俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

国民性

2012-11-17 14:59:00 | Weblog
 国民性は変化するものだ。日本人の国民性は産業構造の変化に合わせて変わった。
 第一次産業の時代には自然との関係が最も重要だ。気候の変動を予想しても自然の猛威の前には平伏すしか無い。自然に対して喧嘩を売っても虚しいだけだ。当時の国民性は我慢強さと従順さだった。
 第二次産業の時代なら機械との関係だ。機械が人を支配した欧米とは違って、日本では人が機械を操ったからトヨタの「カイゼン」に代表されるような活動があちこちで見られた。必要とされた資質は正確さと工夫でありこれが国民性となった。
 第三次産業の時代は人との関係だ。個々に大きく異なり気まぐれな人間が相手だから自我を抑えることが求められる。必要な資質は社交性だ。
 現代社会の特徴は格差社会であり知識社会だろう。文明の進歩に伴い作業の多くが機械化されることになった。例えばかつては経理部門だけではなくどの職場にも数値管理を担当する事務員が必要だったが今ではその業務の大半をコンピュータが代行する。あるいはコンピュータ制御の機械が充実したので熟練工のニーズも減った。その結果として企業にはホワイトカラーしか必要ではなくなった。つまり熟練した事務員も作業員も必要性が激減した。熟練した技能が要らないのなら正社員を充てる必要がなくなり非正規社員で充分ということになる。
 雇用が二極化したのは知識社会としての必然だ。社会の変化が労働者派遣法の緩和を促したのであって、派遣法の緩和が二極化を促した訳ではない。
 社会が二極化すれば国民性も二極化するということになるのだろうか。

1日6食

2012-11-17 14:27:35 | Weblog
 女性の痩身願望は男には理解し難い。太目の人が痩せようとするのなら分かるが既に充分に細い人までが更に痩せようとするのは不可解だ。私は痩せることや減量することを余り良いこととは思っていない。減量食をヘルシー食と呼ぶのは犯罪的なことだと思っている。虚弱化食とでも呼びたいところだ。
 痩せたい人にお勧めできる減量法が1つだけある。1回の食事の量を減らして回数を増やすことだ。芸能人やモデルが既に実践していることであり、私などが口を挟むべきことではないかも知れないが、どうせ痩せるなら少しでも健康な状態で痩せて欲しいと思う。その意味で栄養摂取量を減らさずに痩せるこの方法をお勧めする。
 健康に痩せる方法の前に太る方法について触れておきたい。1日1食か1日2食にするのが一番だ。これを組織的に行っている人々がいる、相撲取りだ。彼らは体重を増やすために涙ぐましい努力をしている。そのノウハウの1つが1日2食だ。
 食事の間隔が長ければ多くのエネルギーを体に蓄える体質になる。つまり次の補給までに力を使い切らないように備えるということだ。方法は2つある。1つは基礎代謝量を減らしてカロリー消費を抑えることであり、もう1つはエネルギーを体脂肪として備蓄することだ。
 このことは自動車を例にすれば分かり易い。ガソリンが残り少なくなればエネルギーロスの少ない運転をするし、これに懲りてその後は多めに給油するように心掛けるだろう。体も全く同じことをする。動物の体はよくできており食習慣に合わせてエネルギーの消費量も備蓄量も変更される。従って食事の間隔を狭めることによって基礎代謝量を増やし、同時に脂肪の蓄積を減らすことができる。
 繰り返すが、私は細いほうが美しいとは思わない。しかし人には自分の体型を選ぶ権利がある。それならできるだけ健康な状態で痩せて欲しい。女性が病弱なミイラになることを男は望んでいない。

化粧

2012-11-15 09:35:02 | Weblog
 プラトンはソクラテスの姿を借りて、誤魔化しの技術として化粧を否定した。つまり栄養やスポーツなら人を健康にしてそれが健康美に繋がるが、化粧は美しくないものを美しく見せようとするからだ。ハイヒールを履けば足が長いように見えるが実際に足が長くなる訳ではない。実際にどうであるかを改善せず見せかけだけを誤魔化しているに過ぎない。
 私はもっと極端な考えだ。化粧とは未来を犠牲にして今を取り繕う技術だと考える。化粧によって今は美しく見える。しかし化粧品は薬物であり即毒物だ。毒物を塗りたくることによって体は損傷し将来醜くなる。
 これはドーピングのようなものだ。ドーピングをすれば一時的に運動能力が高まる。しかしこれはまやかしの能力であり実力ではない。それだけでは済まない。将来、後遺症に苦しむということもあり得る。
 麻薬にも似ている。麻薬を使えば苦しみを忘れる。しかしこれは幻想に過ぎず麻薬の効果が切れれば元に戻る。長期間常用すれば廃人になる。
 私が認める化粧が1つだけある。それは死化粧だ。死者に未来は無い。だからどれだけ厚化粧をしても構わない。未来の無い死者であればこそ今さえ良ければそれで充分だ。
 未来のある女性、しかも最も肌が美しい時期である若い女性が厚化粧をすることは好ましいこととは思えない。男を引っ掛けさえすれば未来などどうなっても構わないと考えているのだろうか。

