俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ハイブリッド

2015-08-06 10:24:04 | Weblog
 ヒトラーはアーリア人を最高の民族と信じユダヤ人がその高貴さを穢すと考えたが、雑種(ハイブリッド)こそあるべき姿ではないだろうか。
 近親交配された家畜や動物園の動物が劣化するように、動植物に必要なのは多様性だ。そしてその多様性が最も豊富なのは、人類発祥の地アフリカの黒人だろう。白人も黄色人種も「出アフリカ」を果たした一部の黒人の末裔に過ぎず、修復されないY染色体の劣化がかなり進んでいるものと考えられる。
 日本人は雑種民族だ。縄文系と弥生系があるだけではなく、縄文人そのものが既に多様な民族の雑種だ。雑種だからこそ様々な長所があるのだろう。
 モンゴルの人口が僅か300万人と聞いて耳を疑った。正直な話、そんな馬鹿な、と思った。地図で見れば日本の4倍ほどの面積があり、何よりも大勢の力士を日本に送り込んでいる。そんな国の人口が広島県や茨城県と同程度とは俄かに信じられない話だ。大体、チンギスハンの子孫は男性だけで世界中に1,600万人いると言われている。その1/5以下だ。クイズの好きな人ならモンゴルが世界一人口密度の低い国であることを知っているだろう。たった1.9人/㎢だ。世界一人口密度の高いシンガポールの7,848人/㎢と比べるまでもなく、日本の336人/㎢と比べても2桁違う。こんな過疎地のような地域が国家として存立している。それもロシアと中国といった2大強国に挟まれながら独立している。これはとんでもないことだ。
 日本の人口の1/40に過ぎないモンゴルからなぜ大勢の力士が輩出されるのだろうか。かつて世界最大の帝国を築いたモンゴル人には世界中の民族の遺伝子が受け継がれているのではないだろうか。モンゴル人は周囲の民族以上に強靭であると認めて良いのではないだろうか。
 モンゴル人のパワー以外にエチオピア人やケニア人の長距離走力も突出している。短所を蔑視することだけが差別ではなく、長所を認めないことも差別だろう。ユダヤ人の知的優秀性を無視することもやはり差別だろう。
 人種の優劣に触れることはタブーとされているが、知力は黄色人種・白人・黒人の順であり、運動能力はその逆だろう。勿論これはあくまで平均値での話であり個々を見れば例外だらけだ。しかしアジア人がハーバード大学に合格するためには、白人より140ポイント、黒人やヒスパニックよりは450ポイント高い点が要求されているらしい。そうしないと日・中・韓・印などのアジア人のシェアが高くなり過ぎるからとのことだ。この情報源はNewsweekだから多分事実だろう。
 最近、黒人との混血の日本人アスリートの活躍が目立つ。芸能人には白人との混血が多い。大和民族の過剰重視こそ悪しき民族主義ではないだろうか。それぞれの民族の長所を正当に評価すべきではないだろうか。
 昔ほどではないが日本人はチビで胴長短足だ。これは見た目が悪いだけではなく身体能力としても大きなハンディになる。日本人の弱点を自覚して新たなハイブリッド化を目指すことが日本人の質的向上にも繋がるのではないだろうか。

2015-08-06 09:35:35 | Weblog
 DDTという殺虫剤は様々な有害性があるとして、日本では1972年に製造販売が禁止された。危険な物を禁止することは良いことだろうが、メリットを考慮しないことは片手落ちだ。スリランカでは、それまで年間約250万人だったマラリア患者がDDT散布中は31人まで激減していたのに、禁止後僅か5年で年間250万人の状態に戻ってしまった。この事態にWHO(世界保健機関)は2006年にDDTの使用を再承認した。
 DDTの禁止が招いたのは更に危険な殺虫剤の使用とマラリア患者の激増だった。DDTに代わる安全な殺虫剤が開発されるまでDDTの使用はやむを得ないということだ。
 何であれメリットとデメリットがある。合成保存料は有害物だろうが、それによって食中毒が予防されている。手術は危険な治療方法だろうが、それによって助かる命がある。たとえ危険であろうともそれによって得られるメリットのほうが大きければそれに頼らざるを得ない。
 マスコミが紫外線の危険性を煽れば何も考えずに日焼け止めを塗りたくる。実証データがある訳ではないが、紫外線よりも日焼け止めクリームのほうが発癌性が高いのではないだろうか。少なくとも日照不足によるビタミンD欠乏症を招いていることは確実だ。
 化粧品に対する女性の無警戒ぶりには呆れる。多分、周囲の人も皆、長年使っているから不安を感じないのだろうが、薬品を塗りたくっていれば害があって当然だろう。カネボウの美白化粧品で多くの女性が白斑肌になったと報じられた時、私は全く驚かなかった。起こるべくして起こったと思ったからだ。多分氷山の一角だろう。
 検査数値が基準値を1ポイント上回るだけで薬を飲まされる。こんな治療は不要だろう。自覚症状があるか更に悪化する迄は、生活習慣病の危険性よりも薬の副作用のほうが怖い。
 巷ではメリットとデメリットを秤に掛けない議論が多い。危険性がすぐに禁止へと短絡的に飛躍する。公園の遊具は次々に撤去され、エスカレート上の歩行さえ咎められる。デメリットがあればすぐに禁止されるのが最近の風潮だ。メリットにも目を向ける必要がある。私は薬の有害性を散々指摘しているが緊急時の使用までは否定しない。試験などにおいて解熱剤や下痢止めを使うことは必要だろう。
 危険という警告に過剰反応すべきではない。何等かの必要性があるからそれは使われている。そもそも長所は短所でもあり得る。優しさは優柔不断であり勇敢さは無謀に通じる。善と悪でさえ多分DNAのように螺旋構造になっているのだろう。