俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

感染力

2013-02-08 13:35:31 | Weblog
 他の業界同様、マスコミもターゲットを設定する。ではどんな人をメインターゲットに設定するだろうか。多分、影響力の大きい人だろう。この場合の影響力とは知力とは関係が無い。普通は使わない用法だが「感染力」と言い替えたほうが適切だろう。情報を撒き散らす人のことだ。こういう人が好む新奇な情報を発信すればその情報はさざ波のように広がる。
 最も「感染力」が強いのは小中学生の子供を持つ母親だろう。ママ友の輪は最も強力な情報網だからここに入り込めば情報は勝手に拡散する。
 彼女らの関心は主に3つだろう。学校と食事とゴミだ。彼女らは悪を憎み、暴力を嫌い、自らの善良さを賞賛する。
 だから彼女らは学校での暴力を絶対に許さない。合成保存料を追放したがる。放射線は1マイクロシーベルトたりとも許容しない。ゴミを分別しない者は社会の敵だ。
 彼女らは自分達が偏っていることに薄々気付いている。彼女らにとっては自分達を正当化するマスコミの報道は「天の声」にも等しい。だからこそ体罰や賞味期限偽装や環境ホルモンや地球温暖化などが尾鰭を付けて騒がれる。
 正しい情報は価値が低い。2+3=5という事実などどうでも良い。歓迎されるのは彼女らの偏見を支援する情報だ。マスコミはこんな読者・視聴者に迎合するからそのためなら平気で嘘をバラ撒く。マスコミがくだらない情報を繰り返し報道するのはこんな事情からだろう。

諦め

2013-02-08 13:14:43 | Weblog
 こんな動物実験がある。
 2つの部屋にネズミが入れられている。片方の部屋には電流を止めるボタンがあるがもう一方には無く、両方の部屋に時折電気が流される。電気ショックを受けたネズミは大暴れする。偶然、電流を止めるボタンに触れたネズミはそのことを学習して、電気が流れる度にそのボタンを押す。一方、電流を止めるボタンの無い部屋に入れられたネズミはそのうち暴れることも止めじっとして只管、電気ショックに耐える。
 我々は諦めたネズミに似ている。暴れても仕方が無いから亀のように手足を引っ込めて嵐が過ぎ去るのを待つ。たまに同僚と居酒屋に行って芸能人や政治家を罵って憂さ晴らしをするだけだ。現在の自分の問題には直面しようとはしない。どうでも良いことで怒りを共有することによって本来怒るべきことから目を逸らしている。
 アウシュビッツなどに収容されたユダヤ人は信じられないほど従順だったらしい。誇りも希望も失った彼らは自分達を埋めるための穴を粛々と掘り整然とガス室へと向かったそうだ。あのアンネ・フランクもその一人だ。なぜ窮鼠が猫を噛まないのかと不思議に思いそうだが諦めればこうなってしまう。
 アウシュビッツのユダヤ人と比べれば我々は遥かに自由だ。諦めるのは早過ぎる。せめて正しく怒りたいものだ。

中国人民

2013-02-07 09:01:41 | Weblog
 中国の大気汚染問題は深刻だが、この問題についての中国でのアンケートには大笑いしてしまった。中国人民は何と大らかで騙され易いお人好し揃いなのだろうか。まるで時代劇の水呑み百姓そのもののようだ。もっと怒るべきだ。
 設問が酷過ぎる。「一人一人が汚染軽減の努力をすべきだと思うか?」という設問にはYesと答えるしか無い。
 「大気汚染を軽減するために以下のどれを心掛けるか?」との問いに対して①身の回りの環境対策(79.2%)②自動車運転を控えるあるいはやめる(67.5%)③なるべくクリーンエネルギーを使う(61.1%)④禁煙するあるいは喫煙量を減らす(60.8%)⑤小排気量の自動車に乗り換える(42.3%)⑥その他(14.7%)、となっている。もし私が回答者の立場にいたら「団扇を使って汚染された空気を吹き飛ばす」と答えていただろう。
 こんな設問でこんな選択肢しか与えられていないのだからこんな答にならざるを得なかったのだろうが、こんなことで解決できる筈が無い。対策は1つしか無い。国民の安全を守る環境基準を定めてそれを守ることだ。
 悪辣な支配者層とは違って中国人民は本当に素朴で善良なのだろう。正に愚民政策の賜物だ。だから悪党共がのさばる。中国人民はもっと怒らねばならない。

