俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

注意報

2014-04-04 10:01:35 | Weblog
 津波注意報が3日午前3時から午後6時まで延々15時間に亘って出され続けた。しかし2日の午後11時頃の時点で危険性が殆んど無いことが分かっていた筈だ。ハワイやニュージーランドなどで被害が無かったからだ。
 ではなぜこんな無意味な注意報がやめられなかったのだろうか。被害があれば非難されるからだ。豪雨や豪雪を予報できなければ非難される。それを回避するために予報は常に大袈裟なものになっている。これは困ったことだ。イソップ寓話の狼少年と同じように、本当に危険な時に信じて貰えなくなる。
 私は降水確率を6掛けにして判断している。それは降水確率が常に高目に発表されているからだ。読売新聞が検証した結果も私の経験則と全く同じで6掛けだった。明らかに気象庁は降水確率を高目に補正して発表している。
 NHKが伝える気象情報も自分勝手に修正している。降水量1㎜/時の予報であればその前後の時間帯の予報も参考にして、大半を確率ゼロと判断する。1日中1㎜/時と予報された日に実際に雨が降る時間帯は殆んど無い。意味があるのは2㎜/時以上の時だけだ。
 降らないと予報して降れば多くの人が不満を持つ。降ると予報して外れても余り咎められない。だから気象庁は常に降水確率を水増しする。これは意図的な情報偽装だ。
 危険に関する情報は常に水増しされる。環境汚染も食品添加物も地震も大袈裟に騒ぎ立てるが殆んどが空騒ぎだ。ダイオキシンや合成保存料による被害者など国内には一人もいないだろう。
 こんな変な状況になるのはマスコミが危機を煽るからだ。騒げば視聴率も発行部数も増える。危機を煽って架空の鬼の首を取ろうとするからだ。予報は正確であることが最優先だ。危険と騒ぐことによって自らの安全を図ったり儲けようとすべきではない。これは責任逃れという無責任だ。

リケジョ

2014-04-04 09:32:30 | Weblog
 マスコミはリケジョ(理系女子)が嫌いなのではないだろうか。小保方博士がSTAP細胞について発表した時に、発見そのものを評価するよりも博士をまるでパンダのように扱っていたことに違和感を覚えたが、一転してペテン師扱いをするのは元々あった悪意が露呈したのではないだろうか。
 マスコミは「小保方による捏造・改竄」に終始する理化学研究所の弁明に疑惑を感じないのだろうか。これは政治家の「秘書がやった」と同じ、トカゲの尻尾切りだろう。共同研究において一人で捏造・改竄をすることは不可能だろう。
 私自身は元々が理科系だったので感じないのだが、多くの文科系の人は理科系の人に妙な偏見を持ち勝ちだ。物事を単純化し過ぎると考える。困ったことに記者の大半を占める文科系出身者には理数科が苦手だった人が多い。自分と違ったタイプの人を好む人と嫌う人がおり、後者にとってはリケジョは嫌いなタイプだろう。
 北杜夫氏は「私より背の高い女はゴリラのようなものだ」と書いてボロクソに非難されたそうだが、背が高いことや力が強いことや理数科が得意なことなどは「女らしくない」と捉えられるようだ。
 感情的になると大切なことが忘れられる。理性は大脳皮質が司っているが、感情反応はそれよりも原始的な部分で起こる。今回の騒動で最も大切なことはSTAP細胞が存在するかどうかとなぜすぐにバレるような偽装をする必要があったのかということだと思うのだが、これらが曖昧なままにされているのはこれが感情反応だからではないだろうか。
 ノーベル賞受賞者の山中教授の応答は流石に科学者らしく冷静だ。「再現実験の結果を待ちたい」とのことだ。科学は仮説の検証によって発展する。間違っていれば改めれば良いことだ。この検証可能であることこそ科学の最大の長所だ。検証を怠ればオカルトや神話や誤報になってしまう。