自動車であれ飛行機であれエネルギーがあれば動く。このことから類推してカロリー論が生まれたと思われる。エネルギー万能主義の一元論がまるで科学そのものであるかのように誤解された時代があり、これが敷衍されてフロイトのリビドー論や栄養学のカロリー論に繋がったものと思える。
しかしこの類推は大きな見落としをしている。機械にはエネルギーだけではなくメインテナンスが必要だ。部品の修理・交換や連結部の円滑化などが欠かせない。これを怠れば機械は正常に稼動しなくなる。カロリー論ではこの視点が欠けている。動物はメインテナンスのための素材を食物として摂取せねばならないということが忘れられている。
人体は約7割が水分で残りの大半が蛋白質と脂質だ。つまりメインテナンスを担う栄養素は蛋白質と脂肪であり、エネルギー源にしかならない炭水化物とは全く別枠で考える必要がある。
蛋白質と脂肪はまずメインテナンスのために使われる。使いきれない分だけがエネルギー源にも充当される。
炭水化物はエネルギー源としてしか使い道が無い。だから余った分は脂肪に変形して蓄えられる。この脂肪はあくまで備蓄のためのものであり、人類は必須脂肪酸を合成する能力を持っていない。必須脂肪酸は食物として摂り入れるしか無い。つまり必須脂肪酸と皮下脂肪・内臓脂肪はどちらも「脂肪」と呼ばれているが全く別の物だ。
日本人は蛋白質と必須脂肪酸を充分に摂取しているだろうか。多分、不充分だろう。特に脂肪は高カロリーとして忌避され勝ちだ。ここにカロリー主義の欠陥がある。摂取される脂肪の主たる用途はメインテナンスだ。メインテナンスに使った残りだけがエネルギーとして使われる。つまり現代の栄養学の常識とは違って、脂肪がカロリーとして使われるのはそのごく一部に過ぎない。摂取される脂肪の多くは体細胞のメインテナンスに使われるのでカロリー源としては大きくならない。どちらも「脂肪」と呼ばれているので混同され勝ちだが必須脂肪酸と体脂肪・内臓脂肪は全く別のものだ。
蛋白質についても同じことが言える。蛋白質も大半がメインテナンスに使われるのでカロリー源にはなりにくい。
炭水化物偏重の食事を続ければメインテナンスをしない機械のようになる。つまりポンコツの自動車に満タンのガソリンを入れているようなものだ。これでは燃費が悪いしすぐに故障してしまいそうだ。栄養学の根本的な見直しが急務と思われる。
しかしこの類推は大きな見落としをしている。機械にはエネルギーだけではなくメインテナンスが必要だ。部品の修理・交換や連結部の円滑化などが欠かせない。これを怠れば機械は正常に稼動しなくなる。カロリー論ではこの視点が欠けている。動物はメインテナンスのための素材を食物として摂取せねばならないということが忘れられている。
人体は約7割が水分で残りの大半が蛋白質と脂質だ。つまりメインテナンスを担う栄養素は蛋白質と脂肪であり、エネルギー源にしかならない炭水化物とは全く別枠で考える必要がある。
蛋白質と脂肪はまずメインテナンスのために使われる。使いきれない分だけがエネルギー源にも充当される。
炭水化物はエネルギー源としてしか使い道が無い。だから余った分は脂肪に変形して蓄えられる。この脂肪はあくまで備蓄のためのものであり、人類は必須脂肪酸を合成する能力を持っていない。必須脂肪酸は食物として摂り入れるしか無い。つまり必須脂肪酸と皮下脂肪・内臓脂肪はどちらも「脂肪」と呼ばれているが全く別の物だ。
日本人は蛋白質と必須脂肪酸を充分に摂取しているだろうか。多分、不充分だろう。特に脂肪は高カロリーとして忌避され勝ちだ。ここにカロリー主義の欠陥がある。摂取される脂肪の主たる用途はメインテナンスだ。メインテナンスに使った残りだけがエネルギーとして使われる。つまり現代の栄養学の常識とは違って、脂肪がカロリーとして使われるのはそのごく一部に過ぎない。摂取される脂肪の多くは体細胞のメインテナンスに使われるのでカロリー源としては大きくならない。どちらも「脂肪」と呼ばれているので混同され勝ちだが必須脂肪酸と体脂肪・内臓脂肪は全く別のものだ。
蛋白質についても同じことが言える。蛋白質も大半がメインテナンスに使われるのでカロリー源にはなりにくい。
炭水化物偏重の食事を続ければメインテナンスをしない機械のようになる。つまりポンコツの自動車に満タンのガソリンを入れているようなものだ。これでは燃費が悪いしすぐに故障してしまいそうだ。栄養学の根本的な見直しが急務と思われる。