体罰

2013-02-07 08:43:45 | Weblog
 大阪の桜宮高校のバスケットボール部での事件がきっかけになって体罰が問題になっている。とんでもない方向にまで飛び火しつつあるが、スポーツに縁の無い連中がくだらないルールを作るのではないか心配だ。体罰かそうでないかはかなりグレーな問題だ。
 紅白戦をやって負けたチームにグラウンド2周を命じたらこれは体罰だろうか、強化策だろうか、ゲームだろうか。私はこれは基本的にはゲームだと思う。これが20周なら体罰かも知れない。
 柔道の場合はもっと難しい。有段者の教師が生徒と乱取りをすることは体罰だろうかそれとも特訓だろうか。
 相撲は更に複雑怪奇だ。昔から「可愛がる」という言葉がある。将来性が見込まれる若手にエリート教育として特訓するのが本来の意味だが、転じて稽古の名の元で暴行することも「可愛がる」と呼ばれている。これによって死んだり再起不能の重傷を負った力士もいる。
 殴る蹴るが悪いのなら空手の組み手やボクシングのスパーリングはどうなるのだろうか。監督やコーチが身を以って指導すれば総て体罰にされてしまう。
 責任逃れしか考えていない教育委員会などの連中が出しゃばるべきではない。現場の指導者は彼らの何倍も真剣に取り組んでいる。「外野は黙っていろ!」と言いたい。

怒りの心理学(2)

2013-02-06 09:33:06 | Weblog
 怒りは意外なほど高級な感情と思える。
 怒りは決して単純な感情ではない。怒りは対象を選ぶ。喜哀楽は自然に対しても向けられるが怒りだけは人為的なものにしか向かわない。それだけ知性的とさえ言えよう。自然に対して怒るのは小学生ぐらいだ。
 怒りは当為(~すべし)に基く理性的感情だ。期待という判断基準に背く場合にのみ怒りは発動される。友人が約束を破ったり危ない運転で怖い思いをした時などの怒りは価値観に基いている。もし価値基準(~すべし)が無ければ怒らない。
 人間以外の動物に喜哀楽の感情はあるが、怒りだけは類人猿以外では殆んど見受けられない。猫は怒りのような動作を示すがただの威嚇ではないだろうか・
 人間の怒りは人と人工物にしか向けられない。機械や施設に対して怒ることはあっても、立ち木にぶつかって木に怒る人はいない。自分に対して怒る。
 このように怒りは人間特有の高度な感情であるにも拘わらずこれまで蔑視されて来た。怒りに関する本を探しても大半が「鎮めること」をテーマとしており、積極的に評価する本は殆んど見当たらない。不当に貶められている怒りを見直すべきだろう。怒りこそ最も強烈な感情であり、自らを犠牲にしてでも変革しようという損得を超越した稀有な感情だ。怒りを評価することはフロイトが性欲の価値を見出したことにも劣らないコペルニクス的転回とさえ思える。
 怒り散らせ、と言いたい訳ではない。怒りという感情が充分に知的なものであり、それを抑圧せずに意識化することが社会を変革するパワーとなり、同時に本人の精神衛生のためにも好ましいということを指摘したい。

