俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

労働力自給

2014-06-05 09:40:25 | Weblog
 かつて大勢の日系ブラジル人を労働者として輸入した時代があった。彼らは景気が悪化すると真っ先に職を失い、不法滞在する者や生活保護費を受給する者、あるいは犯罪によって生計を立てる者まで現れた。
 労働者の輸入を主張する人はこんな歴史を忘れている。輸入労働者は文化が異なる上に多くの人は技術力も無い。ただの低賃金使い捨て労働者に過ぎない。使い捨てにされる側も堪ったものではないが、ドイツなどではトルコ人労働者が社会問題になっている。
 様々な事情があるのだが、外国人の犯罪率は高い。これは全くの偶然だが、私が最近特に不快に思った2つの殺人事件、大阪・西成区での准看護師遺体宅配事件と栃木県での小1女児殺人事件の犯人はそれぞれブラジル人と台湾人だった。
 食料ではなく労働力こそ自給すべきだろう。労働力が足りなくなる?良いことではないか。労働力が足りなければ賃金が上がる。これでワーキングプアの問題が解消する。失業率も下がる。このことのどこに問題があるのだろうか。事業に労働者数を合わせるのではなく労働力に見合った事業があるべきだろう。
 労働者を輸入したいのなら生涯面倒を見る覚悟が必要だ。輸入した企業が老後まで責任を負うべきだ。退職後の生活を国に任せるのではなく輸入した企業が責任を負うべきだ。企業にそんな覚悟は無かろう。若い内しか雇用しない使い捨て労働者の後始末は国(国民)がその後の負担を押し付けられている。
 労働者が少なくなれば24時間営業の店の内、幾らかが閉店や営業時間短縮を余儀なくされるだろう。それも良いことだ。生き残るのは高賃金によって労働力を確保した優良企業であり、競合が減るので業績も向上するだろう。逆に閉店になるのは低賃金労働に頼ったブラック企業だろう。
 労働力を輸入しようとするのは低賃金という仕組みを温存したいからだ。低賃金労働という悪しき仕組みを破壊するためにも労働力の自給を測るべきだ。使い捨ての労働力になど頼るべきではない。