民法には過失相殺という概念がある。これは素晴らしい考え方であり刑法や憲法あるいは国際法にも導入して貰いたいと思う。
例えば歩きスマホでぶつかった場合、歩きスマホ側が一方的に悪い訳ではない。多分、相手側も余所見をしていたからぶつかったのだろう。歩きスマホ側には客観的な落ち度があり、相手側の落ち度は曖昧だ。これに白黒を付けようとするなら歩きスマホ側が悪いということになる。こんな時に便利なのが過失相殺だ。歩きスマホ側の落ち度を8割、相手側を2割とする。言わば喧嘩両成敗だ。
暴力を肯定する気は無いが、暴力に訴えた側が一方的に悪いとする風潮にも賛同できない。シカトなどの非暴力のいじめに対して暴力を使った場合、暴力を使った側が一方的に悪いとされる。悪者にされないためには被害者になるしか無い。だから自殺という手段に訴えて究極の被害者になる。
刑事裁判でも多くの被害者は決して無辜ではない。借金を返さないなど様々な悪事を重ねていることが少なくない。積もり積もった怒りをぶつけた加害者を一方的に悪人とすることには納得できない。過失相殺に相当する概念があるべきだろう。「情状酌量」が近い意味で使われるがこれは裁判官による温情判決だ。もっと積極的に被害者側における違法行為を考慮すべきだろう。
中国は尖閣諸島で日本を挑発する。国際法では挑発に乗せられたほうが悪いとされるが、度重なる挑発に問題は無いのだろうか。アメリカによる挑発に乗せられて開戦した大日本帝国は愚かな選択をしたが、挑発した側に全く責任が無いとは思えない。
原因と結果は一対一対応するものではない。小さな悪事を積み重ねれば「点滴石を穿つ」ということにもなりかねない。耐えかねて報復する者だけを断罪するのは片手落ちだ。
昔から「泥棒にも三分の道理」と言うように加害者が100%悪いとは限らない。通り魔事件は論外だが、刑事事件で被害者を善、加害者を悪と決め付ける善悪二分論には疑問を感じざるを得ない。悪事を重ねたからこそ被害者になった人は決して少なくない。
例えば歩きスマホでぶつかった場合、歩きスマホ側が一方的に悪い訳ではない。多分、相手側も余所見をしていたからぶつかったのだろう。歩きスマホ側には客観的な落ち度があり、相手側の落ち度は曖昧だ。これに白黒を付けようとするなら歩きスマホ側が悪いということになる。こんな時に便利なのが過失相殺だ。歩きスマホ側の落ち度を8割、相手側を2割とする。言わば喧嘩両成敗だ。
暴力を肯定する気は無いが、暴力に訴えた側が一方的に悪いとする風潮にも賛同できない。シカトなどの非暴力のいじめに対して暴力を使った場合、暴力を使った側が一方的に悪いとされる。悪者にされないためには被害者になるしか無い。だから自殺という手段に訴えて究極の被害者になる。
刑事裁判でも多くの被害者は決して無辜ではない。借金を返さないなど様々な悪事を重ねていることが少なくない。積もり積もった怒りをぶつけた加害者を一方的に悪人とすることには納得できない。過失相殺に相当する概念があるべきだろう。「情状酌量」が近い意味で使われるがこれは裁判官による温情判決だ。もっと積極的に被害者側における違法行為を考慮すべきだろう。
中国は尖閣諸島で日本を挑発する。国際法では挑発に乗せられたほうが悪いとされるが、度重なる挑発に問題は無いのだろうか。アメリカによる挑発に乗せられて開戦した大日本帝国は愚かな選択をしたが、挑発した側に全く責任が無いとは思えない。
原因と結果は一対一対応するものではない。小さな悪事を積み重ねれば「点滴石を穿つ」ということにもなりかねない。耐えかねて報復する者だけを断罪するのは片手落ちだ。
昔から「泥棒にも三分の道理」と言うように加害者が100%悪いとは限らない。通り魔事件は論外だが、刑事事件で被害者を善、加害者を悪と決め付ける善悪二分論には疑問を感じざるを得ない。悪事を重ねたからこそ被害者になった人は決して少なくない。