俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

エスカレータ

2015-07-28 10:20:35 | Weblog
 JRなどがエスカレータ上を歩くなと呼び掛けているが、これは責任逃れのための卑劣なキャンペーンだと思う。エスカレータでの事故であれば管理責任を問われるが、責任を問われない階段であれば幾ら事故が起こっても構わないという無責任体質丸出しの発想だ。
 様々な施設には様々な目的を持った人が集まる。分かり易いのはプールだ。泳ぎたい人と水遊びをしたい人が集まり、後者のほうが圧倒的に多い。だからどこのプールも水遊び場にされてしまう。かつて扇町にあった「大阪プール」は水深1.5mの「水遊びできないプール」だった。だから京阪神全域から水泳好きが集まった。
 駅に集まる人も様々だ。乱暴な分け方だが、急ぐ人と急がない人がいる。急ぐ人にとってもエスカレータは便利だ。エスカレータは人が歩く速度と同程度に設定されているからこの上を歩けば通常の2倍の速度になる。
 エスカレータの移送効率は片側あけによって1.5倍になる。エスカレータ上を歩けば計算上2倍の人が通れるからだ。もしエスカレータ上を歩かせないのであれば、事業者は現在の1.5倍のエスカレータを設置すべきだろう。そうしなければ駅構内での現状の移送効率を維持できない。
 もしエスカレータ上を歩く人が階段に追いやられた場合、トータルでの事故数は数倍になるだろう。エスカレータ上を歩けば安全に2倍の早さで進めるが、階段で2倍の早さを得るためには走らねばならない。階段を走ることがどれほど危険かは小学生でも知っている。エスカレータ上を歩くことと階段を走ることの危険性を比較して基準を定めるべきだろう。最優先して考えるべきことはトータルでの安全性であり、エスカレータでの事故さえ減らせば良いという問題ではない。階段を走らせようとするのは階段で幾ら事故が起こっても自己責任とされて駅は責任を問われないからだ。
 大阪環状線などのように便数が多ければ1本乗り損ねても大して困らない。しかし便数が少ない路線で載り損ねたら長時間待たされる。だから急ぐ人に対する配慮は欠かせない。
 エスカレータでの事故を馬鹿騒ぎするマスコミにも責任の一端がある。階段での事故であれば殆んど無視するのにエスカレータでの事故であれば大袈裟に騒ぎ立てる。このことと並んで子供の自殺についての報道にも義憤を感じる。欧米では子供の自殺については極力報道しないよう努めている。子供は感化され易いからだ。マスコミが騒げば騒ぐほど悲劇のヒーローになろうとする子供が増える。人命よりも儲けを優先するマスコミには良心の欠片さえ無い。
 現実として駅構内では急ぐ人と急がない人が混在する。こんな時にどちらかだけの肩を持つのは片手落ちだ。片側あけは両者の共存を図る優れたルールだと思う。だからこそ定着した。横一列になって道を塞いで歩いてはいけないように、狭いエスカレータで二人横並びで立ち止まるべきではなかろう。急ぐ人に対する配慮があるべきだ。

醜い性器(5)

2015-07-28 09:35:44 | Weblog
 ペニスは醜いがそれ以上に醜いのはだらしなくぶら下がっている皺だらけの睾丸だ。ペニスが勃起しても睾丸は力無く垂れ下がって何とも情けない格好だ。睾丸は機能性に特化したからこそこれほど醜い形態になったのだろう。睾丸を美しい物として描くことはどんな美術家にもできまい。
 昨今のように猛暑が続くと嫌になるが元々、動物は暖かさを好む。変温動物は低温では動けなくなってしまう。恒温動物は自ら熱を作り出すことによって低温でも動ける体に進化した。
 漢方医学では温めることを重視して冷やすことを嫌う。そのせいか中国人は熱い食べ物を好み、冷たい食べ物や飲み物を嫌う。冷たい懐石料理を出されれば怒り、熱いラーメンを喜ぶ。ほんの数年前まではビールでさえ碌に冷やさなかった。
 日本人はなぜか暑さを嫌う。吉田兼好の「徒然草」には「家の作りやうは、夏をむべとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き比(ころ)わろき住居は堪へ難き事なり。(第55段)」と書かれている。日中の温度差を感じずにはいられない。このように日本人は昔から涼を好む。氷室を作ったりアイスコーヒーも発明した。
 睾丸も暑さを嫌う。精子を作るためには哺乳類の体温以下のほうが好都合だ。これは睾丸の機能が変温動物の時代からそのまま受け継がれたからだ。進化の方向性は2つあり得た。高温でも充分な精子が作れるように睾丸の機能を変えるか、睾丸の周囲を低温にするか、だ。哺乳類が選んだのは、本来内臓である睾丸を体外に放り出すことだった。だからこんな醜い外見になってしまった。
 女性器ではこんな不都合は生じなかった。なぜか知らないが、卵子を作るためには高温でも構わなかったようだ。人類独自の進化は性器の位置の変更だ。両足の間にある。男性器は交合し易い位置にあるのに女性器は最も交合しにくい位置にある。これはメスがオスを選別するための進化だろう。殆んど無数回交尾できるオスとは違って限られた回数しか出産できないメスにとって、できるだけ良いオスを選ぶことは子孫繁栄のために欠かせない。だから非力なメスでもオスを拒絶できるように、最も力の強い足の間に性器を据えてオスを選別できるようにしたのだろう。