俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

自白

2014-08-19 10:07:06 | Weblog
 「木曽路」が3店でメニューを偽装した。しかし朝日新聞にこれを咎める資格があるのだろうか。木曽路は2012年以降の一部の従業員による犯罪らしいが、朝日新聞の捏造記事は1982年以来の会社ぐるみでの犯罪だ。これではオウム真理教の麻原彰晃がコソ泥を非難しているようなものだ。
 朝日新聞は福島第一原発が放射能漏れを起こせば大喜びで記事にするが、自らが32年間に亘って垂れ流した贋情報についての反省は見られない。
 あるいは昨年の5月には橋下大阪市長による慰安婦発言に対して総力で非難をしたがその非難が正当だったかどうかを検証していない。朝日新聞による橋下攻撃の論拠は8月に取り消した吉田証言に基づいており、今やその非難は根拠を失った。橋下市長は名誉毀損で朝日新聞社を訴えるべきではないだろうか。朝日新聞は誤報を認めることによってこれまでの主張の根拠を失っている筈なのだが、奇妙なことに結論を改めようとはしない。これでは最早、空中庭園であり砂上の楼閣だ。
 戦時中の大本営発表以来の、つまり戦後最大の虚偽報道事件だと思う。大本営発表記事は軍部による圧力があったので同情の余地があるが、朝日新聞は会社の意思として嘘に嘘を重ねたのだから同情の余地は無い。
 解せないのはなぜ突然自白をしたのか、だ。咄嗟にある事件を思い出した。パソコン遠隔操作事件の片山被告だ。被告は一貫して無実を訴えていたが、捜査攪乱のために使ったスマホを埋めたところを目撃されるとあっさりそれまでの犯行を総て認めた。
 朝日新聞は何か動かぬ証拠を見つけたのだろうか。他社に発表されて追い詰められてから自白するよりはマシということで「自首」を選んだのだろうか。あるいはこれまでの捏造に加担しなかった良心的な記者による追及に耐えられなくなって白状したのだろうか。内部情報についても自白して貰いたいものだ。
 偽装事件においては総ての企業が何等かの責任を取っている。朝日新聞社は言論機関らしく、言論によって徹底的に責任を果たすべきだ。

情報と情動

2014-08-19 09:30:10 | Weblog
 動物にとって最も重要な情動は恐怖だ。危険を回避することが最優先されねばならない。危険を回避し切れない時に現れる情動が怒りだ。窮鼠猫を噛む、が怒りの本質だ。強敵から逃げたいのに逃げられない時、怒りが現れる。怒りは恐怖と表裏一体の感情だから、怒りの表情と恐怖の表情はよく似ている。
 人間は感情的動物であることをマスコミはよく知っている。だから理性に訴えず感情に訴える。
 今月、どういう訳か、中国製割り箸の危険性を指摘する記事を2つ見掛けた。1つは上海のレストランで割り箸を水槽に入れたら金魚が死んだ、という記事で6日に報じられた。
 もう1つは広西チワン族自治区の、カビが生えた割り箸を二酸化硫黄などで漂白していた工場が摘発された、という記事で17日に報じられた。
 もしかしたらこの2つの記事は同じ事件を扱っているのかも知れないが、この2つのどちらが印象に残るだろうか?圧倒的に「金魚が死んだ」のほうだ。カビの有害性も二酸化硫黄の有害性もどの程度なのか分からないが、金魚が死んだということであれば具体的だ。映像で見ればその差はもっと大きくなるだろう。
 テレビ局も新聞もとにかく「絵」を求める。言葉ではなく画像によって伝達しようとする。それは視聴者も読者も視覚によって判断するからだ。言語は論理の世界に属し絵は感性の世界に属する。かつて湾岸戦争の際、油塗れの海鳥の写真を見て世界中の人々がショックを受けたように視覚刺激は感情に訴える。マスコミは情報ではなく情動によって人を思いのままに操ろうとする。情動で操られた人を論理によって説得することは極めて難しい。