俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

原発再稼働

2015-08-14 10:12:57 | Weblog
 硫酸とウィスキーとどちらが危険だろうか。硫酸であれば厳重に管理されるし充分に注意して取り扱われる。しかしウィスキーは室内に放置されて、知らずに子供が飲んでしまうこともあるだろう。どう扱われているかによって危険性は大きく異なる。
 原発事故以降、日本人は原発を怖がるようになった。原発を絶対悪であるかのように考える人までいる。私は全く逆に、事故以前よりも安全になったと考える。管理体制が事故以前よりも遥かに充実したからだ。
 それまでに事故が無ければ安全で、一度でも事故を起こしたら危険とする白黒分類を私は好まない。事故が偶然か必然かを冷静に判断する必要がある。それまで事故が無かったのが偶然なら事故が起こったことも偶然だろう。ついでに言えば、事故発生直後に、スタンドプレーが大好きな愚かな総理大臣が防災活動の邪魔をしなければ、被害も少しはマシだっただろう。そのことを反省している気配さえ見えず今尚、政治家を勤めている。
 重大な事故を起こした原発をなぜ再稼働するのか、という主張は全然的を射ていない。これは毎日自動車事故が起こっているからという理由で自動車の運転を禁じるようなものだ。自動車事故のほうが遥かに頻繁に起こっている。
 私は原発事故以前から、原発は危険だから日本には要らないと何度もブログに書いていた。実際に地震と、私が予想しなかった津波によって原発事故は起こった。予想が当たったことを喜ぶ気にはなれないし、事故後、俄かに反原発を唱える人の仲間にもなりたくない。
 今後、日本に新たな原発が作られることは無かろうが、既に作られた原発については、比較的安全な物に限って廃炉にするまで約10年間の期間限定で再稼働しても構わないと私は考える。千年に1度と言われる大地震がこの20年以内に起こる可能性は極めて低い。40年前の自動車であろうとも、安全性が確認されたなら公道を走っても構わないだろう。

未病

2015-08-14 09:43:18 | Weblog
 未病という理念には賛同できるが、これを口実にして行われていることは酷過ぎる。これほど理念と実態が懸け離れた活動は珍しい。
 風邪を治療するよりも風邪に罹りにくい丈夫な体を作る、HIV(エイズ)の治療よりも感染防止、毎日敷居で頭をぶつけるなら瘤の治療薬を常備するよりも住宅をリフォームする、私はこれらに全面的に賛成する。是非そうするべきだ。ところが医療の現場ではとんでもないことが行われている。
 血圧がほんの少し高ければ降圧剤で下げる、腫瘍が見つかれば良性か悪政かを問わずに切り取る、風邪の患者には「念のために」と言って抗生物質を処方する、欝状態の人が鬱病にならないように抗鬱剤(ハッピードラッグ)を飲ませる、メタボ検診に基づいて基準値を守らせる、こんなことが未病の対策として行われている。これらは早期発見・早期治療ではなく病気のデノミだ。病気ではない人に対する無駄な治療でありこれが却って医原病を招いている。
 これらが無駄な医療であるのはあくまで確率的な話だ。たまには有効な場合もある。しかし少数の有効な治療のために無数の無駄な治療が行われている。風邪であればウィルスが原因だから抗生物質は効かない。効かないことを承知の上で抗生物質を処方するのは、肺炎などの細菌性の病気の初期症状である可能性がゼロではないからだ。しかし肺炎であれば症状が表れてからでも対処できる。だからこれは健康な人に無差別に抗生物質を処方するのと同じ愚行だ。未病ではなく無病に対する無駄で有害な医療だ。
 未病という理念のために最も重要なのは栄養学ではないだろうか。困ったことに医学部の授業では栄養学を殆んど学ばないらしい。栄養学の知識が無いから医師はサプリメントや薬に頼る。未病のために必要なことは、医学に閉じ篭らず、栄養学や生理学、あるいは心理学まで含めた総合人間学だろう。医学だけで対応しようとするから歪められる。洋服屋には人がハンガーに見えるらしいが、医師には健康な人も病人に見える。医学は元々、病気を研究する学問であって健康は対象外だ。医学の範疇を超えなければ未病対策にはならない。