俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

文化

2015-08-04 10:08:40 | Weblog
 私は大学で英・独・仏語と古典語のギリシャ語とラテン語を学んだ。大学に残らなかったから古典ギリシャ語は全く役に立たなかった。役に立ったのはフランス語だ。フランス語の知識があれば同じラテン系のイタリア語・スペイン語・ポルトガル語などがある程度分かる。今更行くことは無いが、南米を旅行する時にはフランス語の知識が少しは役に立つ。スペイン語が公用語のブラジル以外ではポルトガル語が使われているからだ。南米で公用語がスペイン語とポルトガル語なのはこの2国が南米文明を滅ぼしたからだ。しかし土着言語を失わせるほどの植民地支配とは一体どんなものだったのだろうか。アジアではこんな酷いことは起こらなかった。インドやフィリピンやベトナムなどではちゃんと現地語が残っている。
 フランス語とイタリア語・スペイン語・ポルトガル語は非常によく似ている。文法はかなり共通だし同じ単語も多い。関西弁と標準語の差よりは大きいが琉球語やアイヌ語よりはずっと近い。英語の次の第2外国語を学ぶならラテン系のどれかか中国語をお勧めしたい。
 英語を母国語とする人の数は英国人よりも外国人のほうが圧倒的に多い。これも英国による植民地支配が原因だ。しかし国ごとに少しずつ違った言葉になってしまうのは問題だろう。例えばelevatorは米語で、英国語ではliftだ。あるいは`A rolling stone gathers no moss.'という諺はイギリスでは「腰を据えねばならない」という意味だがアメリカでは「変化し続ければ陳腐化しない」という意味で使われることが多い。英語を公用語とする国がそれぞれ勝手な方向に変化することは決して好ましいことではなかろう。
 このことは漢字を使う日中台の問題でもある。日本と中国はそれぞれが勝手に簡体字を使っており台湾だけが昔ながらの繁体字だ。書くためには簡体字のほうが便利だがパソコンが普及している現在、繁体字に統一すべきではないだろうか。
 せっかく共通の文化を持ちながらそれぞれが勝手に変化してしまえば相互理解の障害になる。歴史認識を共有することも必要だろうが、それ以前に文字の共通化があっても良かろう。アルファベットが共通であることがヨーロッパ人の相互理解を促していることは確実だ。

平和

2015-08-04 09:31:19 | Weblog
 警察という組織があるから庶民は平和に暮らせる。警察は暴力装置ではあるが必要不可欠だ。国家権力を背景にして公然たる暴力が許されているから法に背いた暴力が排除される。どんな反権力主義者でも警察権だけは容認する。
 国際社会に国際警察は無い。国内で他人の土地に侵入すれば警察力によって排除されるが、中国がスプラトリー(南沙)諸島を勝手に占領しても国際警察によって排除できる訳ではない。国際裁判所は呆れるほど無力だ。
 では他国による不法な占領をどうやって防ぐか。外交・軍事・経済制裁などを総動員して自力で防ぐしか無い。だから国連憲章は第7章で個別的・集団的自衛権を認めている。要するに自分の国は自分達で守れということだ。
 国内での問題が国際紛争になることもある。ウクライナ問題は第3国の旅客機に対する攻撃にまでなってしまった。IS(イスラミックステート)は国内問題か国際問題か、はたまた宗教問題か民族問題か訳が分からない。いずれにせよ国の武力が不充分であれば武装勢力による蛮行が横行する。
 警察を考えれば分かるように、武器は戦うためではなく威嚇するためにある。警察官が拳銃を使うことは滅多に無く、大半の警官は生涯一度も使わないだろう。それでも必携であるのは抑止力として有効だからだ。拳銃を持たない警官は権威も失う。
 軍隊は戦うためにではなく他国の横暴を抑止するためにこそ必要だ。戦闘をしない軍隊こそ理想の軍隊だろう。軍隊は張子の虎であっても構わない。虎に見えれば99%有効だ。
 社民党でさえ恥ずかしくて非武装中立などとは言わなくなった。武装は平和のために欠かせない。国内で庶民が武装をしなくても安全であるのは武装警官という暴力装置が健在だからだ。国際秩序を守る国際警察が存在しない以上、平和を守るために必要なのは軍事力だ。自国の軍事力以外に頼れる防衛力は無い。