俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

危険と安心

2014-07-09 10:19:47 | Weblog
 昔、沖縄のビーチでこんな経験をした。比較的深い場所で水遊びをしていた女性の股の間を海蛇が通り抜けるのを見た。私は大慌てで浜に上がり監視員にそのことを告げた。彼は全く意に介せずに放置した。私は怖くてしばらく水に入れなかった。
 ゴーグルを使って泳ぐ私だけがそこに海蛇がいることを知っていた。他の人は知らないから安心し切って水遊びを続けていた。海蛇がいることを知っている私は危険と考え、他の人は綺麗な海に毒獣はいないと思って安心し切っていた。
 南の海にはクラゲが多い。晴れていればその姿を確認できるが曇ると殆んど見えなくなる。だから私は晴れている間しか泳がない。しかしクラゲがいることを知らない人は曇っていても平気で泳ぐ。危険な動物がいることを知らない人は安心している。知っていれば危険と考える。
 安心の多くは無知に基づく。薬は実は危険物だ。医師が処方する薬だけではなく市販薬でも多くの薬害が発生している。殆んどの人はタミフルや子宮頸癌ワクチンなどマスコミが騒いだ特定の薬だけが危険だと思っているが、実は殆んどの薬が危険物だ。副作用の無い薬は無く、薬の本質は人体に異常反応を起こさせる劇物だ。よく効く薬とは同時に副作用の大きい薬でもある。薬効とは危険な綱渡りのようなものだ。
 マスコミが報じない薬害が大量に発生していることを人々は知らない。知人が薬害に会ってもそれはアレルギーのような特殊な例と考える。これは海蛇やクラゲがウヨウヨいる海で平気で泳いでいるようなものだ。その危険性を知っていれば泳がないが知らない人は平気で泳いでいる。たとえ鮫がいても誰かが騒ぐまでは安心し切っている。
 製薬会社による不祥事が相次いでいても、食品メーカーとは違ってボイコットされないのだから薬の市場は摩訶不思議な世界だ。多分CMによる効果が絶大なのだろう。製薬会社はマスコミにとって最大のスポンサーだ。スポーツ選手などを使った派手なCMによってイメージを高めており、同時にマスコミが悪い情報を自粛しているからこそ国民から信頼され間違った安心感が植え付けられているのだろう。
 安心とは論理ではなく感情だからデータよりもイメージのほうが有効だ。安全かどうかは事実に基づくが、安心へと導くのは殆んど偏見にも等しい情動だ。

ありのまま

2014-07-09 09:43:09 | Weblog
 「アナと雪の女王」の主題歌「ありのままで」が大ヒットしたが、人はありのままが大嫌いだし、ありのままを知覚することさえできない。人が知覚するのは主に「あるべきもの」だ。
 知覚できるのは現象に過ぎず物自体を知ることはできないとするのがカントの認識論だが、もっと卑近な例を挙げよう。赤外線や紫外線が見える動物がいるが、我々はそれがどんな色なのか想像することもできない。あるいは赤緑色盲であれば赤と緑が区別できないが、それがどんな世界なのか正常者は想像できない。
 味覚においても味盲があるのだから人それぞれが知覚する味は異なると考えて良かろう。聴覚も歳を取れば高音が聞こえにくくなる。ありのままに知覚することは不可能であり、それぞれが自分に可能なものを知覚するだけだ。
 虹は幾つの色から成るか?日本人は7色と言うがドイツ人は5色と考える。虹のスペクトルは無数の色によって構成されているが名付けられた色だけを認識する。意識して見れば黄緑などの色も見える。
 日本語の古語では色は白・黒・赤・青の4色しか無かったと思われる。この4色だけが「~い」を付けて形容詞として使用できるからだ。黄色い・茶色いも形容詞になるがずっと後に作られた言葉だろう。だから緑色の信号も緑色の葉も「青い」と表現するし、ピンクを「赤い」と言う。その一方で「四十八茶百鼠」と言うように、茶色だけで48種、グレーを100種に分類することも可能だ。
 物事は区別することによって理解される。分かるとは分けるであり分別(ふんべつ)とは分別(ぶんべつ)することだ。区別することによって混沌(カオス)は秩序(ロゴス)に変わる。理性は曖昧さを嫌う。
 日本人はLとRを区別できないと言うが、フランス人はHを発音できないから花が「アナ」になる。彼らはそれを恥じることなく逆にH音の多いドイツ語を「馬の言葉」と馬鹿にする。各文化が必要な音を選ぶから使わない音は分からなくなる。
 人は信念を補強する情報を喜んで受け入れるが信念を揺るがせる情報は毛嫌いしてすぐに忘れてしまう。その傾向が強い人を頑固者と呼ぶ。
 各民族が違った音や色を認識するようにそれぞれが固有の共同幻想に基づいて生きている。それが危険なものでない限りお互いに尊重することが相互理解に繋がる。人は異なった文化の中で育つのだから独自の枠組みを持つ。グローバルスタンダードに無理やり同調する必要は無い。