俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ぽっちゃり

2013-10-27 10:06:14 | Weblog
 最近、ぽっちゃり系がブームらしい。痩身願望を否定する私としては・・・・全然納得していない。私は細いことも太いことも推奨しない。健康体であることのみを勧める。極論すれば美は健康に従属するとまで言い切りたい。健康であることこそ美しく、不健康であれば無条件に醜い。
 痩せていなければ美しくないという信仰を痩身教として私は否定する。しかし浅田真央選手・福島千里選手・高橋尚子さんなどのアスリートは痩せているが美しい。健康だからだ。フィギュアの選手だった伊藤みどりさんは自ら「大根足」と自嘲していたがやはり美しい。
 少し歩くだけで息が切れるような人は痩せていようが太っていようが醜い。走れば膝を痛める人も、痩せていようと太っていようとどちらも醜い。膝を痛める原因がカルシュウム不足のせいだろうが過体重のせいだろうがそんなことはどうでも良い。美しさの絶対条件は細いか太いかなどではなく健康であるかどうかだ。
 勿論、美と健康は別の概念だ。それは真と善が異なるのと同じことだ。しかし両者には密接な関係がある。美にとって健康は必要条件であって十分条件ではない。健康でなければ美しくないが、健康でありさえすれば美しいという訳ではない。不健康な美しさはあり得ない。佳人薄命はデカダンスの美でしかない。
 大切なのは健康だ。容姿の良し悪しは主観的なものに過ぎないので時代性・地域性によって変わる不確実なものだが、健康は客観的かつ普遍的な価値だ。どう見えるかという美醜よりも、どうであるかという健康のほうが遥かに重要だ。
 細い・太いといった外見上の一要素よりも健康であることを重視すべきだ。健康でないまま幾ら外見を飾り立てようとも、見てくればかりのポンコツ自動車のようなものに過ぎない。

悪名

2013-10-27 09:36:36 | Weblog
 最近の変な名前のブームは珍名・奇名を通り越して「悪名」のレベルに達している。この背景にあるのは「創造者気取り」だ。正解を自分が決めることができるので創造者になったような錯覚を味わえる。つまり実際には創造的でない人の創造幻想であり、マスタベーションにも等しい自己満足だ。
 最近、幾つかの悪名を知った。こんな名前を付けられた子供は可哀想だ。児童虐待だ。きっと学校でもからかわれることだろう。
 泡姫・・・「ありえる」と読むそうだ。これは絶対に読めない。多分、日本にたった1つしか無い悪名だろう。「あわひめ」としか読めないし常識的にはソープ嬢のことだろう。こんな悪名を付ける親がいるとは「ありえない」話だ。もしかしたら親は合成洗剤の「アリエール」を作っているプロクター&ギャンブルの社員かも知れず、少しでも宣伝したいと考えたのかも知れないが、酷過ぎる。
 愛保・・・「らぶほ」と読むそうだ。両親はラブホテルの経営者だろうか。いっそのこともう一捻りして「ローヤル」と読ませたらどうだろうか。絶対に読めないから必ず自己満足を得られる。但し数年もすれば意味が分からなくなるだろう。
 2012年1月31日付けの「珍名(2)」でも採り上げた例だが、海月・海星・心太といった名前もあるそうだ。日本語をよく知っている人ならそれぞれ「クラゲ・ヒトデ・トコロテン」と読むが、多分知らない人が名付けたのだろう。教養の無さ丸出しだ。無知は恥ずかしい。
 もしかしたら「椿子(ちんこ)」とか「蔓子(まんこ)」とか名付けられた可哀想な子供もいるかも知れない。親はそれぞれ「はるこ」「かずこ」と読ませるつもりでも周囲はそう読んではくれない。親は人を非難するだろうが自らの無知をこそ恥ずべきだ。
 捻った名前を付けるなとは言わないが、どうせ名付けるのなら親の知性を感じさせる名前のほうが良かろう。単に読めない名前にしたいのなら「桜」と書いて「うめ」とでも読ませたら良かろう。こんな名前なら「サクラと書いてウメと読みます」と若干自虐的な自己紹介をして印象を強めることもできるし、「通称サクラ」で通せば生活上、不便を感じることも少なかろう。