円安バブル

2013-02-06 09:09:49 | Weblog
 もし満月になれば株価が上がると信じている人が5%いれば満月の度に株価が上がる可能性は小さくない。僅か5%であろうとも何かを信じる人がいれば全体に影響が及ぶ。但しこんなことは実際には起こっていないようだ。満月になれば株価が下がると信じる人が同数いればほぼ相殺されるからだ。
 ところが円安になれば株価が上がるということならどうだろうか。これは5%どころではない。30%ぐらいの人が信じているのではないだろうか。輸出が増える→国内産業が活性化する→企業の業績が良くなる→株価が上がる、と信じる。但しこれは危険なバブルだ。かつての土地信仰と同じ共同幻想だ。
 円安になると業績が悪化する企業もある。電力会社や外食産業や鉄道・タクシーなどだ。これらの企業は内需に依存しながら輸入資源に頼っている。収入は増えないのに支出だけが増える。従って業績は悪化する。円安は全産業にとっての追い風ではない。
 円安になれば株価が上がるというのは満月になれば株価が上がると信じるのと同じような幻想だ。それにも関わらず余りにも多くの人がこの幻想を信じているために幻想ではなく現実となっている。
 円安が必ずしも経済にプラスにならないと知っていても、多くの人がプラスになると信じているということを知っていれば、誤解に便乗する。そして上手く売り逃げする。損をするのは円安をプラス材料と信じ切っていた人だ。
 多くの人がそう信じていればそれは社会を動かす力となる。しかしそれが正しいとは限らない。17世紀のオランダのチューリップバブルや日本の土地・株バブルのようにあとになってから「バブルだった」と気付く。

動物実験

2013-02-04 08:55:52 | Weblog
 マウスなどは食餌制限をしたほうが長生きする、だから人間も粗食のほうが長生きできる、こんな発表が手を代え品を代えて発表される。発表するほうも阿呆だが一々報道するマスコミはもっと阿呆だ。知性を持たない動物には食餌制限をしたほうが良いのは分かり切ったことだ。彼らは食える限界まで食べ続けるからだ。
 今、日本で腹一杯食べる人などどれだけいるだろうか、1割もいないだろう。腹一杯食べようとするのは難民か相撲取りかアメリカの大食漢ぐらいではないだろうか。もともと節制している人に更に節制を求めるのは馬鹿げている。
 コレステロール有害説も馬鹿馬鹿しい動物実験が発端だ。ロシアの学者がウサギに大量のコレステロールを摂取させて動脈硬化を起こさせたというのがその実験だ。元々草食動物でコレステロール分解機能を持たないウサギが病気になるのは当り前だ。こんな実験結果を鵜呑みにしてコレステロールを目の敵にする人の知性を疑う。
 あるいは奇形児出産を招いた睡眠薬のサリドマイドや間質性肺炎の原因となった抗癌剤のイレッサの場合は、動物実験では副作用は確認されなかったそうだ。
 人体実験ができないのだから動物実験に頼らざるを得ない。しかしそれが特殊な条件であることを理解していなければ有害な情報になってしまう。

パラドクス?

2013-02-04 08:27:33 | Weblog
 こんなパズルがある。
 2枚の封筒があり、一方の封筒にはもう一方の2倍のお金が入っていることが分かっている。一方を選んだところ2万円が入っていた。交換が許されるなら交換したほうが得だろうか。
 変な話だが私はこのパズルの正解を知らない。誤った答だけを知っている。
 〔誤った答〕他の封筒に入っている金額は4万円か1万円でありそれぞれの確率は1/2だから期待値は40,000円×1/2+10,000円×1/2=25,000円。従って交換したほうが得だ。
 これが変な答であることは誰にでも分かる。「モンティ・ホール」のパズル(注)とは違って状況が変わっていないのだから交換しても無意味だ。
 当初の条件を、「もう一方には10倍」とすれば矛盾はもっと際立つ。計算式は200,000円×1/2+2,000円×1/2=101,000円となる。
 ではどこがおかしいのか。もし多数の選択肢があるのならこの計算式は成り立つ。つまり初めに2万円の入った封筒を受け取り、その時点でその倍または1/2が入った封筒が同数ずつ並んでいるのなら交換したほうが得で先程の計算式のとおりだ。
 このパズルの場合、選択肢は無い。片方を選んだ時点でもう1つの封筒は確定している。従ってどちらを選ぼうと期待値は等しい。
 私はこう考えるのだがこれで充分に証明できているかどうか確信が持てない。確率論の得意な人のご意見を伺いたい。
  (注)「モンティ・ホール」のパズルについては、都合により大量の記事が同一の日付けに集まっている2007年11月14日付けの中で9番目に新しい記事の「朝令暮改」のカードゲーム参照。

