俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

テレビの罪

2015-08-10 10:24:19 | Weblog
 私の母はしばしばトンチンカンなことを言う。何を根拠にしているのかと尋ねれば「テレビで言っていた」と答える。聞き齧りでの話だからどんな番組でどんな状況での発言なのか全く分からない。多分コメンテーター役の芸能人の不真面目な発言を真に受けたものだろう。こうしてデマが広がる。
 テレビには多くのルールがある。被害者を徹頭徹尾善人として扱うこと、スポンサー様の機嫌を損なわないこと、通説を尊重すること、など無数にある。これらのルールがあるからテレビから得られる情報は偏る。
 7月に静岡県西伊豆町の川で家族7人が死傷した感電事故に関して、電気柵を設置した老人がこの7日に自殺に追い込まれた。これはマスコミによる殺人だ。被害者の家族の誰かが電線を切ったからこそ起こった事故だと思えるのだが、マスコミは被害者無謬の立場を貫くからこの老人が一方的に悪人にされていた。もし裁判になっていればある程度の過失相殺が認められると思える事件だけに、これはマスコミによるリンチ事件だ。
 かつてダイオキシン猛毒説が疑いを許さなかったように、日本のマスコミはCO2による地球温暖化仮説に対する批判を許さない。余り詳述しないが、欧米では2009年のクライメートゲート事件でIPCCによるデータ捏造が暴かれて以来、すっかり俗説扱いになっている。これはSTAP細胞事件など足元にも及ばないほどの科学スキャンダルだったと思うのだが、日本では殆んど報じられなかった。朝日新聞ではたった1段のベタ記事だった。間違った報道が悪いのは勿論だが、重要な情報を主義主張に合わないという理由から過小扱いすべきではなかろう。
 テレビでは理性ではなく情緒に訴えようとする。そのほうが印象に残るからだ。人間は事実をそのまま記憶することが苦手だ。例えば「電車、睡眠、猫」という3つの単語を覚えようとすれば、それぞれを記憶するよりも「電車の中で眠っている猫」をイメージしたほうが覚え易い。関係の無いことでも関係付けて覚えることが少なくない。
 マスコミ、特にテレビは事件の本質を正しく伝えることよりもドラマに仕立てて印象を強めようとする。現実は必ずしもドラマチックではないからマスコミによって脚色され勝ちだ。視聴者もつまらない事実よりも面白おかしい半事実を好む。情報の価値は有意義かどうかではなく面白いかどうかによって決められる。
 子供による犯罪は格好のネタだ。未成年者の犯罪において警察は詳細を発表しない。事実が分からないから勝手な憶測が罷り通る。「心の闇」とか勝手なテーマを作ってまことしやかな物語が作られる。勿論「かも知れない」という類いの言い方をするが殆んどがフィクションを通り越したファンタジーの世界だ。それを聞き齧った人が更に尾びれを付けて言い触らす。事実が分からない時に憶測に基づいた無責任な発言をマスコミがバラ撒くべきではなかろう。

不感

2015-08-10 09:37:56 | Weblog
 放射線も紫外線も病原体も知覚できないが存在する。人類の知覚は不充分な機能しか持っておらず、危険なものでも知覚できないことが少なくない。しかし多くの場合、危険が知覚されなければ安全と判断される。更に誤った判断は、不快感が無くなった時点で安全になったと思い込むことだ。
 もし暑さを感じなくなる薬を飲めばどうなるだろうか。暑く感じなければ快適だろうが、これはまやかしの快適さだ。体にとって良くない状態のままでありながら暑さを感じないから汗も出ない。体温はどんどん上がって熱中症になるだろう。
 これが対症療法の正体だ。危険な状態を放置したまま不快感だけを取り除くから却って病気や傷害を悪化させる。足を挫けば患部を保護せねばならないのに痛みを感じなければ不用心に扱う。虫垂炎の痛みを薬で散らしていれば腹膜炎を起こす。鬱病に罹る人は過酷な境遇に耐えられず発病するのに抗鬱剤で気分だけを操作するから狂人になる。
 足を挫いた時に鎮痛剤が効くと考えるのは100%錯誤だ。痛みを誤魔化している内に自然治癒力が働くから治るだけだ。正しい対処は傷みを自覚して患部を庇うことだ。そうすれば鎮痛剤を使うよりもずっと早く完治する。誤魔化しの技術が医療の名を騙っている。
 痛みや苦痛は単なる不快感ではない。危険に対する警鐘だ。痛みや疲れなどは危険信号のようなものでありシグナルに基づいて行動を改めるべきだ。不快を感じなくなることは疾病が消滅したという意味ではない。根本的な誤解だ。疾病は隠蔽されただけであって何ら改善されていない。臭いものに蓋をしても蓋を外せば籠っていた悪臭が拡散する。この悪癖は身体の不快感以外でも現れる。醜い現実から目を逸らして現実から逃避する。
 あるいは女性や子供は危険な目に遭った時に、逃げも闘いもせずにキャーッと叫んで目を覆うことがある。見えなくなっても危険が去る訳ではないのにこんな愚かな対応をするから、自然災害において女性の死亡率は男性の14倍も高いと言われている。目を覆っても見えなくなるだけであって現実は全く変わらない。
 不快や苦痛を誤魔化すべきではない。鎮痛剤や麻酔薬は治療不可能な時の苦痛緩和としてのみ使われるべきであって、危険や不快感は直視されるべきだ。