俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

果物

2013-02-18 13:36:41 | Weblog
 猿は明らかに樹上生活に適応している。樹上生活をするために最適の機能を獲得する方向へと進化した。前足は枝を掴むという機能を得、目は正確な距離感を得るために横にではなく前に並んだ。木に登り、木から木へと跳び移れるという他の動物にはない特性を持っている。なぜこんな変な方向に進化したのだろうか。
 1つは肉食動物から逃れるためだろう。木に登れる肉食動物は少ない。豹や熊や蛇のような例外はあるが大半の肉食動物は木に登れない。だから木の上は安全地帯だ。
 もう1つは餌だ。多くの木は高い位置に実を付ける。これは鳥に食べられることを狙った進化だろう。その鳥の餌を横取りするのが猿の戦略だ。
 猿がこんな特異な進化を遂げたのは果物が主食だったからだろう。もし元々雑食性だったらこんな偏った進化をしない筈だ。
 類人猿(ape)も猿(monkey)と同様の特徴を持っていることを考えれば、元々は木に登って果物を食べていたのだろう。類人猿の子孫である人類にとっても果物や木の実は最も根源的な食べ物だろう。リンゴやブドウやバナナなどが健康食であるのは進化史を考えれば必然的なことだ。
 「柿が赤くなれば医者は青くなる」という諺もある。昔は果物は高価な贅沢品だったが今では決してさほど高価ではない。果物摂取量を増やすことは最も簡単な健康法ではないだろうか。

言論の弾圧

2013-02-18 13:07:10 | Weblog
 言論の弾圧は困ったものだ。中国や北朝鮮のことではない、日本のことだ。
 昨日(17日)の日本テレビ系の「バンキシャ!」での宋文州氏の発言が問題にされている。「(隕石が)尖閣諸島に落ちて(中略)無くなればトラブルも無くなる」という発言だ。私はこの意見に賛同しないが、なぜこの発言が問題にされねばならないのか理解できない。これはあくまで個人の意見であって事実誤認ではない。政治家の発言ならともかく番組のコメンテーターには自由で多様な意見が認められるべきだ。こんなことで個人を吊るし上げにするよりも朝日新聞などによる多数の誤報こそ問題にされるべきだ。
 テレビでは言論統制が行なわれているらしい。いじめ事件などでは被害者の落ち度を指摘してはならないと予め釘を刺されているそうだ。だから薄っぺらな金太郎飴のような同質な報道が繰り返される。これでは問題解決には繋がらない。
 金銭絡みの犯罪では、借金を返そうとしなかった被害者にも非があると思うのだがそのことには触れず、加害者を一方的に極悪人として扱う。加害者がなぜそれほど怒らずにおれなかったかは問われない。
 特定の人に迎合する発言しか許さないことは悪質な言論統制だ。マスコミによる過剰な自主規制は政府による弾圧以上に恐ろしい。
 私はエルサレムにこそ隕石が落ちて欲しいと思っている。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地であるエルサレムはこれらの宗教が存続する限り領有権争いを招く。これらの宗教は簡単に滅びそうにないからエルサレムが地上から消え去れば少しは平和になるだろう。これは3大一神教信者の感情を逆撫でする悪意のある意見だとは思うが危険思想として弾圧されるべきだろうか。

