俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ヒーロー

2014-08-30 10:04:32 | Weblog
 ウルトラマンがなぜ無条件にヒーローであり得るのか?それは市民を襲う怪獣を倒すからだ。ヒーローになるためには極悪の強敵がいなければならない。日本が怪獣や宇宙人に襲われなければウルトラマンの出番は無い。ヒーローという立場のためには悪役が欠かせない。
 中国共産党がヒーローであるためには悪人を退治しなければならない。長い間、その悪役は大日本帝国軍だった。日帝は残虐・卑劣極まりなく、それを破った共産党はヒーローだという物語にするために、日帝を悪く・強い敵として描き続けて来た。
 しかし時代を経ればこの論法は通用しなくなる。毛沢東であれば抗日戦の英雄だったが、現在の共産党幹部は抗日戦に参加さえしていない。現在の幹部はヒーローたり得ない。そのせいかどうかは分からないが、かつてのテレビドラマとは違って、最近のドラマの日本兵は弱く、カンフーの達人に蹴飛ばされれば木端微塵に砕け散るそうだ。だから新しい悪役が必要になった。選ばれたのが汚職政治家だろう。汚職政治家であれば人民の敵と言える。こうしてスケープゴートに選ばれたのが薄熙来氏であり周永康氏だろう。人民は喝采した。
 この作戦は一石二鳥だ。自らがヒーローになれるのと同時に政敵を粛清できるからだ。
 抗日戦勝利では最早ヒーローになれない。前の世代がちっぽけな島国に負けなかったという情けない話にしかならない。既にGDPで中国に追い越された日本ではヒーローの引き立て役として不充分だ。共産党独裁を正当化するためにはもっと巨大な敵、しかも人民を苦しめる巨大な悪でなければならない。
 ここで大きな矛盾にぶつかる。共産党独裁の中国において共産党以外に巨大な権力は無い。従って内部抗争にならざるを得ない。これは血で血を洗うような権力闘争になる。共産党独裁を正当化するための活動が熾烈な権力争奪戦になる。こうして中国共産党は内部抗争と恐怖政治によって自滅する(?)

ワクチン(3)

2014-08-30 09:31:26 | Weblog
 ワクチンは有効性と安全性だけではなく、社会にとっての有益性も考慮されねばならない。感染力が強く致死率が高い病気であればある程度強引に予防接種をすることも必要だろう。天然痘はそうしたからこそ撲滅された。
 ワクチンには個人的な側面と社会的な側面がある。個人の利害だけで評価されることが多いが、社会的な意義も考慮されねばならない。近年、麻疹の感染者が国内外で非難された。国内では妊婦に感染させて胎児に悪影響を与えたからであり、国外では殆んど撲滅していたアメリカで再流行させたからだ。このように感染力の強い疾病であれば社会的責任が生じる。被害者が加害者に転じて次々に被害者(=加害者)の連鎖を作る。
 感染力の弱い病気であれば社会的責任は余り生じない。だから自分の利害だけで判断しても構わないだろう。
 予防接種とはリスクの先取りだ。予防接種にはリスクが伴うが、これによって将来その病気に感染する可能性が減る。予防しないことはリスクの先送りだ。現時点でのリスクは生じないが将来におけるリスクは高くなる。
 癌やエボラ出血熱のような死亡率の高い病気に罹れば危険な薬でも容認される。しかし予防接種の副作用では、健康な人が健康を損なうのだから納得できない人が少なくない。
 予防接種がリスクの先取りであることを理解する必要がある。現在の副作用のリスクと将来の発病のリスクを秤に掛ければ、殆んどの場合、リスクを先取りしたほうが有利だ。論理的に考えれば予防接種は受けたほうが得だ。
 子宮頸癌のように感染力の弱い病気であれば、ワクチンの接種を勧める必要は無い。リスクを先取りする勇気のある人だけが接種して、リスクを先送りしたい人は接種を拒否しても構わない。この選択は自己責任であり、国が余計なお節介をするべきではない。逆恨みを招くだけだ。