俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

分別

2015-08-23 10:30:33 | Weblog
 消費税は悪い税制だ。万人に平等に負担させるからだ。平等に負担させることに合理性は全く無い。年金生活者であれば収入は一定だから、消費増税の度に可能な消費は少なくなる。それどころか赤貧に喘ぐ人にまで納税させる惨い税制は他には人頭税しか無かろう。
 ではなぜこんな酷い税制が認められているのだろうか。平等が良いこととされているからだ。消費税を否定するためには平等を否定せねばならない。誰もそんな面倒な議論などしたがらない。
 憲法第14条は「法の下の平等」を定めているだけであり、税金を平等に収める義務など無い。消費税が悪税であるのは逆進性があるからではない。みんな騙されている。平等な負担であるからこそ悪税なのだ。逆進性を根拠にした批判は事実に背くから説得力を持ち得ない。消費税の是非に関する議論は根本から誤っており、消費税に逆進性など無く、悪しき平等性がある。
 平等という概念に反対すれば短絡的に「差別主義者」とレッテルを貼られかねない。しかし広辞苑に依れば差別とは「正当な理由なく劣ったものとして不当に扱うこと」であり「正当な理由に基づいて正当に扱う」ならこれは差別ではなく区別だ。
 区別は必要なことだ。例えば学校給食において平等な扱いをすれば、体の大きい大食漢は必要量を食べられず、その一方で少食の人は食べ残す。配膳係が気を利かせればこんな無駄は無くなる。同じ給食費で多寡があるのは不平等だと文句を言う人もいるだろうが、給食が残ってゴミになるよりずっとマシだろう。
 荷物を運ぶ際、力の強い人は重い物を担当すべきだろう。体力が異なるのだから同じ重さを担わせることこそ不公平だ。同様に、収入の多い人は多くの税金を納めるべきだろう。
 公共投資は一括りにされるから評価が分かれる。当たり前のことだが良い公共投資と悪い公共投資がある。それを仕分ける尺度が乗数効果だ。良い公共投資であれば民間投資を呼び込んで大きな乗数効果が生まれる。例えば東海道新幹線が作られた時、鉄道事業が巨大なビジネスチャンスであっただけではなく、完成後には遠隔地との事業が活性化されてとんでもない乗数効果が生まれた。逆に乗数効果が最低であるのは高額所得者に対する年金の支給だろう。当時日本一の金持ちと言われた松下幸之助氏は自分が年金受給者であることに驚愕したそうだ。この場合の乗数効果はほぼゼロだろう。
 高額所得者に対する減税は投資ではないがこれを敢えて投資と考えるなら、松下氏に対する年金の支給と同様に、乗数効果はゼロに等しい。ヒグマしか通らない道路を作ったり、穴を掘って埋めるだけの公共事業も乗数効果を生まない。公共投資は良いものと悪いものに分別する必要がある。無分別(ムブンベツ)こそ無分別(ムフンベツ)だ。

神の火

2015-08-23 09:45:54 | Weblog
 「ソドムとゴモラ」はなぜ滅ぼされたのだろうか。「創世記」の記述ではさっぱり分からない。先に成立していた創世記を補完するために書かれたと思われる「エゼキエル書」にも「高ぶり、食物に飽き、安泰に暮らしていたが、彼らは乏しい者と貧しい者を助けなかった。彼らは高ぶり、私の前で憎むべきことを行った」としか記されていない。これが「硫黄と火を降らせて(中略)ことごとく滅ぼす」に足る悪徳だったのだろうか。ノアの洪水にしてもなぜ動物まで罰したのか理解できない。旧約聖書の神は、気に入らない者がいればその個人だけではなく無差別に片っ端から滅ぼしてしまう乱暴な神であるようだ。
 突然聖書の話を持ち出したのはこれが西洋人の精神の根幹だからだ。彼らは子供の頃から聖書の物語を読み、知識や知恵として共有する。聖書の倫理観は彼らの血肉となっている。彼らの行動原理には聖書がある。
 極東のちっぽけな島に棲息していたイエローモンキーが不遜にも白人に戦いを挑んだ。白人は彼らをコテンパンに叩きのめすだけでは飽き足らず、神罰として原爆というそれまでの兵器とは全く次元が異なる「神の火」によって惨殺し二度と逆らう気を起こさないほどの恐怖を植え付けた。これは「神の火」と言うよりむしろ異教徒を掻き尽くす「地獄の業火」だろう。
 これが原爆投下の本音ではないだろうか。彼らは神に倣って広島と長崎を殲滅することによって神の座に着こうとした。これは白人の絶対的優位性を示威するために必要な宗教的行動だった。実は日本が1944年からソ連経由で講和を求め続けていたのにアメリカ側がそれを無視し続けていたことが、後になって公開された機密文書によって証明されている。アメリカとしては原爆という「神の火」によって戦争を終結させたかったのだろう。
 ではなぜ白人は神の座から落ちたのだろうか。アジア諸国の独立だ。それまで白人に逆らう劣等人種は日本人だけだったが、第二次世界大戦後、アジア全域で独立運動が起こった。彼らは「神の火」を恐れなかった。
 アジア諸国の独立に日本がどれだけ貢献したかは人それぞれが勝手に評価しても構わない。しかし独立戦争に協力した元日本兵が決して少なくなかったという歴史的事実は認められるべきだろう。彼らの多くは本当にアジア諸国の解放のために命懸けで戦ったのではないだろうか。
 アメリカの黒人はリンカーンによる奴隷解放で一挙に人権を獲得できた訳ではない。今でも警察官による暴行がしばしば報じられるように差別意識は根深い。アジア諸国が独立することによって白人は神の座から引き摺り降ろされ、そのことが黒人を勇気付けたのではないだろうか。
 アメリカを神のように崇めているのは大火傷を負わされた日本人だけではないだろうか。日本人は「神の火」の恐怖から未だに逃れられず、忠実な僕であり続けている。GHQによる7年近い言論統制によって日本人は言論の自由を失ったままだ。東京裁判では呆れた事後法である「平和に対する罪」や「人道に対する罪」によって日本の指導者が裁かれたが、本来裁かれるべきなのは前者はルーズベルト、後者は原爆投下を命じたトルーマンではないだろうか。