俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

借金

2015-07-25 10:29:03 | Weblog
 私は借金をしたことが無いので借金には詳しくない。もしクレジットカードも借金と見なすなら毎月借金をしていることになるが、口座残高以上の買い物をしたことは無いのだから借金ではなかろう。
 借金を返すために借金をすることによって借金の泥沼にはまる。サラ金が街に溢れ返っていた時代、徐々に金利の高い借金に頼るようになってますます苦しくなったという話を聞いたことがある。
 借金を返すために借金をしていれば感覚が麻痺するらしい。お金が天から降って来るように感じるらしい。ギリシャがそんな状況だ。EUやIMFあるいは他国から借金をして借金返済に充てている。これではいつまで経っても返済を終えられない。
 かつてのギリシャはもっと悲惨だった。他国から借金をしてそれを返済する時には当時の通貨のドラクマの価値が下落していてかなり高い金利負担になっていた。国家財政を粉飾してまでユーロに加入したのはこんな苦い経験に基づくからだろう。
 不快感を薬で抑えることはこれと似ている。鎮痛剤で痛みが薄らげばそれで安心して、もし再発しても鎮痛剤を飲めば良いと考える。これは根本的に間違っている。鎮痛剤は傷みを感じにくくするだけであって治療効果は全く無い。治療をせずに不快感だけを抑えることに終始していれば病気は更に進行する。
 生活習慣病はその名のとおり、生活習慣を改めなければ治らない病気だ。それは薬では治らない。運動や食事制限よりも楽な薬に頼ることは借金を重ねる心理に似ている。根本的な対策ではなく安易なその場凌ぎだ。
 健康のためには栄養・休養・適度な運動が必要だろう。生活習慣病の多くは生活が怠惰か過酷かのどちらかが原因だろう。生活習慣を改めずに薬に頼ることは借金を返すために借金をすることに似ている。借金を返済するために最優先すべきことは基本財政の改善だ。病気を治す、あるいは病気に罹らないためには普段の生活こそ大切だ。薬や借金はあくまでカンフル剤であって、こんなものに頼るべきではなかろう。頼る患者も頼らせる医師も悪い。

メタ認知

2015-07-25 09:45:54 | Weblog
 メタ認知とは心理学用語で、自分自身を認知すること、あるいは認知を認知することを言う。
 酔うと気が大きくなる人がいる。自分は常に正しく自分は万能だとさえ思い込む。こんな人に「酔っているのだからそれ以上はやめておけ」と注意しても聞く耳を持たない。
 メタ認知能力を欠いた人が飲酒運転事故を起こす。彼の主観世界はこんなものとして把握されているだろう。
 ヤケに無謀運転や信号無視が多い。こちらが抜群のドライブテクニックで躱しているが、ジグザグ走行をする車や突然飛び出す歩行者はケシカラン。
 彼の主観にはこう映る。しかし実際にジグザグ運転や信号無視をしているのは彼だ。ハンドルを正常に操作できないから車は真っ直ぐに進めず、注意力が衰えているから信号にも歩行者にも気付かない。歪んだ主観にとっては自分だけが正常で他者が異常と映る。
 喫煙者は喫煙によって頭が覚醒すると主張する。これも飲酒運転と似た錯覚かも知れない。ニコチンとCO2によって脳の機能が低下するから夜郎自大になっているだけなのかも知れない。
 動物や子供はメタ認知能力を欠いているのだからこれは言語や共感力と同様、人間のみが後天的に獲得できる能力だろう。この能力が不充分であれば自信過剰や悲観主義に陥る。何でもできる人がいないのと同様、何もできない人などいない。そんな極論に走る人の最大の欠点はメタ認知力の欠如だろう。
 ギリシャのアポロンの神殿には「汝自身を知れ」と掲げられていたと伝えられているが、メタ認知とは自分を認知することだから自分対自分という構図になる。それは現在の自分対過去の自分であったり、欲望を満たしたい自分対モラルを守りたい自分であったり様々だが、基本的に自分対自分だ。メタ認知があるからこそ自分を社会内で正しく位置付けることができる。
 かつて福田元首相は退陣に当たって「私は自分を客観的に見ることができるんです。」と語った。しかしその後がいけない。「あなたとは違うんです。」と言ってしまった。
 メタ認知力を欠いた人が描く構図は自分対他者だ。自分に有利なものは善であり不利なものは悪だ。こんな人が社会に対する復讐という理屈を使って通り魔事件を起こす。自分対自分という構図が無いから、現在の自分対他者という構図になり他者を無差別に攻撃する。
 こんな意見は少数派だろうが、初等教育で最も大切なのはメタ認知能力の育成ではないだろうか。発達障害という精神病質があるが、これは正しくメタ認知力の欠如だろう。