昔、沖縄のビーチでこんな経験をした。比較的深い場所で水遊びをしていた女性の股の間を海蛇が通り抜けるのを見た。私は大慌てで浜に上がり監視員にそのことを告げた。彼は全く意に介せずに放置した。私は怖くてしばらく水に入れなかった。
ゴーグルを使って泳ぐ私だけがそこに海蛇がいることを知っていた。他の人は知らないから安心し切って水遊びを続けていた。海蛇がいることを知っている私は危険と考え、他の人は綺麗な海に毒獣はいないと思って安心し切っていた。
南の海にはクラゲが多い。晴れていればその姿を確認できるが曇ると殆んど見えなくなる。だから私は晴れている間しか泳がない。しかしクラゲがいることを知らない人は曇っていても平気で泳ぐ。危険な動物がいることを知らない人は安心している。知っていれば危険と考える。
安心の多くは無知に基づく。薬は実は危険物だ。医師が処方する薬だけではなく市販薬でも多くの薬害が発生している。殆んどの人はタミフルや子宮頸癌ワクチンなどマスコミが騒いだ特定の薬だけが危険だと思っているが、実は殆んどの薬が危険物だ。副作用の無い薬は無く、薬の本質は人体に異常反応を起こさせる劇物だ。よく効く薬とは同時に副作用の大きい薬でもある。薬効とは危険な綱渡りのようなものだ。
マスコミが報じない薬害が大量に発生していることを人々は知らない。知人が薬害に会ってもそれはアレルギーのような特殊な例と考える。これは海蛇やクラゲがウヨウヨいる海で平気で泳いでいるようなものだ。その危険性を知っていれば泳がないが知らない人は平気で泳いでいる。たとえ鮫がいても誰かが騒ぐまでは安心し切っている。
製薬会社による不祥事が相次いでいても、食品メーカーとは違ってボイコットされないのだから薬の市場は摩訶不思議な世界だ。多分CMによる効果が絶大なのだろう。製薬会社はマスコミにとって最大のスポンサーだ。スポーツ選手などを使った派手なCMによってイメージを高めており、同時にマスコミが悪い情報を自粛しているからこそ国民から信頼され間違った安心感が植え付けられているのだろう。
安心とは論理ではなく感情だからデータよりもイメージのほうが有効だ。安全かどうかは事実に基づくが、安心へと導くのは殆んど偏見にも等しい情動だ。
ゴーグルを使って泳ぐ私だけがそこに海蛇がいることを知っていた。他の人は知らないから安心し切って水遊びを続けていた。海蛇がいることを知っている私は危険と考え、他の人は綺麗な海に毒獣はいないと思って安心し切っていた。
南の海にはクラゲが多い。晴れていればその姿を確認できるが曇ると殆んど見えなくなる。だから私は晴れている間しか泳がない。しかしクラゲがいることを知らない人は曇っていても平気で泳ぐ。危険な動物がいることを知らない人は安心している。知っていれば危険と考える。
安心の多くは無知に基づく。薬は実は危険物だ。医師が処方する薬だけではなく市販薬でも多くの薬害が発生している。殆んどの人はタミフルや子宮頸癌ワクチンなどマスコミが騒いだ特定の薬だけが危険だと思っているが、実は殆んどの薬が危険物だ。副作用の無い薬は無く、薬の本質は人体に異常反応を起こさせる劇物だ。よく効く薬とは同時に副作用の大きい薬でもある。薬効とは危険な綱渡りのようなものだ。
マスコミが報じない薬害が大量に発生していることを人々は知らない。知人が薬害に会ってもそれはアレルギーのような特殊な例と考える。これは海蛇やクラゲがウヨウヨいる海で平気で泳いでいるようなものだ。その危険性を知っていれば泳がないが知らない人は平気で泳いでいる。たとえ鮫がいても誰かが騒ぐまでは安心し切っている。
製薬会社による不祥事が相次いでいても、食品メーカーとは違ってボイコットされないのだから薬の市場は摩訶不思議な世界だ。多分CMによる効果が絶大なのだろう。製薬会社はマスコミにとって最大のスポンサーだ。スポーツ選手などを使った派手なCMによってイメージを高めており、同時にマスコミが悪い情報を自粛しているからこそ国民から信頼され間違った安心感が植え付けられているのだろう。
安心とは論理ではなく感情だからデータよりもイメージのほうが有効だ。安全かどうかは事実に基づくが、安心へと導くのは殆んど偏見にも等しい情動だ。