オリンピック

2013-02-16 09:04:08 | Weblog
 オリンピックの理念は「より速く、より高く、より強く」ではないだろうか。より速くは100m走であり、より高くは多分走り高跳びであり、より強くはレスリングを指す。この「より強く」を放棄することは理念の否定だ。
 IOC(国際オリンピック委員会)がなぜレスリングを競技種目から外そうとするのか全く理解できない。最古とも思える競技の否定は歴史の否定だ。野球やテコンドーなどとは違ってレスリングは最も歴史のある国際的なスポーツだ。ロンドンオリンピックでのメダル獲得国数を見れば何と29ヶ国だ。決して日本のお家芸などではない。
 マスコミではロビー活動の不足が指摘されている。ではこのロビー活動とは一体何だろうか。時代劇の農民のようにお上に直訴することだろうか。そんなものではなかろう。多分、現ナマだろう。要するに上納金が少ないから罰したということだと思う。IOCに対する上納金は多分ルール通りに納められているだろうから、足りないのは理事個人に対する賄賂だろう。
 勿論、証拠は無い。しかし余りにも理不尽だ。こんな暴挙に対して怒るべきだ。最も期待したいのはIAAF(国際陸連)による抗議だ。レスリングを追放するのなら、最古の競技である陸上競技とレスリングだけで別の世界大会「クラシックオリンピック」を行なうと脅迫すべきだろう。やられたらやり返すという鉄則どおり、腐ったIOCの暴挙には暴挙で報いるしか無い。そうでもしなければIOCの我儘を容認することになる。IOCの理事を付け上がらせていたらオリンピックが無茶苦茶にされてしまう。

事実に基く

2013-02-16 08:36:39 | Weblog
 事実に基くことに拒絶反応を示す人がいる。彼らは「現実は醜く理想は美しい」と主張する。私は彼らの主張する理想こそ醜悪なものだと考える。
 勿論この世界が完璧だなどと言うつもりは無い。不条理だらけだ。それでも彼らが理想として掲げる愚劣な世界よりずっとマシだ。
 人の美しさは皮膚一枚でありそれを剥げば化け物になる、体内には汚物が充満している、人には悪意がある、男女の性器は醜い。これらを私は事実として認める。これらの事実を拒絶して虚妄の世界を讃美することは現実世界に対する呪詛でしかない。充たされなかった彼らの欲望の裏返しに過ぎない。この呪詛こそ醜い。無いものを捏造して在るものを否定すべきではない。
 「詩と真実」と訳されているゲーテの著書がある。このタイトルを「詩こそ真実」と解釈する人がいる。しかしこの原題は`Dichtung und Wahrheit'であり私なら「虚構と真実」あるいは「嘘と事実」と訳する。
 日本語の「小説」は意味のよく分からない単語だが英語ではnovelともfictionとも言う。fictionはfact(事実)の反意語でありfictionでないものがnonfictionだ。
 日本語では虚構が美しく飾られ過ぎている。「小説」とか「詩」とかいった名称はその虚構性を隠蔽する。これこそ虚飾だ。事実に基くものと事実に背くものは明確に区別されねばならない。価値が高いのは事実に基くものであり事実に背く妄想こそ最も醜い。理想という仮面を被った怨念だ。

羊の群

2013-02-14 10:09:22 | Weblog
 学校でアンケート調査をするといじめや体罰の報告が続々出て来る。それだけいじめや体罰が隠蔽されていたということだが、疑問を感じないだろうか。なぜアンケートをすると問題点がゾロゾロ出て来るのだろうか。それまでは見て見ぬ振りをしていたということではないだろうか。
 勇気を持っていじめや体罰に立ち向かえ、などと言う気は全く無い。下手に関わったら自分がいじめや体罰の対象にされるかも知れない。このことは学校であろうと社会であろうと同じだ。
 社会のほうがまだマシだ。暴力を止める人は殆んどいないが通報する人は大勢いる。だから社会においては暴力は容認されていない。
 本来なら学校のような閉鎖された社会のほうが不正の摘発は有効な筈だ。加害者は身近におりいつ自分が被害者になるか分からない危険な状態だ。これは危険人物が隣に住んでいるようなものであり危険は告発されて然るべきだ。
 生徒がなぜこれまで通報しなかったかではなく、なぜアンケートでは大量の告発が現れるのかを考えたほうが良かろう。多分、彼らは正義の味方になったつもりなのだろう。告げ口は卑しいがアンケートで答えるのは正しいという奇妙な倫理観があるようだ。つまり単独行動は悪で群行動は善ということだ。これは衆愚そのものだ。生徒とは飼い馴らされた羊のようなものらしい。そしてそんな羊を大量生産することが現在の教育システムの狙いなのだろう。

