俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

飲酒運転

2013-10-11 10:14:08 | Weblog
 飲酒運転を肯定する気は無いが、飲酒運転を無くせという話は全く都会人の独り善がりであり、地方の事情を無視したものだと感じずにはいられない。
 都会人なら外で飲んだあと電車で帰宅できる。夜間の電車なら素面の人のほうが少ないくらいだ。多くの人は定期券の区間内で飲むから実質的に無料で安全に帰宅できる。
 都会人には安くて安全な「足」が与えられているのに、地方居住者にはそれが無い。自動車だけではなく自転車にまで飲酒運転の罰則が適用されるから、地方に住む人は歩いて行ける範囲で飲むか往復にタクシーを使うかしか無い。都会人は飲酒運転を禁じられても何も不自由を感じないが、地方人は大きな制約を受ける。同じ日本人で同じように納税しながらなぜこのような差別が認められているのだろうか。
 泥酔した乗客から罰金を取ったらどうだろうか。泥酔者は他の乗客にとっても迷惑なのだからこのことには都会人も反対しないだろう。そしてその罰金を基金にして、タクシーで帰る地方の飲酒者への補助金に使えば少しは公平になる。
 飲酒運転の厳罰化は解決策にはならない。それは地方居住者に一方的に不便を強いるだけだ。都会と地方では交通事情が違う。晩酌後に急用が発生した場合、地方人は他の交通手段が無いから飲酒運転をせざるを得ないのであって、安全で合法的な交通手段がありながら飲酒運転をする悪質な都会人と同等に扱うべきではない。全国一律ではなく交通事情を考慮して罰則に差を設けるべきだろう。
 阪神大震災から2年半経った頃には神戸の街は随分復興していた。今の東北地方とは全然違う。政治家も官僚も都会ばかりを見て地方を見ない。地方人の権利は都会人の半分程度しか無いように思える。

海産物

2013-10-11 09:46:25 | Weblog
 寿司が世界中で食べられるようになったことを、日本の食文化が世界に広まったと単純に喜んでいてはとんでもないことになりかねない。食資源としての魚が枯渇することにも繋がるからだ。
 元々、魚を常食する民族は限られていた。日本以外は地中海沿岸と北欧ぐらいではなかっただろうか。せいぜい数億人の規模だった。これに中国人・アメリカ人・インド人などが加わった。更に鯨という大敵もいる。商業捕鯨が禁じられて以来増え続けている鯨が食べる魚の量は全人類が食べる量の3倍ほどらしい。ノルウェーが決して捕鯨をやめないのは、鯨を放置すればシシャモが根こそぎ食べられてしまうからだとも言われている。
 かつてマグロを食べるのは日本人だけだった。今、日本のシェアは3割ほどだ。エビに至っては1割ほどでアメリカや中国よりも少ない。
 日本の消費シェアが高いのはタコだ。日本が7割を占める。これは西洋人が「悪魔の魚」と呼んで嫌っており、ギリシア・イタリア・スペインなどの地中海沿岸諸国以外のキリスト教国人が食べないからだ。
 動物界には棲み分けがある。それぞれが違った環境を選ぶから競争ではなく共存になる。人類も食べ分けをすれば食資源を有効活用できる。以前は魚類を食べる民族は少なかったのにこんなに増えれば競争になり、しばしば買い負けすることもあるそうだ。
 日本人は海草を再評価すべきだろう。海草を食べる民族は少ない。かつて私は海外に住む知人に海苔・昆布・若布を送ろうとして途方に暮れたことがある。どれもseaweedとしか翻訳できないからだ。西洋人にとって海草とは「海の雑草」のようなものなのだろう。
 海草は栄養価に富む水産資源だ。お人好しの日本人はこんな大切な情報を平気で公開する。中国人が昆布の価値を知ったら昆布は絶滅危惧種になってしまうだろう。