人は生活費を得るために働く。もし金銭的報酬が無ければ誰も働かないだろう。人は自分の時間を売って生きる。言い換えれば自由を換金している。それなら自由は金で買える筈だ。
金からの自由は時間の自由だ。サラリーマン時代、私の時間の大半が企業のものだった。勤務時間中だけではなく、殆んど毎日、仕事を持ち帰っていた。三十余年間、仕事のために時間を費やしていた。この期間があるからこそ今の貯えも年金もある。しかし無駄な時間だった。大半が業界内どころか社内でしか役に立たない知恵と知識だ。この期間にもっと学問やスポーツに励んでいたらずっと賢く健康になっていただろう。
この三十余年のハンディは大きい。私が社内でしか役に立たない知識と知恵を蓄えている間に学者は学識を深め、アスリートは体を鍛えていた。この遅れを取り返すことは不可能だ。
企業は人の一番良い時間だけを奪う。20代から50代の自立できる期間だけ雇用してその後は使い捨てる。定年が60歳から65歳に延長されることによって自由な時間は一層短くなる。
老後になって自由を得てもそれはかなり不自由な自由だ。若い内の自由こそ望ましい。頭も体も若い内でなければ鍛えられないということをこの歳になって初めて知った。鍛えても現状維持が精一杯だ。これを虚しいことと思わずに、元気でいられることを喜びとするように意識を変革する必要がある。
長寿社会になったとは言え年々老化することは避けられない。視力は衰える一方で回復することは無かろう。感情や気力まで衰える。老化すればするほど楽しめることが減ってしまう。金銭的に余裕があればリタイアは早いほど良い。早いほど自由を満喫できる。
金からの自由は時間の自由だ。サラリーマン時代、私の時間の大半が企業のものだった。勤務時間中だけではなく、殆んど毎日、仕事を持ち帰っていた。三十余年間、仕事のために時間を費やしていた。この期間があるからこそ今の貯えも年金もある。しかし無駄な時間だった。大半が業界内どころか社内でしか役に立たない知恵と知識だ。この期間にもっと学問やスポーツに励んでいたらずっと賢く健康になっていただろう。
この三十余年のハンディは大きい。私が社内でしか役に立たない知識と知恵を蓄えている間に学者は学識を深め、アスリートは体を鍛えていた。この遅れを取り返すことは不可能だ。
企業は人の一番良い時間だけを奪う。20代から50代の自立できる期間だけ雇用してその後は使い捨てる。定年が60歳から65歳に延長されることによって自由な時間は一層短くなる。
老後になって自由を得てもそれはかなり不自由な自由だ。若い内の自由こそ望ましい。頭も体も若い内でなければ鍛えられないということをこの歳になって初めて知った。鍛えても現状維持が精一杯だ。これを虚しいことと思わずに、元気でいられることを喜びとするように意識を変革する必要がある。
長寿社会になったとは言え年々老化することは避けられない。視力は衰える一方で回復することは無かろう。感情や気力まで衰える。老化すればするほど楽しめることが減ってしまう。金銭的に余裕があればリタイアは早いほど良い。早いほど自由を満喫できる。