単純化

2013-02-14 09:48:20 | Weblog
 私は数学や科学の考え方が好きだが時にはそれを否定したくなる。余りにも単純化し過ぎるからだ。社会は勿論のこと、個人でさえ複雑な要因で動くから単純な因果論には疑問を感じる。
 例えば福島第一原発はなぜ重大な事故を起こしたのだろうか。第一に地震の想定が甘かったと言えよう。第二に構造的な欠陥だろう。予備電源が地下にあったことなどが挙げられる。第三に当時の菅首相が大切な初期対応の邪魔をしたことを私は挙げる。第四に・・・・・と無数に原因らしきものが挙げられる。多分どれか1つでも無ければこんな悲惨なことにはならなかっただろう。
 実際の話、落下運動でさえ法則通りにはならない。空気抵抗や風などの影響を受けるからだ。理想状態でしか落下の法則は成立し得ない。
 医学や栄養学はもっと複雑だ。薬や食品の効果は非常に複雑でメリットもデメリットも常にあるし個人ごとの個体差も大きい。万人に共通な健康法などあり得ない。
 単純要因に還元することを科学的と思っている人がいるがそれは誤りだ。説明のためには単純化が必要だが実際のことは殆んどが複雑なものだ。単純化することは非科学的とさえ思える。
 一時期だが科学の世界でファジー(曖昧)という考え方が流行ったことがある。最近この言葉を聞かなくなったのはファジーの正体が複雑性だと分かったからではないだろうか。ファジーと思われたものの大半が曖昧性が原因ではなく複雑な要因が絡み合っていたことが証明されたのではないだろうか。

醜い性器(4)

2013-02-12 09:30:28 | Weblog
 モグラの目は退化した。(勿論「機能を失う方向に進化した」と表現するほうが正しいのだが煩雑なので敢えて「退化」という語を使う。)目のような重要で高度な機能を失う例は珍しいことだが、進化において退化や転用はしばしば起こる。手足はヒレが転用され肺は浮き袋が転用された。猿にとっては必要な尻尾でさえ人類は失った。
 このように、生物が目的に適った方向に進化することを考えれば女性器の進化史も推定できよう。男性なら殆んどの人が感じると思うが女性器は最も使い勝手の悪い位置に着いている。なぜこんな変な進化をしたのだろうか。交尾を難しくするためだ。より正確に言えば合意に基かない交尾を避けるためだ。優先順位は、意に沿わない交尾を避けることであり、そのためなら利便性が多少損なわれようとも構わない。
 もし女性器がヘソの辺りにでもあれば簡単に強姦されてしまう。強姦されるだけで済めばまだマシだ。妊娠でもさせられたら1年近くを棒に振らねばならない。そうならないために両足でしっかりガードできる位置に据え付けられた。最も力の強い両足の間こそ最も安全な場所だ。これなら強姦は困難だ。男が暴力で抵抗不可能な状態にするか刃物などで脅すか酒などの薬物でも使わない限り、男一人で強姦することは難しい。
 処女膜は人間とモグラだけが持っているという俗説(ウソ)もあるが、モグラはともかく、人間の場合は強姦を少しでも避けるための防護膜(バリヤー)ではないだろうか。

危険な薬

2013-02-12 08:56:52 | Weblog
 食品添加物の危険性について騒ぎ立てる人がいるが意図が分からない。彼らは何を根拠にして敵視しているのだろうか。着色料ならともかく保存料は食の安全のために欠かせない特効薬だ。しかも食品添加物の安全基準は目一杯低く設定されている。多分、一度に100人分を食べても食品添加物による健康被害は起こらないだろう。私の不勉強のせいかも知れないが、農薬ならともかく、食品添加物の過剰摂取による健康被害など聞いたことが無い。
 警戒すべきなのは食品添加物よりも薬だろう。食品添加物と同じく厚生労働省が管轄しているが、こちらは被害だらけだ。それも毎年数十人、もしかしたら数万人が薬の副作用で命を落としている。
 急性疾患における西洋医学の有効性は認めざるを得ないが、慢性疾患においては少なからず有害だ。慢性疾患において血圧やコレステロール値などを下げる薬が治療効果よりも弊害のほうが大きいということを証明するデータはこれまでに無数に報告されている。医原病という言葉が広辞苑にも載るほどに蔓延している。
 日本の医療費の1/4が薬剤に使われているそうだ。このうち半分ぐらいは慢性疾患の薬だろう。これを半分に減らすだけで医療費の大幅な削減になるだけではなく、日本人の平均寿命は更に伸びるのではないだろうか。こんな無駄で危険な状態を放置しているのは、高齢者が早く死ねば年金が削減できると厚生労働省が考えているからではないかとさえ勘繰りたくなる。 

