俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

延命治療

2013-04-03 10:14:41 | Weblog
 延命治療は人を不幸にする。
 植物人間、つまりチューブ巻き状態で意識の無い人がいるとする。本人はこれで幸せだろうか。本当に意識が無いのならともかく、激痛に苦しみ続けている人もいるのではないだろうか。これでは意思表示をできない人に対する虐待にも等しい。
 家族はどうだろうか。いい加減に死んで欲しいと思っている人も少なくなかろう。経済的負担だけが延々と続く。
 医者にとってはどうだろうか。悪徳医師にとっては金の成る木だ。枯れ木に水をやるような仕事で大金が得られる。良心的な医師にとっては葛藤の元だ。早く死なせてあげたいと思うがそんなことをすれば殺人罪に問われる。
 国民にとってはどうだろうか。医療保険料が虚しく費やされるだけだ。死体を冷凍保存しているようなものだ。
 結局、得をするのは悪徳医師だけだ。こんな馬鹿なことが人命尊重の名の元に行なわれている。私も当然、延命治療など拒絶する。
 医療費は治療可能な人に優先的に使われるべきだろう。植物状態の人を保存するよりも救える人のために重点的に配分されて然るべきだろう。
 福祉も、死につつある老人よりも未来のある子供のために多く使われるべきだろう。こんな所で、命は平等だと言うべきだとは思えない。
 中小商店を守るための筈だった大規模小売店舗法は延命治療に過ぎなかった。中小商店の大半は儲けが減れば勝手に閉店するのだから、迷惑を蒙るのは地方の住民だ。都会に住む役人にはこんなことさえ分かっていない。
 農業に対する延命策はもっと酷い。死につつある農家を生き延びさせるために多額の補助金が使われている。補助金無しでは経営できない農家、つまり滅ぶべきものは勝手に滅んでもらって、将来性のある事業にこそ補助をすべきだろう。延命策は死に金であり馬鹿馬鹿しい無駄遣いだ。一部の人だけが得をして殆んどの人が迷惑を蒙る。

臆病者

2013-04-03 09:42:26 | Weblog
 3月31日の「ダーウィンが来た」はヌーという牛の一種の物語だった。ヌーは大きな図体に似合わず非常に臆病な動物で恐怖に駆られた時以外は自らの意志で動こうとはしない。100万頭の大行列の先導役を務めるのはなんとシマウマだ。ヌーは臆病なので誰も先頭を歩く勇気を持たずシマウマが歩いた跡を忠実に辿る。
 何と日本人にそっくりな動物だろうか。まるで日本人のパロディとさえ思える。日本人は意見を言わない。意思表示をしない。付和雷同が大好きで議論ではなく空気で物事を決めてしまう。
 誰かが極端な意見を言った場合、望ましいのは活発な議論だ。議論を経てより高いレベルの結論が生まれる。しかし現実ではそうならない。人望のある人の発言ならそれに追随し、人望の乏しい人の発言なら黙殺して多数決で否定する。諾否を決める基準は発言の内容ではなく発言者に依存する。
 こんな心理実験がある。3本の線分の中から他の1本の線分と等しい長さの物を目で見て選ぶという実験だ。個別に問えば90%以上が正解できる簡単な問題だ。ところが集団面接にしてサクラを使って間違った答えを言わせると正答率が大幅に低下する。人は他人の意見に引き摺られ易い。日本人はこの傾向が特に顕著だ。
 日本人というヌーを先導するのはマスコミというシマウマだ。マスコミが定める進路に国民は盲従する。マスコミが煽れば政権交代は実現するし、そのマスコミがアベノミクスを誉めれば安倍内閣の支持率は異様に高まる。大衆はマスコミと同調することによって多数者=良識ある人になったつもりでいる。何と世論操作され易い国民だろうか。こんな国民性だから他国に追い付けても追い越せないのだろう。
 日本の世論が妙にぶれるのは先導するマスコミがご都合主義でぶれるからだ。マスコミが世論を作り国民はそれに盲従する。こんなことになるのはマスコミに同調することによって、自分で考えて主張するという責任を免れようとする臆病者揃いだからだ。