俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

追い出し部屋(2)

2014-07-26 10:14:42 | Weblog
 19日付けの朝日新聞によると、リコーが「追い出し部屋」への出向を取り消すことにしたそうだ。昨年11月の東京地裁による「人事権の乱用であり無効」とする判決に対する控訴を取り下げて和解が成立したらしい。リコーの追い出し方は事務職の者を物流子会社に出向させて配送作業をさせるというものだったが、もっと過酷な追い出し方がある。
 ある百貨店は警備会社を子会社として作り「希望退職」に応じない者を警備員として出向させた。警備会社という所がミソだ。深夜・早朝勤務のための泊まり込み勤務が発生するからだ。
 通常、泊まり込みは決して過酷な業務ではない。警察・消防・自衛隊などであれば通常の業務だ。しかしこれらの職業を選択する人は元々寝付きが良くいつでもどこでも眠れる人だ。睡眠障害気味の人なら絶対に志望しない。
 百貨店は富裕層の子息を好んで採用する。親の財産があるから金に困って不正を働く者は少ないし、仮に不正が行われても事件にしないことを条件にして親に損害賠償をさせて示談で済ませる。百貨店の不祥事が稀にしか発覚しないのはこんな事情があるからだろう。
 こんなボンボン育ちだから子供の頃から個室が与えられ枕や布団にも拘る人が多い。そんな人を大部屋で雑魚寝をさせるのだから眠れない人が大半だ。24時間勤務であろうとも最初から眠ることを諦めている人もいるそうだ。しかし元々眠ることが下手な人が中高年になってから突然、睡眠のリズムを狂わされたら休日も上手く眠れなくなる。こうして睡眠障害や睡眠薬依存症になって何割かが勝手に辞めると言う。この場合は「会社都合」ではなく「自己都合」になるから退職金の割り増しも必要なくなる。貴重品預かりもせずに大部屋での雑魚寝をさせるから盗難も頻発し、このことも勤労意欲を喪失させる一因となっているようだ。
 警備員に格下げされるのは一般社員だけではなく何と店長経験者や時流に乗って生まれた女性管理職まで含まれる。百貨店の店長は役員クラスだ。役員であれば任期1年でクビにして役員に上がっていなければこうやって追い出す。この百貨店は本店の建て替えという特殊な事情を抱えていたとは言え、何とも酷い人事権の乱用だ。
 リコーの訴訟の後、この百貨店がどうしているのか知らない。ネットで調べても訴訟は見つからない。得意の示談に持ち込んでいるのだろうか。

原因

2014-07-26 09:34:23 | Weblog
 原因は常に複数あるものだ。
 例えば誰かが狙撃された場合、その原因は何だろうか。銃弾が当たったからとか、引き金が引かれたからとか言えば間違いなく馬鹿にされるが、これらが直接的な原因であることは確かだ。人は人的な原因を求めたがる。誰が撃ったのかということを問題とする。そして犯人と被害者との関係にも原因を求める。しかしこれらは社会通念に過ぎない。治療する医師にとっては誰が撃ったかということよりも銃弾がどう当たったかのほうが必要な情報だろう。
 北朝鮮からの密輸とか暴力団の存在とか無数の原因が挙げられる。どれを主因とするかはかなり恣意的なものだ。
 マレーシア航空機撃墜事件において、殆んどの人が誰が撃墜したのかを問う。ロシアだけがウクライナの治安悪化を非難した。このことだけで誰が犯人かは明白だ。犯人側の者だけが誰が犯人かという問題を避けようとするし真相解明の妨害をする。
 韓国では事故が起こる度に犯人探しが始まる。これは文明国にはあるまじきことだ。総ての事故を人為とする野蛮人の発想だ。文明以前であれば日蝕も旱魃も誰かのせいにされた。これではスケープゴートのようなものだ。人的な原因が総てではない。
 昔ジョーン・バエズという歌手の`What have they done to the rain?'という歌がありその邦題は「雨を汚したのは誰?」だった。原題のほうが格段に優れていると思う。
 事故の原因は人為的なものも技術的なものも制度によるものも不可避なものもあり得る。どれかを主因と決め付けることは作為に過ぎないことが多い。
 反省する人はどう考えるだろうか。二度とこんな失敗を繰り返すまいと考えるだろう。こうすることによって失敗を糧とした成長が期待できる。
 事故調査委員会という制度では事故の再発を防ぐという視点から事故の原因を調べる。本当に重要なのはこのスタンスであって犯人を罰することではない。警察と検察とマスコミだけが犯人探しに血眼になる。しかし犯人を罰しても犠牲者が蘇る訳ではない。最も大切なことは次のあるいは類似の犠牲者を出さないことだ。
 医療事故が起こるとマスコミはすぐに藪医者探しを始める。最も重要なことは適切な医療が行われたかどうかであり、この場合は事故という直接的問題よりも制度や慣習といった間接的問題のほうが重要なことが少なくない。