俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

注意報

2015-08-27 10:26:01 | Weblog
 昨日(26日)昼のNHKのニュースでの三重県の天気予報には呆れた。天気予報では一日中曇としておきながら三重家県のほぼ全域に大雨注意報を出していたからだ。当たり前のことだが大雨の可能性よりも雨の可能性のほうが高い。雨と予報せずに大雨に対する注意を促すとは一体何を考えているのかと思った。結果としては、伊勢ではごく短時間、小雨が降っただけだった。これは万一大雨が降った場合に備えた責任回避なのだろうか。そんな無責任な予報をしていればイソップ寓話の狼少年のようになりかねない。
 こういう論理的に誤った告知は意外としばしば見受けられる。こんなパズルをご存知だろうか?
 A氏は大学の哲学科を卒業してサラリーマンになった。彼は定年退職後どう暮らしているだろうか。最も可能性が高いと思うものを選べ。①年金受給者②ブログを書く年金受給者③時々働く年金受給者。
 もし②か③を選んだ人がいれば論理学を基礎から学んだほうが良かろう。「最も可能性が高い」のは①だ。②も③も①に条件が加わるのだから可能性は①よりも低くなる。
 癌と診断された人は俄かに死について考えるようになる。これは奇妙な話だ。人は必ず死ぬ。人が死ぬ確率は100%だ。だから癌と診断されて初めて死を意識するのではなくそれ以前から意識すべきだろう。交通事故や心疾患などで明日にも死ぬかも知れない。だから人は自分や肉親や知人の死について備えておく必要がある。しかしそんなことは縁起が悪いという理由で考えまいとする。
 起こり得ることはたとえ考えなくても現実になり得る。これは災害に遭遇した人が目を塞いでも危機を免れ得ないのと同じことだ。見えなくなっても現実は変わらないし考えなくても起こるべきことは起こる。もし考えないことによって死亡率が下がるなら考えないほうが良かろうがそんなことはあり得ない。だから自分や関係者の死について予め考えておいたほうが良い。
 戦争は悲惨だ。だからそんなことは起こって欲しくない。しかし戦争について考えなければ戦争を回避できる訳ではない。戦争が起こらないように、そして仮に起こっても軽微な武力衝突程度で済むように準備をしておくことが大切だ。戦争などについて考えることさえ忌まわしいと考えて何もしなければ、いざという時に正しい対応ができない。備えあれば憂い無し。

可能性

2015-08-27 09:47:05 | Weblog
 稀な事例であっても事故があると大騒ぎをする。すぐに事故を根絶せよという話になる。エスカレータで事故が起こると、歩くから悪い、歩かせるな、と主張される。原発事故が起これば即時全廃という話が出る。航空機事故が起これば空港や基地を閉鎖せよと要求される。事故を起こした側には負い目があるから平身低頭で謝罪する。反論が許されない状況だから妙な要求であっても通ってしまうことがある。事故に付け込んだ恐喝事件も起こり得る。
 事故の後で基準が厳しくなるのは、それまでの危惧が単なる可能性ではなく現実になったからだ。可能性と現実は白と黒ほど違うように考えられ勝ちだが、それは可能性の意味を理解していないことに基づく誤解だ。杞憂も交通事故も可能性ではあるがこれらを同等に扱うべきではない。可能性はグレーのグラデーションでありこれを数値化するために確率という手法が使われる。
 分析判断とは違って総合判断は必ずしも正しくない。例えば「カラスは黒い」という命題は総合判断としては「現時点では総てのカラスが黒い」という意味に過ぎない。だから将来、白いカラスが現れる可能性を否定できない。ところが予め「黒くない鳥はカラスではない」と定義しておけばこの命題の対偶である「カラスは黒い」が分析判断になり常に正しい命題になる。分析判断とは違って総合判断は100%正確ではあり得ない。だから例外が発生する可能性は常にある。予測のためには確率という概念が欠かせない。
 天が落ちて来るという杞憂が1年以内に現実になる可能性は殆んどゼロであり、日本のどこかで交通事故が起こることはほぼ確実だ。宝くじで大金が当たる可能性は極めて低いがゼロではない。近日中に日本でエボラ出血熱によるパンデミックが起こる可能性もゼロではない。明日、白いカラスが見つかる可能性がゼロでないように、総合判断である限り例外の発生は避けられない。しかし事実の確実性は確率の高さで評価されるべきであって、起こったことは現実で起こっていないことは非現実などと乱暴に分類すべきではない。99%確実でありながら起こらないこともあれば1%の可能性しかないことが現実になることもある。たった一度買った宝くじで1億円当たってもそのことだけで現実的であると判断できない。そんなマグレ当りを現実として過大評価すべきではない。
 ルールは本来、非常時ではなく平穏時に、冷静に検討して定められるべきだ。事故を教訓にすることは必要だが、冷静でなければ妙な規制ばかりが増える。
 実際に起こったことであっても例外とすべきことは沢山ある。ワシが落とした亀が頭に当たって死んだ人がいても、空から亀が降って来ることを警戒することは無意味だ。危険性は確率的に考えるべきであって、例外を過度に騒ぎ立てるべきではない。リスクの高さは危険性×確率によって算出される。