俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

二宮金次郎

2013-10-09 10:09:48 | Weblog
 今では殆んど見掛けないが、昔はあちこちの小学校に薪を背負った二宮金次郎の銅像があった。家計を助けるために毎日薪拾いに励み、その道中でも本を読み続けて偉い人になったという教訓だった。私はその話を馬鹿にしていた。昔ならともかく、今、本を読みながら歩いたら交通事故に遭うと思ったからだ。同じように考える人も少なくなかったようで、殆んどの学校から銅像が撤去された。
 今、スマートホンを操りながら歩いている人が多い。街中でも駅でも多く見掛ける。他人とぶつかる人もいれば駅のホームから落ちる人もいる。
 アメリカのアイダホ州では歩きスマホには罰金55ドルが科されるそうだ。歩きスマホを迷惑行為としてこんな罰則を設けたのだろうが、これよりも横一列で歩く集団のほうが迷惑だ。歩きスマホは迷惑ではあっても他人に危害を与える行為ではない。危険なのはむしろスマホ自転車だろう。
 先日、歩道上を大きく蛇行する自転車を見掛けた。歩道一杯に蛇行するから酔っ払いかと思った。実は右手にスマホを持ってスマホを見ながら片手運転をしていた。
 歩きスマホで危険な目に会うのは自分自身だ。これは自業自得であり自己責任だ。しかし自転車スマホなら加害者にもなり得る。自業自得の行為を罰する必要は無いと思うが、危害を与え得る行為なら取り締まっても良かろう。これは室内でナイフを振り回すのと公道上で振り回すのと同じぐらい違う。
 とは言え、歩きスマホの危険性は増している。恐喝に会うという危険が加わったからだ。わざとぶつかったり盗撮をしたと因縁を付けたりする人がいるそうだ。そんな目に会わないためにも自重したほうが良かろう。

食糧

2013-10-09 09:41:12 | Weblog
 現時点では世界の食糧の生産高は人口に見合っている。毎年約1500万人が餓死しているのは富が偏っているせいであり、もし公平に分配されたら誰一人餓えることは無い。しかし現在の人口70億が80億や100億になった時には、現在の食糧生産技術では絶対量が足りなくなる。地表の面積は有限であり、農業や畜産業はいずれ限界に達するからだ。
 蛋白質を得るために牛肉ならその十数倍の穀物が必要だ。つまり十数㎏の餌を与えてやっと1㎏の牛肉が得られる。これは牛が恒温動物であるために多くのエネルギーを基礎代謝に使うからだ。哺乳類を使った畜産はエネルギー効率が悪い。
 今後まず注目すべきなのは魚の養殖だろう。魚類は変温動物なので体温を維持するためのエネルギーが必要ない。しかし骨などのように食用に適さない組織も多く作られる。
 無脊椎動物なら骨が無いから丸ごと食べられる。具体的にはイモムシとゴキブリが有力だろう。イモムシは現在でも多くの地域で食料にされており、ゴキブリは生命力・繁殖力がズバ抜けているから養殖のためには最適だ。無菌ゴキブリなら衛生面でも問題ない。更に原生動物であるミドリムシまで既に日本でも食料として利用されている。
 だんだんゲテモノ食の話になってしまったが、将来の食料危機を考えるなら、現在、食資源とされていない物の有効活用は欠かせない。
 食糧の優先順位は①先進国の人②先進国向けの家畜③後進国の人、であり、後進国の人は家畜よりも冷遇されているから、ここまでやっても食糧が回って来ないだろう。そうなればいよいよ空気や海水からでも食糧を作らなければ飢餓を防ぐことはできないだろう。もう1つの選択肢はこれ以上人口を増やさないことだ。地球上の資源は無限ではない。