俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

紫外線恐怖症

2013-10-21 10:12:15 | Weblog
 最近くる病の子供が増えているそうだ。栄養状態が良くなっているのにこんなビタミンD欠乏症が現れる原因は1つしか無い、日光を浴びないからだ。
 福島第一原発の近くに住む人は気の毒だ。放射能が怖いので子供を外で遊ばせることができないからだ。問題なのはそれ以外の地域に住む「母親」だ。多分、くる病の子供の母親は痩せて青白い人が大半だろう。本人が痩せて青白いことをとやかく言う気は無い。個人の自由だ。しかし誤った知識に基いて子供を病気にさせることは児童虐待にも等しい愚行だ。警察が介入しても構わないとさえ思える犯罪的行為だ。
 彼女らは痩せて白いことが美しいと信じている。不充分な栄養しか摂取せず、日傘・帽子・手袋などを使って紫外線を避ける。これは個人の自由だ。たとえ医学的には間違っていても、本人がそう信じているなら他人が指図できることではない。
 彼女らは紫外線が有害だからではなく、色白でありたいために日光を嫌っているに過ぎない。紫外線の有益性について聞く耳など持たない。肌の弱い北欧人でさえ積極的に日光浴をしているという事実など知ろうとしない。色白であることを否定する情報など欲しくない。紫外線は敵という信念を揺るがせたくない。
 しかし子供は別の人格であり彼女らの所有物ではない。子供は正しい健康情報に基いて健やかに育てられねばならない。それが親の責任だ。
 彼女らが知るべきことは皮膚が単なる外装ではないということだ。彼女らは肌がスベスベであればそれで充分だと思っている。大間違いだ。皮膚から太陽エネルギーを吸収せねば病気になる。
 この原稿を書いている時に奇妙な新聞記事に出会った。18日付けの毎日新聞の朝刊で、「卵と乳製品を除去して(中略)ビタミンDが不足した」から子供がくる病に罹った、という内容だった。日光浴には全く触れていない。これは署名記事で記者は女性だった。新聞記者でさえ日光不足の危険性について全く考慮できないのだから一般の女性が知らなくても無理は無かろうが、こんな無知な状態を放置して良いとは思えない。細さと白さのみが美しいという誤った信仰から女性を解放することは喫緊の課題だ。

人智の限界

2013-10-21 09:40:26 | Weblog
 かつて私は、思考力は無限だと考えていた。100万光年彼方の100万年後の世界を想像することができるからだ。瞬時にして時間・空間という物理的制約を超えて無限の力を発揮する奇跡の能力だと信じていた。
 この傲慢な考えを正してくれたのがカントの「純粋理性批判」だった。人間が知り得るのは知覚を通じた狭小な世界に過ぎず、経験に拘束された理性には偏った思考しかできないということを知らされた。地べたを這いずり回る虫ケラが大空を飛翔しているかのように思い上がっていただけだった。
 私が科学と医学に対して特に批判的なのはこの苦い経験に負う。できないこと・分からないことがあるのに傲慢にも「できる・分かる」と主張すべきではないからだ。
 科学は単純で連続的な変化に対してのみ有効だ。逆に言えば複雑なもの・非連続なものに対しては無力だということだ。
 複雑なものの代表例は気候変動だ。気候変動の原因は太陽の活動、地球の活動、人間の活動など無数にある。他の要因を無視して人間の活動の一部に過ぎないCO2の排出が総ての決定因であるかのような仮説は分かり易いが根本的に誤っている。彼らはスーパーコンピュータを駆使したシミュレーションだと言う。全くの子供騙しだ。シミュレーションに使う数値など幾らでも操作できる。危険度3を7に変えたりするだけで望みどおりの結論を捻出できる。
 非連続の代表例は突発的災害だ。地震も山崩れも非連続的な変化なので予測できない。予測できないことを予知可能と見なすべきではない。それは錯覚か詐欺に過ぎない。
 医学は科学以下、敢えて言えば科学以前のレベルだ。現代医学の大半は対症療法に過ぎず、実は毒でもある薬を使って不快な症状を緩和するだけだ。大半の治療行為には治療効果は無く、患者が持つ自然治癒力(免疫力)によって自力で治っているに過ぎない。それどころか風邪に対する解熱剤のように自然治癒力を妨害するような行為でさえ医療と見なされている。
 癌は今もなお不治の病だ。癌は病ではなく老化現象だとさえ私は思っている。私が癌に罹ったら殆んどの治療を拒否して、只管、免疫力の向上に努めたいと思っている。