俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

捏造映像

2014-07-28 10:25:11 | Weblog
 中国の鶏肉加工工場での不適切な作業映像が公開され、日本のマクドナルドとファミリーマートがこの企業からの輸入品の販売を中止したが、この映像は捏造ではないだろうか。
 日本のテレビで放映された映像だけを見ても極めて不自然だ。潜入ルポの筈なのに作業中の従業員がインタビューに答えて内幕を暴露するし、傷んだ肉のズームアップ映像もある。潜入撮影であればこんなことは不可能な筈だ。
 テレビ局の編集のせいでこんな変な映像になったのかと思い、ネットでオリジナルの映像を調べて驚いた。オリジナルそのものがツギハギだらけだったからだ。ナレーションは当然中国語なので何を言っているのかさっぱり分からないが、盗撮映像とそうでないと思えるものがグシャグシャに入り混じっていた。日本人なら絶対に騙されないと思うほどレベルの低い映像だった。主に3つの捏造があった。
 どれも編集によって錯覚させることを狙ったものだ。作業現場の盗撮映像に続いてインタビューが始まるが、これは作業をしていた人とは別人と思われる。床に落ちた肉を拾うシーンや不良品を抜き取るシーンのすぐあとにそれぞれと同じ商品の作業工程の映像が入れられているが、これらの映像も別個のものを繋ぎ合わせている。編集が稚拙なのでフィルムを繋ぎ合わせた捏造であることがすぐに分かる。
 なぜこんな捏造をするのか。好意的に考えれば、視聴者に分かり易くするためだろう。多分、不正があったことは事実であり、それを伝えるための再現映像(つまりヤラセ)を報道として使っても構わないと考えているようだ。勿論これはチャイニーズ・スタンダードであって、日本でこんなことをやれば捏造報道だ。
 報道の自由の無い中国での正確な報道に対する意識は驚くほど低いようだ。もし捏造を指摘しても「分かり易くするために新たな撮影も付け足した」と堂々と答えるのではないだろうか。全く無邪気な捏造だ。これと比べれば、朝日新聞が誤報を訂正もせず「誤りだと証明されない限り正しい」と開き直ることのほうがずっと悪質な捏造だろう。
 それでも2つの疑問が残る。なぜ日本のマスコミはこんな子供騙しとしか思えない捏造映像を無批判で垂れ流すのかということと、なぜ中国は自国製品の評価を下げるような映像をわざわざ捏造するのか、ということだ。
 前者は簡単だ。国民が求める情報だからだ。中国嫌いの人が大喜びするだろうし、中国産は危ないという日本人の不安を裏付けることになるからだ。映像が捏造と分かっても日本のマスコミは責任を問われない。しかしプロとして全く恥ずかしいことだ。
 後者は「福喜食品」が外資系だからだろう。外資系企業の信頼性を失墜させることによって民族系企業の相対的地位を高めようとしているのではないだろうか。結果的に中国の食品全体の信頼性を損なうことになろうとも、全体の利害よりもまず目先の敵を叩くことが中国流なのだろう。中国史にはそんな実例が沢山ある。

伝達

2014-07-28 09:39:41 | Weblog
 人が何かをするのはそれを欲するからだと広く信じられている。私はこの理屈に対して不満を持ち続けている。一番最初にそれを表明したのは小学校4年生の時だ。先生が「やりたくないことをやったり行きたくない場所へ行った経験について話しなさい」と言った。同級生は床屋とか歯医者とかいった他人に強制されて行った場所を挙げた。私が「便所」と答えると一瞬、沈黙がありその後爆笑に変わった。多分ジョークだと思ったのだろう。この逆説に気付いた同級生が一人だけいて、彼はしばらくの間、トイレに行くことを「行きたくない場所に行く」と言って面白がっていた。
 大学生の時は積極的欲と消極的欲に分けようとした。食欲であれば美食欲と多食欲、性欲であれば愛情と欲情だ。前者は質を問い、後者は量を問う。前者は人類特有のものであり、後者は他の動物と共通の欲望だ。
 5月6日に「排泄欲」という記事を書いて初めて言わんとすることを表現できたように思った。「腰が痛くて背を曲げる老人に屈身欲がある訳ではない」つまり内的強制力によってそうせざるを得ないだけであってそうしたいという欲がある訳ではないということだ。私が何十年間、言いたいと思い続けていたことを何とか表現できたように思う。
 言語とは非常に不便な媒体だ。共有されない理念にはそれを表す言葉さえ無いのだから伝達は困難だ。言語化されていない理念を伝えるためには1編の小説、1本の映画が必要なのかも知れない。その意味で絶賛を惜しまないのはイソップ寓話だ。短い寓話によって深い思想が語られている。面白いことには「狼少年」や「酸っぱいブドウ」のように寓話がそのまま広く使われている。原文のsour grapeを「負け惜しみ」と翻訳した本に出合ったことがあるが、寓話を知る者にとっては「酸っぱいブドウ」と直訳されたほうがずっと分かり易い。
 「狼少年」の類義語として「朝日る」を挙げることができるが、狼少年ほどには普及していないし、その意味することが人によってかなり違うようだ。「朝昼」をもじった面白い言葉だが使いにくい。
 言語は非常に不便なツールではあるが、テレパシーによって直接伝えることなどできないのだから言語に頼らざるを得ない。伝えるためには様々なジャンルの知識を得て具体例を示し、同時に表現力を高める必要がある。伝えられないのは相手ではなく自分の能力が足りないからだ。