俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

審判の権威

2013-10-28 13:08:10 | Weblog
 昨日(27日)の日本シリーズ第2戦で、勝敗を左右しかねない重大な誤審があった。7回2死1・3塁での藤田選手のタイムリー内野安打だ。報知新聞はこれを皮肉って「判定負け」という見出しにしていた。他のスポーツ紙も総てアウトと評価していた。
 プロ野球は判定を覆さないことを審判の権威と考えているようだが、これでは中国や北朝鮮の独裁制と同じだ。ビデオがこれほど普及している時代に黒を白と言いくるめることはできない。ミスジャッジの証拠が残るのだから、制度の不備が審判個人に対する攻撃にもなりかねない。ネット上などで個人攻撃に晒された審判が精神を患い最悪の結果を招くことさえあり得よう。個人攻撃をさせないためにはルールの見直しが必要だろう。実際の話、テニスやサッカーなどでもビデオ判定が導入されつつある。
 誤審を避けることに最も真剣に取り組んでいるのは意外なことに大相撲だ。最も古いスポーツが最先端を行っている。元々、行司は帯刀して、差し違えたら切腹するという覚悟を示していた。更に、審判員が常駐して疑わしければ「物言い」を付ける。それでも不充分として、何と昭和44年からビデオ判定も取り入れている。
 大相撲の判定に対する真摯な姿勢をプロ野球は見習うべきではないだろうか。間違いを認めないことが権威ではない。間違いを認める勇気こそ大切だ。孔子曰く「過ちて改めざる、是を過ちと謂う。」(「論語」より)