俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

邪教

2014-04-08 10:06:14 | Weblog
 邪教は間違った宗教だ。邪教は二重三重に悪い。邪教は人を正しい道へと導かずに悪事を重ねさせる。正しい教えを最も妨害するのは邪教だ。邪教は滅ぼさねばならない。邪教徒を殺すことは邪教徒本人のためにもなる。それ以上悪事を重ねることからの解放だからだ。
 こんな無茶苦茶な理屈を使うのはオウム真理教だけではない。キリスト教もイスラム教もあるいは日本の鎌倉仏教もこんな理屈に基づいて宗教戦争を続けていた。日本から宗教戦争が無くなったのは一重に織田信長の功績による。こんな理不尽な集団を武力で鎮圧して強制的に武装解除をさせたからだ。
 織田信長や徳川家康などがキリスト教を嫌ったのは排他性が顕著だったからだろう。一神教であるキリスト教は鎌倉仏教以上に排他的かつ暴力的だった。こんな危険思想を認める訳には行かなかった。
 理性に基づいて信じたことであればそれに背く事実を提示することによって考えを改めることができる。しかし理性に基づかずに信じていることを反証することは不可能だ。宗教が論争にならず対立の火種になるのはこんな事情からだろう。宗教に頼った秩序や平和は贋物だ。嘘に基づく安泰は砂上の楼閣に過ぎない。
 共産主義もマルクス教という宗教だった。論理ではなく教条主義が支配していた。共産党あるいは独裁者の決定が事実よりも優先する。だから邪教徒は粛清される。ソ連・中国・カンボジア・北朝鮮などでの大量粛清の歴史はこのことを証明する。
 事実は必ずしも美しくない。どんな美女でも性器は醜い。美人モデルがみっともない姿を晒すこともある。事実に対しては清濁併せ飲まねばならないが虚構なら常に美しいものであり得る。だから人は事実よりも虚構を好む。宗教という嘘に頼ることは虚構を愛して事実を否定することだ。虚構と虚構との対立であればまともな方法では解決できない。

英語教育

2014-04-08 09:39:37 | Weblog
 近頃は小学校でも英語を教えているがこれは必要なことだろうか。優先順位が違うだろう。小学生に必要なのは日本語教育と情操教育と体育だろう。これらを疎かにしてまで英語を学ばせる必要は無い。私自身、この歳になっても毎日、日本語力の不足に悩んでいる。文章を書いても修正に次ぐ修正で元の文章が跡形も無くなるほど表現力が拙い。日本語力の向上は私にとっては今尚、大きな課題だ。
 英語を学ばせるよりも国語教育の見直しのほうが急務だろう。そもそも教師が国語教育の重要性を理解していない。日本語なんて自然に身に付くと思っているから授業では教科書を読むだけ、試験では漢字の読み書きで点差を付けることしか考えていない。
 国語教育で最も重要なのは読解力と表現力だと私は考える。つまり思考力だ。国語教育を通じて思考力が育まれる。
 意外と気付かれないことだが、言葉が変われば思考パターンも変わる。日本語では「会議で決まった」だが英語なら「(我々が)会議で決めた」と表現する。私は英語を使うと自己主張が強くなる。それは`I want'と明確に意思表示をするからだ。そんな文法だからそう考えてそう表現する。個人的には極力言葉以前のレベルで考えようとしているが表現するためには言葉に頼らざるを得ない。アインシュタインは「科学者は頭の中では数式を使わない」と言っているが表現する時には数式に頼る。
 他の言語により他の思考パターンを身に付けることは必要だがそれは第一の思考力が身に付いてからでも充分だろう。ある調査によると日本語力の高い人ほど英語修得能力も高いそうだ。
 外国語を修得するためには多大な時間が掛かり、その割に役に立たない。私は英・独・仏・ラテン・ギリシア語を学んだが、海外旅行での英語以外は殆んど使うことは無い。外国語の学習は実際に使う機会の無い人にとっては全く役に立たないものだ。英語教育に貴重な時間を割くぐらいなら道路交通法でも教えたほうがずっと有益だろう。
 小学生に必要なのは国語教育と情操教育と体育だ。しかし情操教育もまた酷く歪められて道徳教育にされつつあるようだ。体育は東京オリンピックのためのスポーツエリート養成が偏重されそうだが重要なのは全員の基礎運動能力の育成だろう。こんな変な教育ばかりをしているようでは日本の将来が心配になる。