解決のための基準

2013-02-10 10:30:24 | Weblog
 対立する評価を総合的に判断する時、それは必ずしも論理的に正しくない。
 ある食品を「旨い」かつ「高い」と評価したとする。ある人は「旨いけれども高過ぎる」と判断して買わない。またある人は「高いけれども旨い」と判断して買う。どちらの判断も妥当であり得るのだからこの判断は論理的とは言えない。主観的な判断だ。判断をする主体は理性ではなく感情であり、先に、買うか買わないかを決めて後付けで論理が使われている。そしてこの感情はしばしばコマーシャリズムによって歪められている。
 逆に「不味いから買わない」なら論理的に正しい。評価が分裂していなければ論理的な判断が可能だ。
 不倫の女性ならこう考えるかも知れない。「私達は愛し合っている。しかし彼は既婚者だ。従って別れる。」これとは逆に「彼は既婚者だ。しかし私達は愛し合っている。従って別れさせる。」という論理も同様に可能だ。しかしこれは本当に論理的あるいは倫理的に二者択一を迫られる問題だろうか。このような形で問題が現れるのはあくまで西洋文化圏に限られる。イスラム文化圏なら「第二夫人になる」という合法的選択肢がある。彼女を困らせていたのは一夫一妻制という制度であってその制度が無ければ何ら問題は生じない。 
 問題が発生した時には法律などを根拠にして解決策が練られることが多いが法律はあくまでローカルなルールだ。倫理とは次元が異なる。法律に縛られ過ぎることは、コマーシャリズムに毒されるのと同様、偏った判断に繋がりかねない。

発癌リスク

2013-02-10 10:06:15 | Weblog
 私は発癌リスクの高い生活をしている。とは言え石綿の除去作業をしている訳ではないし、大気汚染の進む中国に住んでいる訳でもない。酒を飲み煙草を吸い日光浴を楽しむからだ。発癌要因と疑われている悪しき生活習慣を3つとも実践している。健康オタクなら「何と愚かな!」と思うかも知れない。自己正当化をするつもりは無いがこれらは訳あっての行為だ。
 大学で哲学を専攻したぐらいだから私には抑鬱傾向がある。すぐに自分を咎めてネガティブな感情に捕らわれ易い。こういう傾向を持つ者にとって、感情を落ち着かせ気分を明るくさせることは必要不可欠だ。この3つの「悪習」にはいずれもそういう効果がある。
 20年程前にグアムでポールダンサーと交わした会話が忘れ難い。彼女は喫煙する理由をこう説明した。「ダンサーの仕事はストレスが多い。だからストレスを緩和するために煙草を吸う。煙草は身体の健康(physical health)には悪いかも知れないが精神の健康(mental health)のためには役に立つ。」
 ストレスが多いと副交感神経が充分に機能せず免疫力が低下し勝ちだ。この意味で、ストレスこそ発癌の原因だ。ストレスが多い人は酒や煙草などによってストレスの緩和を図るから癌との相関関係が現れる。しかしこれは因果関係ではない。原因はストレスによる免疫力低下であり、抗癌剤以上に効果が期待できるストレス緩和策を発癌要因と見なすことは科学的に正しくないと思う。これは現場にいたという理由で警察と強盗を混同するようなものだ。