今日(22日)は土用の丑の日だ。平賀源内なら「鰻を食うべし」と言うだろうが、最早、鰻を食うべきではない。絶滅危惧種に指定されかねないほどに減った動物の大量殺戮などすべきではない。それはパンダやコアラを食べるような蛮行だ。成魚が捕れないから稚魚に手を出し、その稚魚まで捕れなくなったのだから一旦食べることを諦めて、完全養殖が可能になってから食用にすれば良かろう。それまでは食べるべきではない。
大切な食文化を守れ、と言う人もいるがそこまでムキになる必要は無かろう。我々は松茸で似た経験をしている。松茸の収穫量が激減して価格は高騰した。しばらく前まではその馬鹿高さがニュースにもなっていたが、最近では余り騒がない。では文化は滅んだのか、そんなことはない。ちゃんと永谷園の「松茸の味お吸いもの」があるからだ。馬鹿高い本物は好事家に任せて、我々庶民は松茸風の香りで満足できる。
鰻も庶民の手が届かないほど高くなってしまったほうが却ってスッキリするだろう。中途半端だから高嶺の花になってしまう。金に糸目を付けない人だけが食べれば良い。贅沢品と位置付けられれば値段を騒ぐことも無くなる。
鰻の食文化を廃れさせないためには代替品の開発が急務だ。アナゴやサンマあるいは鶏などの蒲焼によって技術を継承しておけば、将来、鰻の完全養殖が可能になった時に食文化も復活する。
鯨は全然違う。絶滅する心配が無いどころか、辛坊治郎氏の乗ったヨットを沈めるほど沢山いる。むしろ小型鯨が増え過ぎて大型鯨の餌が足りなくなっているほどだ。大食いの鯨が増え過ぎれば生態系を破壊することにもなりかねない。鯨を適度に捕獲することは海洋資源の保護にも繋がっている。鰻とは違って鯨は食べて良い。かつて乱獲していたアメリカやオーストラリアが捕鯨に反対するのはご都合主義が露骨に現れていて滑稽だ。
大切な食文化を守れ、と言う人もいるがそこまでムキになる必要は無かろう。我々は松茸で似た経験をしている。松茸の収穫量が激減して価格は高騰した。しばらく前まではその馬鹿高さがニュースにもなっていたが、最近では余り騒がない。では文化は滅んだのか、そんなことはない。ちゃんと永谷園の「松茸の味お吸いもの」があるからだ。馬鹿高い本物は好事家に任せて、我々庶民は松茸風の香りで満足できる。
鰻も庶民の手が届かないほど高くなってしまったほうが却ってスッキリするだろう。中途半端だから高嶺の花になってしまう。金に糸目を付けない人だけが食べれば良い。贅沢品と位置付けられれば値段を騒ぐことも無くなる。
鰻の食文化を廃れさせないためには代替品の開発が急務だ。アナゴやサンマあるいは鶏などの蒲焼によって技術を継承しておけば、将来、鰻の完全養殖が可能になった時に食文化も復活する。
鯨は全然違う。絶滅する心配が無いどころか、辛坊治郎氏の乗ったヨットを沈めるほど沢山いる。むしろ小型鯨が増え過ぎて大型鯨の餌が足りなくなっているほどだ。大食いの鯨が増え過ぎれば生態系を破壊することにもなりかねない。鯨を適度に捕獲することは海洋資源の保護にも繋がっている。鰻とは違って鯨は食べて良い。かつて乱獲していたアメリカやオーストラリアが捕鯨に反対するのはご都合主義が露骨に現れていて滑稽だ。