俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

結婚退職

2014-06-08 10:10:38 | Weblog
 同期入社の女子社員に京大卒と阪大卒が一人ずついた。二人とも役職に就く前に結婚退職した。非常に性格の良い部下がいて誰からも好かれていた。彼女も役職に就く前に結婚退職した。有能な部下がいた。彼女は結婚・出産後も働き続けて今では管理職になっている。彼女が仕事を続けられたのは夫婦揃って大阪市の出身で、どちらの実家も市内にあるという稀有な幸運に恵まれていたからだろう。
 私はこの4人のそれぞれの生き方を批判しない。当たり前だ、それぞれが最善と思う進路を選んだのだから他人がとやかく言えることではない。浅田真央選手がどれほど優れたアスリートであろうともその進路を他人が指図できる訳ではない。
 社会的地位の高い女性が少ないことは日本社会の大きな欠陥だと私も思う。しかし個人の力でそれを克服することは困難だ。家電や外食の充実によって殆んどの家事が著しく楽になった。しかし育児だけはそうではない。育児は片手間ではできないしIT化も今のところ困難だ。家事と仕事を両立できるのは政治家か公務員か自由業者だけだろう。民間の仕事は女性であろうと深夜勤務を強いる過当競争の社会だ。仮に育児と仕事を両立できる程度しか働かなければ、エリートから落ち零れに格下げされる。つまり高い地位など望みようが無くなる。
 解決策は1つしか無い、親との同居だ。妻の側は実母との同居を望むだろうが、それに賛成するマスオさんのような夫ばかりではない。多くの夫は自分の両親との同居を希望するだろう。これは解決し難い問題だ。夫の両親と同居して姑から嫌味を言われながらもキャリアウーマンの道を歩めるものだろうか。それよりも仕事を諦めて専業主婦になったほうが自由に生活できると考えるだろう。
 多くの鳥が一夫一妻制を採るのはそれだけ子育てが大変だからだ。両親が全力で子育てに励まなければ雛は育たない。人間の子育ては鳥以上に大変だ。両親が共に長時間労働者であれば育児は殆んど不可能だろう。子供か仕事かの二者択一であれば、子供を選ぶことは決して間違った選択とは思えない。

部分最適

2014-06-08 09:36:44 | Weblog
 企業人事などでもそうだが、部分最適と全体最適は両立しない。良い人材を抜かれた部署は不利になるし、碌でなしを押し付けられたら迷惑だ。それでも全体最適を優先すべきだろう。
 医療はこれまで部分最適ばかりが優先されて全体最適が顧みられることは余りにも少なかった。専門化の弊害だ。コレステロール値が高ければ薬によって無理やり下げて、それが原因となって癌や鬱病などに罹って却って寿命を縮めることさえあった。全体を診ずに部分ばかりを診るからこんな馬鹿なことが頻発している。
 批判も少なくないが、日本人間ドック学会による健康基準値の見直しは快挙だと思う。全体を診るという視点からの見直しだからだ。本来ならこれは厚生労働省がやるべきことなのだが、鼻薬が効き過ぎているようで厚労省は職責を果たそうとはしない。基準作りを専門学会に任せてしまえば無茶苦茶な基準が作られることなど初めから分かっていることだ。これは泥棒に刑法を作らせる、あるいは政治家に政治資金規正法を作らせるようなものだ。
 専門医が厳しい基準を設けたがる理由は2つある。1つは患者つまり客を増やすためであり、もう1つは予防原則だ。食品添加物がそうであるように、基準を厳しくすれば安全性は高まる。とりあえず危険としておけば規制する側も安全だ。患者も安全、医師も安全ということであれば誰も文句を言えない。厳しい基準にすれば安全性が高まってしかも客が増えるということになって一石二鳥だ。病気ではない患者を医師は「美味しい患者」と呼んでいるらしい。厳しすぎる基準は小雨でも出される避難指示のようなものであり雨が降る度に万一に備えて非難させられていては堪らない。これは過剰予防と言えるだろう。
 厳し過ぎる基準値が多くの医原病を招いている。複数の異常を指摘された本来健康である人が薬漬けにされてその副作用で健康を損なうことが少なくない。本来、毒である薬を複数投与されればその「飲み合わせ」によって危険性は更に高まる。今回の見直しによって医原病が減り医療費の無駄遣いも減ればこれこそ本当に良い一石二鳥だ。