予防のウソ

2012-11-15 09:08:22 | Weblog
 治療よりも予防のほうが望ましい。腕を切断してから縫合するよりも切断しないほうが良い。これなら当り前のことだ。しかし過剰な予防には弊害がある。随分前から小学校では鉛筆をナイフで削ることを禁止しているそうだ。その結果として家庭科で包丁を使う女児のほうが男児よりも刃物捌きが巧みになった。
 医療では症状が現れる前に治療しようとする。各種検査値が正常でなければ自覚症状が無くても「未病」状態として薬漬けにされる。癌は「早期発見」というかなり怪しい口実を使って手術されてしまう。病気でない人に対する医療行為ほど楽な治療は無い。元々病気ではないのだから毒でも盛らない限りは悪化する恐れは無い。
 おかしな環境問題が横行するのも予防という虚構のせいだ。かつての環境問題は事実に基いていた。四日市喘息であれ水俣病であれ被害者がいたからこそ改善が急がれた。結果に対する対策なら効果を確認できる。現実として被害者がいるのだから被害者を救えるかどうかが評価の基準となる。
 しかし昨今の環境問題は事実ではなくフィクションに基いている。環境ホルモンであれダイオキシンであれ地球温暖化であれ、どれも被害者はいない。誰一人として被害を受けていない時点で「放置すれば大変なことになる」と騒ぎ立てる。被害者は一人もいないのだからイワシの頭を飾っておくだけでも対策を実施したことにできる。被害者はいないのだから加害者とはスケープゴートのようなものであり多くは唯のでっち上げだ。だから騒いだ者が勝つ。これは正しい未来予測に基くものではなく多くは利権に基いている。踊らされたほうが馬鹿だったと言っても過言ではなかろう。

発電パイプ

2012-11-13 10:34:45 | Weblog
 エネルギー効率の高い冷房装置として地下パイプ(5月4日付け「地下(2)」参照)があるがもっと高効率なものとして水中パイプを考えていた。つまり川の両岸の施設間に2本の水中パイプを通して空気を循環させれば両方の施設で常に冷たい空気を得ることができる。地下パイプなら周囲が徐々に暖まって熱効率が落ちるが川の水なら常に流れているので半永久的に冷風が得られる。
 このアイデアに一工夫を加えた。パイプをタービンにすることだ。パイプの外側を翼の付いた回転体にすれば水力発電が可能な筈だ。この回転エネルギーを使って空気を循環させればパイプを設置するだけで自己完結が可能な冷房システムになる。夏以外なら送風を止めて発電機として使う。
 逆の言い方をすれば川を跨ぐ2本の水力タービンの中心部を空洞にして送風すれば発電と冷房が同時に実現できるということになる。
 私は技術者ではないのでこれが可能かどうかは分からない。発電のための回転運動がどの程度パイプの空気を暖めることになるかも知らない。あくまで素人の机上での空想だ。しかし無理なシステムとは思えない。
 私は時々こんなアイデア商品を考えて面白がっている。日傘に太陽光パネルとそれを動力とする小型扇風機を付けたら涼しかろうとか、ビタミンやミネラルを添加した第3のビールを開発したら売れるのではないかとかいった馬鹿なことを考えるのが好きだ。これらは実現できないものだろうか。もし発電パイプが可能なら事業化しても良いとさえ思っている。 
 