多彩な黒人

2013-02-02 09:37:18 | Weblog
 黒人の身体能力は高いと日本人は信じている。ケニアやエチオピアの長距離ランナーに日本人は太刀打ちできない。またジャマイカのウサイン・ボルト選手などの短距離ランナーの能力は天性のものだろう。ここでハタと気付かないだろうか。この2つは全く逆の能力だ。長距離走者に必要なのは遅筋でありスプリンターに必要なのは速筋だ。この2つを「身体能力」と一括りにするのは芸術家と哲学者を一括りにするのと同じくらい乱暴な話だろう。
 ボルト選手の出自はかつて「奴隷海岸」と呼ばれたギニア湾近辺のアフリカ西部だろう。一方でケニアもエチオピアもアフリカ東部に位置する。この2つの地域は日本・フィリピン間よりも離れている。
 歴史を更に遡れば人類発祥の地こそアフリカだ。人類はアフリカで生まれ幾多の危機を乗り越えてから小アジアを経て世界中へ広まったと考えられている。つまり白人も黄色人種も多様な原人類から枝分かれした亜種に過ぎない。人類の根源は黒人だ。従って生物多様性をもじって人類多様性を語るなら、最も多様性を持つのは黒人だろう。
 日本人は黒人を識別する能力が著しく劣っており、未開人種であるという偏見に凝り固まっている。私は、黒人こそ最も多様性を持つ人種ではないかと考えている。アメリカのオバマ大統領はその典型だ。
 今は未開・貧困・政変に喘いでいるが、黒人の潜在能力は高く、21世紀末には黒人が世界をリードするのではないかと私は半ば本気で考えている。

丸刈り

2013-02-02 09:11:59 | Weblog
 AKB48の峯岸みなみさんの丸刈り謝罪会見が話題になっている。芸能界に疎い私などが口を挟むべきことではないかも知れないが嫌な気分だ。新手のいじめと思えてならない。
 自分の意志で丸刈りにしたと言うが信用できない。希望退職する人だって実は大半が自分の希望ではなく会社の希望に沿って退職しているのが実情だ。実際には追い出されたのに表向きだけは本人の希望というタテマエが貫かれている。
 誰にも相談せずに一人で決めたという発言も不自然極まりない。
 「共感する女脳」という言葉があるが、私は女性の最大の長所は共感力だと思っている。他者から分離して孤独者となり勝ちな男と違って多くの女性には共感力が備わっている。良い意味で自己と他者の境界が曖昧なのだ。一人で悩みを抱え込まずに問題を共有して解決策を見出そうという手法は女性特有の優れた能力だと私は思っている。増してや彼女はAKB48というチームの一員であり似た立場の人が大勢いる。相談せずに決めるということはあり得ない。
 これを仕掛けたのは男だろう。少なくとも女の発想ではない。スキャンダルを同情に変えようとするのはいかにも狡賢い男の発想だ。「追放されたくなければ坊主になって謝れ」と命じられて泣く泣く従わされたというのが真相ではないだろうか。
 私が最も恐れるのはこれが前例になることだ。体罰が問題になっている今、体罰の代わりに「自主的な懲罰」がトレンドになりかねない。反省の証明として自主的に自らを罰することが掟となるなら大問題だ。これはリンチだ。偽の自主性が横行すれば言論の自由でさえ否定される。