俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

統制経済

2015-08-16 10:21:00 | Weblog
 中国経済がいよいよ危機的状況を迎えつつあるようだ。昨年来の地価の下落や先日の株価の暴落に続いて、今度は通貨の切り下げだ。形振り構わず経済を守ろうとしている。
 これが統制経済の最大の欠点だ。自由経済であればあちこちに綻びが生じる度に微修正が施される。統制経済では国が介入して梃入れが続けられ限界を超えた時点で一気に破綻する。無理に無理を重ねるから突然カタストロフィーを迎える。
 為替レートを人為的に操作すれば不正も発生し得る。対ドルの基準値は10日の6.1162元から13日の6.4010元までたった3日で約4.6%切り下げられた。当事者は予めこの変動を知っているのだから資産をノーリスクで4.6%増やすことができた。汚職が横行する中国のことだからこれで一儲けした公務員もいただろう。それどころか組織ぐるみでの買い占めもあり得る。これで国が損をする訳ではないのだから正に役得だろう。僅か4.6%と侮ること勿れ。これは一万円札を9,500円で買うようなものだ。全財産を投じるどころか借金をしてでも投資する値打ちがある。株にせよ為替にせよ、市場が決めるべきことに介入すれば不正が生まれる。
 かつて日本でのバブル崩壊の時には土地神話があった。土地の価格は下がらないという信仰があったために土地本位制が成立して、土地を担保にした借金が蔓延した。ところが土地の価格が下がった。総ての銀行が土地という不良債権を抱えることになった。
 様々な作物を作っている農家であれば、異常気象でもどれかが成育する。単一の作物の単一品種しか扱っていなければ全滅する恐れがある。実際にアイルランドでは主食のジャガイモの伝染病によって飢饉になったことがある。
 ムカデであれば足が沢山あるから1本や2本を損なっても大事には至らない。人間の足はたった2本しか無いから、たとえその足が頑丈であっても些細な傷を負うだけで歩けなくなってしまう。
 正しい選択肢は常に無数にある。しかしどれが最善であったかは結果が出てからしか分からない。未来を予想することは至難の業だ。最も正しい選択肢がどれであるかは分からないが誤った選択を避けることなら可能だ。優秀なリーダーとは誤った選択をしない人だろう。
 最も正しい選択肢を選べると信じるのが統制経済だ。分からないことを分かったつもりでいるから為替にまで介入せざるを得なくなる。「神の見えざる手」など存在しないが、様々な対応をしていればどれかが当たる。どれかが当たることによって致命傷を避けることができるのだから、自由経済は統制経済よりも優れている。

トーナメント戦

2015-08-16 09:40:11 | Weblog
 夏の甲子園大会が真っ盛りだ。地区大会を勝ち抜いたチーム同士が競うのだから面白い。戦うのはどちらも地区大会で無敗だったチーム、そして甲子園でも未だ負けていないチーム同士が競う。リーグ戦とは違って負ければ後が無い。勝ち抜き戦は最もスリリングだ。こんな時に昔の戦争のことを考えるのは不謹慎かも知れないが、大日本帝国軍はそんな気分で戦ったのではないだろうか。
 勝つか負けるかは五分五分ではない。四分六分や一分九分もある。しかし圧倒的に不利な筈の戦いであっても勝ってしまえば「不利だった」という予想は否定されて「勝った」という事実だけが残る。
 日清戦争で勝った。これでアジアチャンピオンになった。日露戦争でも勝った。これでユーラシアチャンピオンになった。どちらも奇跡的な勝利だったが勝ったという事実のみが残る。国民はまるでトーナメント戦で勝ち抜いたチームのような気分になって盛り上がる。これまで負けなかったのだから今後も勝てるという気分になる。どんな強敵も怖くなくなる。残るは老大国イギリスと新興国アメリカだけだ。これは雌雄を決せねばならない、と思ったのではないだろうか。
 国際情報を単純化し過ぎだと思われるかも知れない。しかし人間の心理は意外と単純なところがあり、ギャンブルや株で勝ち続ければ行け行けドンドンの気分になり、負けが込むと途端に意気消沈する。個人以上に群衆心理は偏った方向にブレ易い。多数者になった群集は向こう見ずになって突っ走り勝ちだ。世論が後押しをすれば止まれなくなる。勝って兜の緒を締めよは至言であり、勝ち続けていると負ける気がしなくなって無謀な戦いに挑むことを諫めている。
 日中戦争はともかく、日米戦争に突入してしまったのは軍部の暴走ではなく、マスコミと大衆の異常な昂揚感が原因だったのではないだろうか。特に戦争を煽ったのは朝日新聞と毎日新聞だったと言われている。この2紙は今では左寄りの新聞だ。戦前・戦中を反省したからなのか、はたまた読者に迎合しているだけなのかは分からない。読者を煽るばかりではなく、高まり過ぎた昂揚感に水を差すことも新聞の重大な使命なのだが、今もこの2紙の煽りたがり屋の性癖は改まっていない。世論を味方にできそうになるとすぐに暴走してしまう。