俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

予想

2015-07-02 10:22:44 | Weblog
 「イソップ寓話」に「天文学者」という話がある。天文学者が空ばかりを見ていて井戸に落ちた。それを見た人が「空を見るために地上を見ないのか」と笑った、という話だ。
 この話は実話に基づいておりモデルにされたのはソクラテス以前の代表的な(自然)哲学者のタレスだ。この後日談をアリストテレスが「政治学」に記している。
 タレスは学問が役に立つことを証明しようとした。天文学に基づいて翌年のオリーブが豊作になると予想してオリーブの圧搾器を独り占めした。タレスが予想したとおりオリーブが大豊作だったので近隣の人は皆、彼に圧搾器を借りた。彼は「知恵で金儲けをすることは易しいが、それよりも大切な使い道がある」と語った。
 後付けの理論は眉唾物が多いが、理論に基づいた予想が的中すればその理論が正しかったことの証明になる。ニュートンの力学もアインシュタインの相対論も、予想が実証されることによって定説になった。その逆は地震学者であり、予想が悉く外れるということは彼らの理論が科学ではなくオカルトであることを証明している。オカルトを科学扱いすべきではない。
 予想において知恵と知識が総合力を発揮する。正しい情報に基づいて予想をしてそれがズバリ的中することは心地良い。それが小遣い稼ぎにもなるのであれば一石二鳥だ。そんなチャンスがあった。
 6月29日(月)の朝、私はニュージーランドの為替相場を期待を持って待った。前日にギリシャの債務問題が暗礁に乗り上げていたからユーロの暴落は必至と考えたからだ。不謹慎な話だが、ユーロ暴落の煽りを受けて暴落した株を拾って小遣い稼ぎをしようと企んでいた。
 ニュージーランドで133円台が付いた時には少なからず驚いた。前週末が138円台だったから記録的な暴落だった。期待に胸を膨らませて日本の株式市場が開くのを待った。狙い目は欧州系企業である日産自動車などだった。日経平均はいきなり400円安で始まった。私は日産を含めて何社かの株価を検索したが、狙っていた株は期待したほどには下がらなかった。この時点で自分の誤りに気付いた。私と同じように安値で拾おうとした人は少なくなかっただろう。デイトレーダーなどを含めたプロやセミプロも同じことを企んでいただろう。事前にちゃんと調べてもう一捻りしておくべきだった。
 後で考えればここで戦略を改めるべきだった。一儲けを企まずに大人しくユーロ買いをしておくべきだった。為替取引では大きく稼げないがほぼ確実に利益を出せる。ホームラン狙いからヒット狙いに切り替えるべきだった。
 今回は儲け損なったがこんなチャンスは幾らでもある。情報を正しく分析すれば知が金を生む。知恵の遊びぐらいの軽い気持ちだったから失敗したが、事前にちゃんと準備をしておけば知を金に変えることは難しくない。学ぶのは金儲けが目的ではないが、知恵や知識を換金できるチャンスは決して少なくない。

現実的

2015-07-02 09:39:14 | Weblog
 先月末、新幹線の車内で焼身自殺があり、その巻き添えで死傷者が出た。このことを教訓として対策を講じるべきだろうか。
 もし再発したら非難されるからJR東海は何らかの対策に取り組まざるを得ないだろうが、それが手荷物検査なら大変な無駄だ。50年間の営業で初めての異常な事件に振り回される必要などあるまい。
 新幹線よりも危険な電車がある。地下鉄だ。地下で火災が発生した場合、逃げ場所が無い。被災した車両だけではなく、地下道で繋がっている他の車両でもガス中毒が発生する恐れがある。
 これは憶測ではない。実例がある。誰もが知っているあの地下鉄サリン事件だ。史上稀な大事件の後でも地下鉄での手荷物検査など行われなかった。サリン事件の再発に備えたとは思えないが再発はしなかった。
 地下鉄の利用者は余りにも多く、全員の荷物検査など不可能だ。敢えて行えば利便性は激減するし、料金も値上げされることになるだろう。厳重な検査を行うよりも、不審者のみを検査する現行制度のほうがずっと合理的だ。
 リスクをゼロにせよという主張は正論であり否定することは難しい。しかし0.1%のリスクを0.01%にすることは、1%のリスクを0.1%にすることと比べて1万倍ほど高コストだろう。0.1%のリスクを0.01%にするよりも1%のリスクを軽減することのほうが急務だ。例えば駅のホームに安全柵を設置すれば多くの事故が防止できる。費用対効果あるいは利便性を考えればこちらを優先して然るべきだろう。
 既に起こったことは現実的で、実例の無いことは非現実的と考えられ勝ちだがこれは誤った白黒判定だ。非現実的なことでも起こり得るし、偶然が重なった特異な事故であれば二度と起こらない。原発事故は、起こるまでは非現実的で起こってから突然現実的になった訳ではない。起こる前から現実的だったのに、あたかも非現実的であるかのように言いくるめられていただけだ。
 隕石の直撃は非現実的な話ではない。古代ギリシャの詩人アイスキュロスは、鷲が落とした亀が頭に当たって死んだと伝えられているが、これと同程度以上に現実的だろう。しかしこんなリスクは基本的には無視されるべきだろう。低過ぎるリスクを騒ぎ立てるべきではない。異常な犯罪に過剰反応をして不便な社会にしてしまうべきではない。ある程度のリスクは許容されるべきだ。リスクゼロを目標にすることはヒステリー患者の妄想にも等しい。