俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

密室犯罪

2015-07-12 10:09:55 | Weblog
 密室犯罪と言っても推理小説の話をしたい訳ではない。密室で行われる犯罪、つまり手術室での犯罪行為のことだ。密室での死亡事故の事情は当事者にしか分からない。一方の当事者である患者が死んでしまえば医師と看護師にしか事実は分からない。彼らが偽装工作を行えば何が起こったのか分からなくなる。
 全員死亡の航空機事故はパイロットの操縦ミスとして処理され勝ちだ。バラバラになった機体の故障箇所を探すのは至難の業であり、何よりも「死人に口無し」だからだろう。JR福知山線での大事故も運転手のミスとされた。死者は証言できないから圧倒的に不利だ。
 萩原流行氏の交通事故死も訳が分からない。警察の車両が事故の当事者なのだから身内に甘くなるのは当然であり、組織防衛が優先されていても何ら不思議ではない。
 喧嘩になるのはそれぞれの主観世界が異なるからだ。異なった主観世界が対立すれば両者を統合しないことには事実を把握できない。一方が死んでしまえばもう一方の主観だけが残る。たとえ主観に捏造が加えられても識別することは困難だ。
 緊急時の手術で、適切な対応があれば助かった筈の人が、ミスや不適切な処置によって亡くなっても絶対にバレない。「手遅れでした」という魔法の一言がある。
 悪い医師にとっては文字通りに「致命的」なミスのほうが後腐れが無くて有利になる。ミスのために後遺症が残った場合、被害者が幾らでも証言できるし、障害を抱えた生き証人にもなれる。死なせてしまえば晴れて証拠隠滅が成立する。
 たとえミスが明らかであっても医師には強力な逃げ口上がある。「ミスと死亡に因果関係は無い」と主張すればこれを覆すことは難しい。手術に限らず抗癌剤の過剰投与や放射線の過剰照射が本当の死因であっても、癌そのものによる病死ではなかったと証明することは余りにも困難だ。
 手術中での死亡を総てミスによるものと決め付けようとは思わない。しかしこんな疑惑が消せないのだから術中死は原則として総て司法解剖すべきではないだろうか。そうすることによって医師の冤罪を防ぐことにも繋がるだろう。

マスゴミ

2015-07-12 09:34:04 | Weblog
 病気に有効と謳った健康食品に効果が無ければ販売禁止になり、回収・返金が義務付けられ、有罪判決を受けるかも知れない。ところがこうすれば病気が治ると書いた本の内容がデタラメであっても販売禁止にされることは無い。極端な話、ある食品を売るために書かれたデタラメな内容の本が、その食品の販売が禁止された後でもそのまま流通している。これは奇妙な話だ。
 言論・出版の自由が認められているからゴミのような出版物が出回っている。他の商品であれば不良品は販売禁止になり回収・返金が命じられるのに出版物の場合は不良品が何ら改善されることも無く流通している。
 勿論、様々な学説があるのだから様々な出版物があり得る。しかし明らかに間違った内容の本が流通している。脂肪を目の敵にする本は必須脂肪酸の存在さえ知らないド素人が書いた本だろう。朝日新聞社は記事の捏造を認めたが、回収は勿論のこと一部の返金にさえ応じていない。言論・出版の自由は認められているがデマを流布する権利まで認められている訳ではなかろう。
 朝日新聞は言論・出版の自由を声高に主張する。それならなぜ百田尚樹氏の発言を非難するのだろうか。百田氏は政治家ではなく作家だ。作家がどんな発言をしようとも本人の勝手だろう。その発言、しかも明らかにジョークと分かる発言の揚げ足を取って言論弾圧の如く報じることこそ公器たるべき役割を忘れた言論弾圧なのではないだろうか。
 誤ることは避け難い。例えば天気予報はしばしば誤るが気象庁に悪意は無かろう。できるだけ正確な予報をしようとしても誤ることは避けられない。しかし誤ることと欺くことは全く違う。明らかに騙すことを目的とした出版物を「悪書」として規制できないものだろうか。
 そんなことをすれば宗教弾圧になるだろう。特に新興宗教団体の本は嘘の塊りだ。それでも宗教や政治に関する出版物を規制すべきではなかろうが、健康や科学などを扱った本であれば「悪書」指定や発禁があっても良かろう。それほど無責任なゴミ情報が溢れ返っている。読者や視聴者にそれを仕分けさせようとすることは許し難い。たとえ言論・出版は自由であっても明らかに科学的に誤った出版物なら規制しても良かろう。言論・出版の自由は拡大解釈され過ぎているように思える。不良品は排除されるべきだ。不良品を放置したままのマスゴミがなぜ飲食店や建築業界の捏造を偉そうに非難できるのだろうか。