俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

サイコロステーキ

2013-04-26 10:11:12 | Weblog
 私はステーキが大好きだ。現役時代はしょっちゅうステーキハウスに立ち寄っていたし、海外旅行先で一番よく食べたのもステーキだ。ペナン島に行った時はホテルの傍にあった屋台のステーキ店に毎日通った。
 フィリピンでは失敗したことがある。ビーフステーキを注文したら牛肉の煮込み料理が出されて仰天して文句を言った。しかしこれは私が悪い。フィリピンではこれがビーフステーキと呼ばれていることをあとで知った。「アメリカンステーキ」と注文すべきだった。
 現役を退くと少し気兼ねをするようになった。年金生活者が100g1,000円のステーキを食べることに疚しさを感じる。こんな状況で有難いのがサイコロステーキだ。近所のスーパーのちらしの日替わり目玉品で100g148円のサイコロステーキを見つけた時は本当に嬉しかった。
 サイコロステーキは決して質の悪い牛肉ではない。整形したステーキ肉からはみ出した欠片だ。1片ずつが違う部位なので、時々特に旨い肉にも出会うというギャンブル的な楽しみもある。安くて旨い物が好きな元大阪人の好みにピッタリだ。
 ある日、日替わり目玉品のサイコロステーキを買った。献立は同居する母に任せて買い物は私が引き受けているので、毎日「今日こそステーキ」と楽しみにしていた。ところが数日後に思い掛けない形で、変わり果てた姿に対面することになった。鍋料理の具として使われてしまった。その時の私のショックは恋人の生首を見せ付けられた男のようなものだった。怒りを抑えて食べたが、哀れ我が愛しのステーキ肉はすっかり「出汁の素」として使命を終えた抜け殻となっていた。母と同居を始めてから半年になるが初めて「美味しくない」と愚痴をこぼした。
 母にとっては、私がよく買う100g128円のクズ肉と同じ位置付けだった。たった20円しか違わない。しかし私のショックは大きく胃痛と吐き気が1週間ほど続いた。怒れば健康を損なうということを改めて痛感した。

東京裁判

2013-04-26 09:38:41 | Weblog
 極東国際軍事裁判(東京裁判)は戦勝国が敗戦国を罰するための裁判だ。「勝てば官軍」そのもので「平和に反する罪」や「人道に反する罪」といった後付けのルールで裁くのだから全く不合理極まりない。「平和に反する罪」なら「窮鼠が猫を噛む」ように仕向けたアメリカにこそ罪があり、広島・長崎に対する原爆の投下は人類史上最大級の「人道に反する罪」だ。このことに疑問を持たないアメリカ人の独善性とダブルスタンダードには呆れずにいられない。
 屁理屈はさて置き、日本は敗戦国だから裁かれた。ところがここでアメリカははたと困り果てた。ドイツやイタリアならナチスとファシストを主犯格に据えられるが日本の対米戦争には首謀者がいなかったからだ。会議によって民主的に決められたし国民もそれを熱狂的に支持していた。
 戦後の歴史教育では軍部が暴走したように教えているがこれは大嘘だ。日清・日露戦争の勝利に酔った国民はのぼせ上がって好戦的になっており、今も旭日旗を社旗とする朝日新聞などのマスコミもそれを煽った。ナチスのような首謀者がいないから、アメリカは軍国主義者という虚構をでっち上げざるを得なかった。こうして生け贄にされたのがA級戦犯だ。
 国民はA級戦犯を悪人とは思っていない。対米戦争が悪であるなら自分達も同罪であり国民を代表して処刑されたと思っている。言わば人間の罪を背負って磔にされたイエス・キリストのようなものだ。こんな経緯もあり「死んだら神様」という独特の信仰もあるのでA級戦犯も靖国神社に合祀された。
 しかしこのことは東京裁判に基づく戦後秩序に対する反乱だ。東京裁判を茶番劇として否定したいのなら実力行使をする前に歴史の再評価をするべきだろう。理論を欠いたままでの行動は問題解決には繋がらない。
 「悪い軍国主義者」に総ての罪を押し付けることは非常に賢明な方便だ。そうすればナチスに総ての罪を押し付けるドイツ国民と同様に日本人も無罪放免される。それをできないのが日本人の誠実性だがこのことが誤解を招いていることも事実だ。