実験が明かしたことは人間の倫理性とは全く関係が無い。人は枠組みの中で考えるということだ。「分配せよ」と言われたら分配するし、「巻き上げても良い」と言われたら巻き上げることも含めて考えるということだ。
前にも紹介したことがあるが、中国には小学生を対象にしたこんな試験問題がある。
A君とB君は1m離れている。B君とC君は3m離れている。A君とC君は何m離れているか。
友人に尋ねたところ「不明」と答えた。これこそ日本の教育の欠陥だ。中国での正解は「2~4m」だ。答えは確固たるものでなければならないとする日本式教育と比べて、可能な限り答えを求めようとする中国式のほうが優れている。
実社会において正解を特定できることは少ない。その際取るべき姿勢は正解を諦めることではなく「どの範囲に正解があり得るか」を明らかにすることだろう。確固たる答えしか認めないという狭い枠組みに囚われるべきではない。
最終通告ゲームでは預かった金の分配を通告者役が提案して、被通告者役はその提案を受け入れて金銭を得るか拒絶して両者を無報酬にするかを決める権限を持つ。この拒否権を無くして通告者役が一方的に分配額を決めるのが独裁者ゲームだ。このゲームでは独裁者役の70%が被通告者役に分配し、その平均額は20%程度だそうだ。
人間の倫理性を信じたがる無邪気な人達はこの結果を喜んだ。人は何のメリットも無くても利益を分かち合えることが証明されたと彼らは考えた。
ところが捻くれた人はいるもので、独裁者ゲームのルールをこう変えた。「被通告者役に分配しても良いし1ドルを巻き上げても構わない」すると状況は激変した。分配する人は35%に半減し、20%の人は分配しないだけではなく1ドルを巻き上げた。
この実験が明かしたことは人間の倫理性とは全く関係が無い。人は枠組みの中で考えるということだ。「分配せよ」と言われたら分配するし、「巻き上げても良い」と言われたら巻き上げることも含めて考えるということだ。
前にも紹介したことがあるが、中国には小学生を対象にしたこんな試験問題がある。
A君とB君は1m離れている。B君とC君は3m離れている。A君とC君は何m離れているか。
友人に尋ねたところ「不明」と答えた。これこそ日本の教育の欠陥だ。中国での正解は「2~4m」だ。答えは確固たるものでなければならないとする日本式教育と比べて、可能な限り答えを求めようとする中国式のほうが優れている。
実社会において正解を特定できることは少ない。その際取るべき姿勢は正解を諦めることではなく「どの範囲に正解があり得るか」を明らかにすることだろう。確固たる答えしか認めないという狭い枠組みに囚われるべきではない。