俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

白人の目

2013-10-07 10:03:07 | Weblog
 白人の目はなぜ凹んでいるのだろうか。凹んだ目には少なくとも2つの弱点がある。まず視野が狭い。黄色人種や黒人ならほぼ180度が視野に入るが、白人の視野は160度程度らしい。また目が凹んでいれば物との距離が離れる。僅か数ミリの違いであっても、近くの物を瞬時に見届けようとする時にはハンディになる。これらのことから凹んだ目は機能的に劣ったものと思える。しかし生存競争において不利な筈の凹んだ目が定着しているのはこれらを補うだけのメリットがあるからだろう。
 凹んだ目のメリットを考える前に凹んでいるものを列挙してみよう。溝などの排水施設、コンセント、塹壕、堀、エクボ、ヘソ、カッコウの雛の背中の凹み、様々な穴・・・・凹んでいるものは意外と少ないがどうやら安全性と関係がありそうだ。
 余談だがカッコウの雛の背中の凹みはとんでもない「不道徳な」進化だ。託卵するカッコウの雛の凹みは、託卵先の鳥の卵を巣から落とす作業のために最適の構造になっているそうだ。
 閑話休題、安全性を高めるためなら機能性を多少犠牲にする方向への進化も納得できる。動物がアンバランスなほど頑丈な頭蓋骨を持っているのは脳を守るためであり、鉄道や自動車ならたとえ高速性を多少損なってでも安全性に配慮せざるを得ない。
 では具体的に凹んだ目はどう安全性を高めているのだろうか。2つの可能性が考えられる。1つは上からの光を遮断するためであり、もう1つは前からの攻撃を防ぐためだ。
 凹んだ目は上からの光に強い。しかし光から目を守るためなら凹ませるよりも少し濃い色にするほうが簡単にできる適応だ。
 やはり攻撃に対する防御のためだろう。目が凹んでいれば目の周りの骨が眼球を守る。これは白人が乱暴で殴り合いの喧嘩ばかりをしていたということではない。木の枝から守るという意味だ。数十万年の長きに亘って狩猟採集生活を続けていた彼らにとっては森の中で木の葉や枝から目を守ることが重要なことだったからその方向に進化したのだろう。

贋国産米

2013-10-07 09:30:53 | Weblog
 三瀧商事という企業が中国産や米国産、あるいは加工用の米まで混ぜて国産米として販売していたそうだ。情けない話だ。
 情けないのはこの企業だけではない。騙された消費者も情けない。この事件は多分、内部告発によって発覚したものであり、消費者から「不味い」という苦情が殺到したからではなかろう。それだけ味の分からない消費者ばかりだということだ。
 中でも贋の「魚沼産コシヒカリ」を買って気付かなかった人には呆れる。こんな味の分からない人は古々米などの安い米で充分だろう。
 日本の消費者は舌が肥えているという話は真っ赤な嘘だ。国産米と輸入米の区別さえできない人が大半であることが図らずも証明されてしまった。TPPで安い農産物が輸入されれば、実際には質的優位性を持たない国産品はあっと言う間に淘汰されてしまうだろう。
 元々、日本人は識別力が乏しく権威に頼る傾向がある。自分の味覚ではなくブランドに頼っている。「魚沼産コシヒカリが一番だ」と言っている人の一体どれだけがその良さを識別できることやら。
 昔の話だが、洋酒と言えばジョニ黒とナポレオンという時代があった。ウィスキーとブランデーの区別さえできない人が、高価な洋酒だということだけで有難がって飲んでいた。その頃から少しも進歩していない。味ではなく名前と価格が価値を決めている。日本人の食文化は呆れるほど底の浅いものだ。
 味に限らず、日本人には主体性が欠けている。流行に流される。「半沢直樹」の視聴率が高いと聞けば我先にと見るから更に視聴率が高まる。ベストセラーと聞けば遅れまいと購入する。日本人は今なお付和雷同し続けている。これでは文明人ではない。自分で良し悪しを判断できず、味覚も意見も借り物なのだから、人間以下の畜群だ。マスコミや政治家にとってこんな操り易い獣は世界中どこにもいない。