俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

加工肉(2)

2014-08-11 10:15:32 | Weblog
 昨年暮れの食品偽装騒動の折り、贋ステーキ肉としてインジェクション加工肉がしばしば採り上げられた。私はこの加工肉を決してネガティブには捕えない。むしろ安い肉を美味しく食べる優れた技術と評価する。私は大阪在住期間が長いので「安くて旨い」ということを重要視する。
 和牛の旨みは脂にある。脂が霜降り状で肉に混じることによって両者が渾然一体となった旨さになる。赤身の肉も旨いが適量の脂が混じれば一層旨くなる。
 昨年暮れの騒動で初めてインジェクション加工の現場をテレビで見た。まるで剣山のように並んだ注射器を、赤身の肉に差し込んで脂を注入する。脂が注入された肉は大きく膨らむ。これによって脂と肉が絶妙のバランスとなる。
 脂は良質の和牛から取ったものだ。昨今の「ヘルシー志向」もあって脂の多過ぎる肉は嫌われる。多過ぎる脂を削ぎ落とした廃物がインジェクション加工に使われる。脂の多過ぎる肉から削ぎ落とした脂を、脂の足りない肉に添加するのだからどちらの肉質も向上する。和牛の旨みのエッセンスは脂なのだから良質の脂を使うことによって極上肉に近い味わいになる。
 これは決して偽装などではない。素晴らしい技術だ。多過ぎる脂を削ってその脂を有効活用するのだから貴重な食資源を最大限に利用できる。安い肉を美味しく食べる素晴らしい技術だと思っている。料理の「料」は素材を指し「理」は技術を意味する。良い素材を高い技術で調理したものが最高の料理だが、そんな贅沢をできるのは漫画の「美味しんぼ」の海原雄山か大金持ちだけだ。庶民にとっては二級の素材を美味しく食べることのほうが大切だ。安い肉も高い肉も栄養価は殆んど変わらないのだから、旨い不味いが唯一の価値基準になる。
 同じ価格のステーキであればインジェクション加工肉のほうが圧倒的に旨い。脂が違うからだ。こんな加工が邪道なら料理そのものまで偽装として否定される。料理とは美味しく食べるための加工に他ならない。この加工を調理場ではなく工場で行っているのだからセントラルキッチンのようなものだと私は考える。インジェクション加工は多分、日本独自の技術だろう。これを偽装ステーキなどと酷評して欲しくない。

手術

2014-08-11 09:38:58 | Weblog
 手術すべきかどうかを外科医に尋ねてはならない。必ずこう答えるだろう。「手術しなければ命の保証はできない。」
 こんな馬鹿な質問は無意味だ。ブティックで買うか買うまいかを店員(かつてはハウスマヌカンという妙な呼称が流布した時代があった)に尋ねれば買うことを勧められるに決まっている。「これとあれとどちらが良いか」と尋ねれば「両方良い」と答えるだろう。八百屋であれ株屋であれ、買わせることが彼らの仕事だ。
 外科医にとって手術は自分の仕事でありキャリアを積むためにも役立つ。簡単な手術なら喜んで切り、初めての手術なら練習を兼ねて切る。手術を勧めない外科医など皆無だろう。
 こうして不必要な手術が日常的に行われる。私の偏見かも知れないが、緊急時を除けば、手術によって寿命を延ばした人よりも縮めた人のほうが多いのではないだろうか。
 ある統計によれば手術後1か月以内に亡くなる確率は非常に高いそうだ。これが、重篤な状態だったから手術をせざるを得なかったのか、手術のせいで死んだのかは分からない。
 手術そのものが危険なだけではなく術後も危険だ。予後不良という言葉があるが、こんな言葉が普通に使われているのは「予後は不良」という共通認識があるからだろう。それほど術後は病気に罹り易い。
 忘れてはならないことは、手術は大きな傷口を残すということだ。縫合によって治療が完了した訳ではない。大きな傷口が残っている。これから自然治癒力が働いて傷口を修復せねばならない。有限の免疫力・自然治癒力の多くが傷口の癒着に使われれば感染症対策は疎かにならざるを得ない。困ったことに、病院とは病原体の巣窟だ。様々な病原体がウヨウヨいる場所に免疫力の低下した術後の患者がいれば感染症に罹らないほうが不思議なくらいだ。それを予防するために危険な抗生物質が大量に投与される。
 生活習慣病の治療のためには薬よりも食餌療法や運動のほうが有効だろう。内科医は一応それらも勧めるが本気ではない。患者が薬以外で治癒してしまえば大切な客を失うことになる。適度に健康で薬が大好きな患者こそお得意様だ。
 西洋医学の父と呼ばれるヒポクラテスは「医者は患者に害を与えてはならない」ということを第一原理としたが、この鉄則が忘れられている。