俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

大人の学力

2013-10-29 11:19:36 | Weblog
 OECDは24ヶ国を対象にして「国際成人力調査」を行い、その結果を今月の8日に発表した。日本は読解力も数的思考力も世界一でフィンランドなどの北欧諸国がそれに次いだ。(詳細データはPIAACで検索可)
 子供の学力では毎回上位にランクされている東アジア勢(中国、韓国、台湾、香港)では韓国だけが参加して、意外なことに平均点以下という結果だった。入試用学力ばかりを偏重しているせいだろうか。
 国別成績以上に興味深いのは年齢別学力だ。読解力も数的思考力も25~29歳をピークにして下降する。このことはOECD平均でも日本人でも同じ傾向なので普遍的事実と思われる。但し日本人の下降ぶりはかなり緩やかであり、OECD平均と日本人との差が最大になるのは、読解力も数的思考力も50~54歳の時だ。50代の日本人は若いということだろうか。
 数的思考力に注目すれば、日本人の50~54歳は20~24歳よりも高得点で、55~59歳でも16~19歳よりも高い。大学受験の時期はまだヒヨッコに過ぎず、経験を積んだ50代はかなり賢いということがこのデータから読み取れる。
 ライフステージと重ね合わせて考えれば、最も思考力が高い25~29歳がサラリーマンなら平社員であり最も考えない時期に当たってしまっている。これでは人材殺しにもなりかねず、少なからぬ企業が若手中心のプロジェクトチームの実験をしていることは良いことだと改めて思う。
 しかしなぜ25~29歳をピークにして知力が劣化するのだろうか。多分、全員が同等に劣化するのではなく、一部の人が先に劣化するのだろう。多数の砂山を作ってその高さの平均値を求めれば、刻一刻減少し続ける。但し皆が同じペースではなく、一部の山が大きく崩れてそれが平均値を下げる。砂山と同様、高齢者の知力も先に劣化する人が平均値を下げるのであり、各個人の知力はグラフに表されているように着実に劣化している訳ではないと、老化しつつある当事者としては考えたい。

印刷物

2013-10-29 10:45:44 | Weblog
 市役所が発行する印刷物を見ていて腹が立つことがある。12ページとか20ページとかいった経済的でない印刷物が少なくないからだ。これは多分、印刷知識も経費意識も欠いたド素人が作っているのだろう。頻繁な人事異動の弊害で専門知識を持つ者がいないようだ。
 デジタルの時代になっても印刷物は1ページずつ印刷されている訳ではない。A全と呼ばれる大きな紙(全紙)を使って印刷する。A全の半分がA2、A2の半分がA3、A3の半分がお馴染みのA4サイズだ。A4はA全の1/8に当たる。これを両面印刷するので16ページが経済的な印刷単位だ。8ページの印刷物なら2セットずつが同時に印刷される。従って2・4・8・16ページに収めるか16ページの倍数にしなければ無駄なページができて製本の時点で廃棄される。
 ページ数が多ければ厚紙を使った表紙が必要になる。例えば16×6=96で96ページの冊子に表紙を付ける場合、表紙は裏表紙と合わせて4ページなので総ページ数は100ページになる。たまたま区切りの良いページ数なのでこのページ数の冊子は少なくない。
 つまり印刷物は2・4・8ページにするか、16ページの倍数プラス表紙4ページにすれば無駄が生じない。民間企業の印刷物は総てこの基準に基いて作られており、コスト意識の低い役所の印刷物だけがこの基準を無視している。
 この基準から外れた印刷物は白紙部分のために製版代・印刷代を払い、その無駄な紙の代金だけではなく裁断費や廃棄費まで無駄遣いしていることになる。
 市民としてこんな無駄遣いを許すべきではない。チェックは簡単だ。そのページ数が16の倍数か2・4・8ページなら良いということだ。この程度のことなら小学生でもできる。そんなことさえ怠るほど低レベルな役所があるということだ。そしてこんな無駄の多い印刷物を請け負う非良心的な印刷会社は多分、天下り役員の温床になっていることだろう。