俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

カタストロフィー

2013-10-18 10:26:02 | Weblog
 台風26号による伊豆大島での土石流災害に関して、事前に避難させなかったことを非難する人がいるが、結果から遡るべきではない。既に起こっていることならその後を予測することは可能だが、未だ起こっていないことがいつ起こるかを予測することは至難だ。
 台風の進路や降水量、あるいは川の氾濫などはある程度予測できる。これらは既に起こったことがどう推移するかの連続的な変化の予測だからだ。
 逆に、地震の発生や崖崩れ、あるいはダムや堤防の決壊などを予測することは困難だ。せいぜい危険性が高いか低いかしか指摘できない。これらの不連続な変化を連続的な変化と同一視すべきではない。
 40年ほど前に「カタストロフィー理論」が話題になった。例えば金属を曲げれば途中まではしなって突然折れる。あるいはロープを引っ張ればある程度まで耐えて突然切れる。こういった不連続な変化を理論化することによって株の暴落や戦争のような惨事を回避できるのではないか、という期待を集めたが、結局、尻すぼみになった。
 物理学が単純なものしか対象にできず複雑なものに対してはお手上げであるように、不連続な変化は予測困難だ。可能なことは、起こった後で、こんな原因があった、と説明することだけだ。これは試合に負けた後で、あれが敗因だったと指摘するようなものだ。それが敗因になると予め分かっていれば誰もそんな作戦など採る訳が無い。
 原因究明の必要性を否定する気は無いが、原因が分かるだけで事故を未然に防止できると考えることは余りにも楽観的だ。このことは交通事故の原因が分かっても事故が無くならないのと同じことだ。
 人智を超えるものは必ずあり、総て予測可能と考えることは地震予知と同様、科学に対する過剰な期待だ。「可能にしたい」と「可能である」とを混同すべきではない。