コゲ

2012-11-13 10:06:05 | Weblog
 マスコミは怪しい情報を平気で垂れ流す。正確さ・重要性よりも話題性が優先されるから刺激的な情報を報じる。たとえそれが間違っていても訂正することは滅多に無い。そのために間違った情報でもそのまま定着してしまう。
 コゲに発癌性がある、と騒がれたことがあった。その後の研究で、一生コゲばかりを食べ続けない限り問題は無いことが分かったらしい。しかしそれでも「コゲには発癌性は無い」とは発表できない。一生食べ続ければ癌になる可能性は残っているからだ。
 これが白黒二分法の厄介なところだ。「白でない」ということが実質的に「黒」にされてしまう。限りなく白に近いグレーであろうとも白とは言えない。しかしこんな論法なら米であろうと肉であろうと発癌性物質にされてしまう。そして一旦グレーの烙印が押されてしまうとそれを反証することは困難なのでそのまま常識として定着してしまう。
 焼きおにぎりが市場から消えたぐらいなら構わない。しかし焼き魚のコゲが嫌われて皮を食べない人が増えたなら問題だ。皮を捨てたら10%ほど食料が減りゴミが増える。食料自給率が下がってゴミが増えるのだからマスコミは罪作りだ。
 「食に関して危ないことは何か」と尋ねたところ、日本の主婦は①添加物②農薬③コゲ、と答えたそうだ。毒物やウィルス・細菌や鮮度がランク外であることに驚かされる。多分、添加物や農薬についてわざわざ調べる人は殆んど皆無だろうから、主婦にとっての安全基準はコゲだけということになってしまう。こんな間違った常識を持っているから0-157などによる集団食中毒が繰り返されるのだろう。本当に注意せねばならないのは毒物やウィルス・細菌や鮮度なのにコゲにばかり関心が向かうのはマスコミが誤った情報ばかり流して訂正をしないからだ。

ザル法

2012-11-11 14:08:10 | Weblog
 日本にはザル法が沢山ある。売春防止法や未成年者飲酒禁止法などだ。刑法の賭博罪や猥褻物陳列罪も目溢しだらけだ。憲法9条も空文化している。
 これらがザル法になっているのは、憲法9条以外は、警察が勝手に目溢しをしているからだ。しかしこれは奇妙な話だ。違法かどうかを決めるのは司法の権限であり、行政機関である警察が勝手に判断することは三権分立の原則に背く越権行為だ。警察はあくまでも法の番人であるべきだろう。
 違法に対して寛大であることを「大人の対応」と考える人もいる。しかしそんな甘い考えでは困る。未成年者の飲酒以外は利権が絡んでいるからだ。
 警察とパチンコ業界の癒着は公然の秘密だ。警察からの天下り先にもなっている。ソープやストリップとの癒着はよく分からない。金銭的なものなのかあるいはサービスの提供なのか・・・。警察に対する接待が不充分な事業者だけが摘発を受けて犯罪者に仕立て上げられる。こんな恣意的な治安維持は法治国家ではない、利権国家だ。
 組織犯罪に寛大な警察は個人犯罪にはもっと寛大だ。交通違反を揉み消して貰う人は決して少なくない。あるいはもっと恐ろしいことをやっているのではないかと想像すると背筋が寒くなる。些か荒唐無稽な話だが、昭和43年に起こった3億円事件は迷宮入りしたことになっているが、実は警察が巨額の賄賂を取って揉み消したのではないかと勘繰れる。昭和59~60年のグリコ・森永事件も同様だ。解決できそうな事件が解決されなかったのは表の事情ではなく裏の事情ではないだろうか。日常的に犯罪を目溢し・隠蔽している警察にとってこれは難しいことではないし、警察を捜査する権限は誰も持っていないから調べようも無い。
 法律を好き勝手に曲解して利権を貪る警察を超法規的な絶対的権力者にしないためにもザル法の見直しは急務だろう。

健康オタク

2012-11-11 13:43:30 | Weblog
 私自身、健康に無関心な訳ではないが、健康オタクに対しては違和感を覚える。彼らの健康志向には何か不健康なものを感じる。前にも紹介したことのあるジョークをここに再掲する。
 患者「長生きしたいんです。」
 医師「酒は飲みますか?」
 患者「そんな健康に悪い物は飲みません。」
 医師「煙草は?」
 患者「絶対に吸いません。」
 医師「それではコチラなら?」と言って小指を立てた。
 患者「健康に悪いから興味ありません。」
 医師「あんたは何が楽しみで長生きしたいんだ!」
 快楽が総てだとは思わない。自己実現だろうと何だろうと、生きる目的は各自が勝手に決めれば良い。しかし何を目的にしようとも生きていなければ何もできない。「何か」のために生きる。少なくとも生きるために生きるということは不合理だ。
 シェークスピアは「人生は舞台だ」と言った。私なりに捕捉すると、人生は何かをするための舞台だ。生きていなければ何もできないからだ。しかし生きることは目標とはなり得ない。人生とは何かをするための舞台であって芝居そのものではない。
 健康オタクは健康のためなら何でも犠牲にしようとする。本来、何かをするために健康でありたいと考える筈だが健康そのものが目的になっている。あれもダメこれもダメと楽しいことを否定して生きることを無味乾燥なものにしようとする。まるで楽しむことは罪だと考えているようにさえ思える。欲望を解放することに対する恐怖から過剰に抑圧が働いているのではないだろうか。
 逆に、楽しいことをしていれば免疫力が高まると言われている。ストイックな健康オタクよりもエピキュリアンのほうが却って長生きするのではないだろうか。楽しく生きることこそ正しい健康法だと私は思う。

