俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

祈祷医療

2015-07-06 10:45:19 | Weblog
 古代において、医療は祈祷師の仕事だった。貴族が病気に罹れば祈祷師が招かれてお祓いやお浄めによって「治療」が行われた。病気の原因は祟りや憑き物などとされた。こんな「治療」でも治ったのは自然治癒力が働きプラシーボ効果もあったからだ。当たり前の話だがお祓いやお浄めで治療はできない。それらしきことをやって時間稼ぎをしている内に勝手に治る。治らなければ諦めるしか無い。
 現代の医療も祈祷師と同じような仕事だ。彼らは鎮痛剤や解熱剤を使って症状を緩和することならできるが治療することはできない。尤もらしいことを言って科学を装うができることは祈祷師と大差は無い。祈祷師と同じように時間稼ぎをしている内に勝手に治り、患者は治療効果があったと思い込む。
 医療に関して文明は殆んど進歩していない。祟りや憑き物の正体が細菌やウィルスだったと分かったことが最大の進歩だ。お祓いやお浄めの代わりに殺菌や隔離が行われるようになった。外科手術以外は殆んど進歩していないし、昨今の手術死の多さを考えれば、救急医療と虫垂炎の手術以外は余り有効とは思えない。手術後、却って体調が悪くなる人は決して少なくない。
 祈祷によって病気を治したり雨を降らせようとした人々を現代人は野蛮人と考える。しかし現代人の医療に対する姿勢は古代人と大して違わない。時間による快復を治療による効果だと思い込んでいる。医療に裏切られた人は怪しげな民間療法に頼るが、どちらも所詮祈祷療法だ。
 祈祷と降雨に因果関係は無い。たまたま祈祷をした後で雨が降っただけだ。鎮痛剤や解熱剤に治療効果は無い。幾ら不快感を緩和してもそれは治療ではなくそうやって時間稼ぎをしている内に自然治癒力が働いて快癒するだけだ。解熱剤に至っては自然治癒力の妨害をしているのだがそれにも拘わらず治る。「それにも拘わらず」が「それ故に」と全く逆に解釈されている。
 文明は進歩したがそれは知識が蓄積されたからに過ぎない。人類そのものは古代から全く進歩していない。現代人は今尚、祈祷に頼っている。

シルバー民主主義

2015-07-06 09:38:40 | Weblog
 私はつい最近まで「シルバー民主主義」を危険なものとは認識していなかった。確かに他人の意見を聞こうとしない頑固な老人もいるが、多くは経験を積んだ好々爺だと思っていた。昔から「亀の甲より歳の功」と言うように、若年層以上に地に足を着けた世代だと思っていた。大阪都構想が否決されるまでは。
 大阪都構想の賛否を問う住民投票の結果に驚いた。否決されたということではなく、世代ごとの賛否の余りの違いに驚いた。20代から60代まではどの層でも賛成のほうが少しずつ多かったのに70代以上だけが極端に反対のほうが多かった。70代の意向によって否決された。
 私にはこの理由が分からなかった。三重県に住んでいると関東と東海のニュースばかりで関西の情報には疎くなる。大阪に住む友人に尋ねて分かったことは、自民党の議員がしきりに「福祉サービスの低下」を訴えていたということだった。更に調べて分かったことは前年の8月1日から「敬老パス」が無料から50円に値上げされたということだ。橋下市長の敗因はここにあったようだ。大阪市民なら誰でも知っていることが余所者にとっては謎解きだった。
 老人は決して人生を達観した人ではなく欲望塗れであることを思い知らされた。無料の敬老パスは過剰な優遇であり、50円でもまだ安過ぎると思える。それでも老人は怒り、その矛先を橋下市長に対する嫌がらせとして都構想否決に向けたのだろう。
 どの政党も老人のご機嫌を取ろうとする。それは数が多く投票率も高いからだ。これは一人一票をルールとする民主主義にとって決して悪いことではないと思っていた。多数者に迎合するのが民主主義だ。しかし他の世代では僅少差の案件が、老人の意向だけによって覆されるとなるとこれは放任できない問題だ。これでは老人至上主義になってしまう。
 自分達は老い先短いからと福島第一原発での危険な作業を担う決死隊を志願した老人もいる。その一方で安楽に暮らすためなら何を犠牲にしても構わないと考える人もいる。
 私は多数決に関して奇妙な意見を持っている。未来の人々まで含めるべきだと考えている。18・19歳だけではなく、無数と言える未来の人々も含めた民主主義があるべきだと考えている。つまり未だ生まれていない未来の有権者のことを考える。だから現在のために未来を犠牲にすることには絶対に賛同できない。ツケを次世代に回すことは現世代の支持を得られるかも知れないが、これは次世代に対する裏切りであり「最大多数の最大幸福」の原則さえ満たさないと私は考える。