俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

心療内科

2015-07-16 10:26:13 | Weblog
 心療内科のほうが精神科よりも敷居が低く感じられるらしい。精神科の対象は狂人であり、心療内科の対象は軽度の神経症患者というイメージがあるようだ。しかしこの敷居の低さが曲者だ。軽い気持ちで通院して薬漬けにされる。
 実は私は精神科を受診したことがある。それは決して幻覚や妄想があったからではなく、当時は「神経性下痢」、今では「過敏性腸症候群」と呼ばれる疾患の治療のためだ。当時も今も過敏性腸症候群は病気ではなく体質だと思っているが、試験中の便意で何度も失敗していただけに治しておきたかった。当時の医療は現在のような薬一辺倒の時代ではなかったので、問診の他にロールシャッハテストなども受けた。
 現在の心療内科医は碌に問診もせず、ロールシャッハテストなど知らないのではないだろうか。只管、対症療法薬を処方するだけだ。医師も患者も根本的な勘違いをしている。対症療法薬は治療薬ではない。不快な症状を緩和するだけであって原因は放置される。
 例えば鬱病を患った人であれば大半が生活上の悩みを抱えている。家族の不幸や不仲、あるいは劣悪な労働環境など様々な事情がある。その原因を放置したまま、薬によって感情だけを操作しても全く無意味だ。困った状況にいながらそれを苦痛と感じさせなくさせるのが精神医療であるなら、それは治療ではなく家畜化・狂人化だ。
 精神も内臓も外からは見えないからこんなデタラメが罷り通る。これが傷口であればこんなやり方では通用しないことが誰にでも分かる。切り傷で真っ先にすべきことは止血だ。もし不潔な環境での傷であれば雑菌や汚れの除去も必要だろう。少なくとも痛み止めは二の次・三の次だ。たとえ患者が「痛い、痛い」と訴えても傷口の治療を優先すべきだ。それなのに対症療法では原因を放置したままでの不快感の緩和が治療と思い込まれている。心療内科医や精神科医は、傷口を放置して痛み止めに尽力する狂った救急外科医のようなものだ。こんなことをしていれば悪化させるだけだ。
 目に見える切り傷でさえ長年、消毒が奨励されていた。今では水洗いが正しい対処とされており、小学校の保健室からは消毒液が取り除かれつつある。ところが「怪我をしたのに消毒さえしない」と怒鳴り込む親が絶えないそうだ。無知とは迷惑なものだ。

平和国家

2015-07-16 09:47:42 | Weblog
 集団的自衛権が違憲か合憲かを議論する必要は無い。自衛隊の存在そのものが既に違憲だ。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」という9条の条文をどう読んでも、集団的自衛権も個別的自衛権も、それ以前に戦力さえ認められないことは明白だ。
 自衛権を主張する人は国連憲章第51条を根拠にして、個別的自衛権も集団的自衛権も国際法で認められている、と言う。国際法が認めようが認めまいが、国内においては国内法が優先する。仮に国際法で麻薬や売春が認められようとも国内法が禁じる限り、日本では違法だ。たとえ国連が言論・出版の自由を認めようとも、国ごとに禁書を定める権利がある。例えばドイツではヒットラーの「わが闘争」の出版は未だ認められていない。
 しかし現実はどうだろうか。仮に北朝鮮が、これまでのように秘密裏にではなく堂々と拉致をしに来たらどうなるか。スパイではなく軍隊を使った要人強奪であれば、警察の手に負えない。軍隊と警察では戦力が違い過ぎるからだ。いきなり米軍に泣き付く訳には行かない。戦争が嫌いなのは日本人だけではない。実はアメリカでは帰還兵のPTSDが大きな社会問題になっている。毎年約6,500人の退役兵士が自殺していると言われている。命懸けの戦闘のアウトソーシングは厚かまし過ぎる。国連に助けを求めても無駄だ。議論をしている内に日本は破壊されてしまう。だからこそ国際法は自衛権を認めている。ここは憲法違反の自衛隊の出番だろう。
 自衛隊の存在を認めない人は国の危機をどう考えるのだろうか。北朝鮮軍に好き勝手なことをさせて構わないのだろうか。人や財産を放棄してでも「平和国家」の理想に殉じるつもりなのだろうか。他国による強奪が横行する状況を「平和」とは呼べまい。平和のためには戦力が欠かせない。
 いじめられてもヘラヘラ笑っていればいじめがエスカレートする。断固たる拒絶を示すことが最大の抑止力になる。暴力を抑止できるのは暴力だ。突然暴漢に襲われたら逃げるのが一番だが、逃げられない人がいればたとえ暴力を使ってでもその人を助けるべきだと私は考える。
 北朝鮮による拉致を放任するなら軍隊など要らない。そうでなければ抑止力としての軍隊を持てるように憲法を改めるべきだ。非現実的な憲法と心中することは本末転倒だ。詭弁による解釈改憲を黙認するのではなく、曲解を許さない明確な文章に基づいて「平和のための軍隊」を公認することが、平和国家の実現のために最も必要なことだろう。「戦争反対」という呪文を唱えるだけで平和が実現すると思い込んでいる呪術信仰的な人々を私は軽蔑する。