俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

定義

2014-04-18 10:17:47 | Weblog
 STAP細胞が存在するか否かを問う前にSTAP細胞とは何かを定義する必要がある。この定義が曖昧なままで議論をしても無意味だ。
 先に結論を言えば、夢の万能細胞としてのSTAP細胞の存在は未だ証明されていない。理化学研究所の笹井副センター長の言うとおり「合理性の高い仮説」に過ぎない。笹井氏は定義の曖昧なSTAP細胞という言葉を避けて極力STAP現象という言葉を使っていたようだがこれは賢明な判断だ。
 では小保方博士は嘘を言っているのか?そうではない。博士は多機能細胞と思える物を200回以上作った。これがSTAP細胞であるかどうかは今後検証されねばならない。それまでは万能細胞ではなく多機能細胞らしき物に過ぎない。
 現時点では万能細胞とは証明されていない。STAP細胞である可能性のある多機能細胞しか生まれていない。当たり前の話だが多機能細胞と万能細胞は別の物だ。
 STAP細胞であり得る多機能細胞を小保方博士らのチームが作ったということは事実だろう。しかし現時点でこれをSTAP細胞と認めることはできない。万能性が認められて初めてSTAP細胞と認められる。
 ゴチャゴチャ書いたが要するに、小保方博士は万能細胞になり得る多機能細胞をSTAP細胞と呼んでおり、理研は万能性を証明して初めてSTAP細胞と認める、従って現時点ではSTAP細胞と認めないというスタンスだろう。
 卑近な寓話を使えば、100mを10秒で走った選手が「一流選手の仲間入りをした」と言ったことに対して日本陸連が「9秒台でなければ一流ではない」と否定するようなものだ。どちらも間違ってはいない。「一流」の定義が違うだけだ。
 せっかくの大発見をまともな議論もせずに捏造・改竄と罵倒して泥仕合にしてしまったのは理研の組織的欠陥が原因だ。理研は科学者の烏合の衆に過ぎない。組織が巧妙に連動する高度な多細胞生物ではなく低級な単細胞生物の寄りあい所帯だからやることがバラバラになる。個々の選手は優秀でもチームプレーのできないくずサッカーチームのようなものだ。全く残念なことだが、このままでは小保方博士はアメリカに行ってしまうのではないだろうか。その場合、願わくば、日本人女性で最初のノーベル賞受賞者として近い将来に凱旋帰国して欲しいと思う。

オスの数

2014-04-18 09:37:42 | Weblog
 人類はオスとメスがほぼ同数だ。これは単純な事情に基づく。仮にオスが少なければそのオスの子孫はどのメスの子孫よりも多くなるだろう。つまりオスを産むことが適応となるからオスを産み易いという遺伝子が増える。そうなると今度はオスが増え過ぎて子孫を残しにくくなる。その結果、逆にメスを産み易いという遺伝子が有利になる。こんなことを繰り返していればオスとメスが同数ということでバランスが保たれる。
 これは自然状態での話だ。自然状態であれば「神の見えざる手」である淘汰の法則が働いて平衡に至る。しかし人為が働けばとんでもないことが起こる。戦争で死ぬのは男が圧倒的に多い。そうなると女が余る。イスラム教が一夫多妻制を採ったのは絶えざる戦争で男の数が少なかったからだと言われている。
 性医学の発達に伴って男女の産み分けが可能になりつつある。男児を好む中国では明らかに男女比がアンバランスになっている。今のところこの事態に対する対策は実施されていないようだが、確実に男が余るのだから本来、何らかの対策が必要な筈だ。
 もし人口を増やしたいのなら男を少なく女を多くすれば良い。男は無数回授精できるが女はせいぜい30回ぐらいしか受精できないからだ。実際ギネスブックに依れば最も子沢山の男が888人に対して女は69人であり、10倍以上の差がある。少数の男と多数の女という社会で一夫多妻制を採れば人口は最も効率良く増える。中国で起こっていることはこの逆であり、多数の男と少数の女という社会になっている。中国共産党がこの異常な事態を放置しているのは人口抑制が狙いだろう。政治的意図によって余ってしまう男は伴侶を得るために過酷な競争を強いられる。この人為的な過度の競争社会も共産党の思う壺だろう。このことによって多くの男の不幸と引き換えに社会の繁栄が築かれている。これは個人を犠牲にして社会を栄えさせようというとんでもない理念だ。