タライ回し

2012-11-10 09:37:21 | Weblog
 タライ回しは過去のものと思っていた。大抵のお役所では案内係が配備され、どの窓口に行けば良いのか分からない住民が振り回されることは少なくなった。しかし意外なところにタライ回しが残っていた。パソコンの問い合わせだ。
 パソコンの画面が青地に白の英字に変わってしまった。ブルーバックと呼ばれるトラブルらしい。そのことを画面上でウインドウズに送信していたら「インテルにアクセスしてインストールすれば解決する」という画面に辿り着いた。ところがインテルの画面は英字だ。日本語のパソコン用語でさえ充分に理解できない私が怪しげな英語力に頼って操作すれば無茶苦茶になりかねない。そこでNTTのリモートサポートセンターに助けを求めた。しかし返答は「機械のトラブルなのでメーカーに連絡せよ」とのことだった。東芝に電話すると留守番電話に繋がり「ウインドウズのトラブルはマイクロソフトに連絡せよ」とのことだった。どうやら東芝ではトラブル対応を放棄しているようだ。マイクロソフトに電話すると留守番電話で「込み合っているので折り返し電話する」とのことだった。
 1時間ほど待ったが待ち切れなくなって再度マイクロソフトに電話をするとオペレーターが出て「担当者に繋ぐ。代金は内容に関わらず一律4,200円だ」と言ってそのまま待たされた。受話器を抱えたままで待っていたが、そのうちまたブルーバックに変わり何度も再起動を繰り返しているうちに正常画面に戻り、「インテルにアクセスせよ」という表示が現れなくなった。1時間ほど待ってようやく担当者が電話口に出た。しかし肝心の「インテルにアクセスせよ」という表示が現れないのだから尋ねようが無い。結局、2時間余りを浪費した末に、勝手に直ってしまった。変な話だ。もしトラブル中に電話が繋がっていたら4,200円請求されていたところだ。自然に直るような簡単なトラブルでも4,200円請求するのはボッタクリだ。独占企業だからこんな不誠実が許されているのだろう。

隣国

2012-11-10 09:07:42 | Weblog
 中国には古くから近攻遠交という外交戦略がある。遠くの国と親交を深めて近くの国を攻めるという戦略だ。挟み撃ちの標的とされた国は圧倒的に不利になる。
 隣国とは利害が対立し易い。例えば領土だ。日本は国境を接する総ての国と領土問題を抱えている。こんな国は珍しいのではないだろうか。ヨーロッパではドイツとフランスが領土を巡って何度も戦った。EUは独仏間の領土争いを防ぐために考案されたとさえ言えよう。
 資源争いも少なくない。特に国境を跨ぐ川を巡る争いは多い。上流に位置する国で大量に取水すれば下流では水不足になる。水の絶対量が足りない時に「下流の人のために水の使用を控えよう」という発想は生まれにくい。住民にとっては死活問題だからだ。国は国民の利益を守るために、河口堰を破壊しようとする隣国のテロリストを武力で鎮圧する。彼らにとってはこれが「正義」だ。この場合、国民の利益を守ることと国益が一致するから行動はエスカレートする。他国の利益にも配慮するような人は非国民とされる。こうして隣国とは敵対関係に陥る。
 幸いなことに日本は島国だから他国と水争いをしたことが無い。日本海のゴミや中国の有毒ガスが問題になる程度だ。しかし外国との水争いを克服した経験を持たないことが日本人を外交下手にしているのではないだろうか。
 最近行われた調査では、アジア各国が日本に対して非常に好意的である中で、韓国と中国だけが極端に日本嫌いだった。これは両国の反日教育だけが原因ではなく、日本の近隣外交が未熟で不充分だからではないだろうか。