俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

有料化

2015-01-21 10:24:14 | Weblog
 救急車の利用が増え続けている。2013年の出動件数は約591万回だったそうだ。しかし実際に運んだ人の半数が軽症者であり、論外として搬送されなかった人も少なくない。この弊害は大きい。通報から病院に着くまでの時間は全国平均で39.3分でありこの10年で10分ほど遅くなっているそうだ。
 これを解決するために救急車の有料化の話が出るがすぐに立ち消えになる。それは、有料化すれば却って安易に利用する人が増えると主張する人が必ずいるからだ。その論拠になっているのはこんな話だ。
 イスラエルのある保育園で指定時間までに迎えに来なかった親に3ドルのペナルティを課することにしたところ、遅れる親が激増した。ペナルティが抑制のために役立たないどころか増加を促してしまった。
 この話が根拠になってモラルを金で置き換えるべきでないと言われるようになった。金銭を賤しむ日本人の心情にも合致する。信頼関係は金銭で代替できないことだからこそあらゆる犠牲を払ってでも信頼に応えようとする。これが金銭関係に置き換えられれば損得が基準になるので遅れることが倫理の問題ではなくなる。金で解決できることになれば、多少無理をしてでも約束を守ろうとする動機が薄れて遅れる人が増えるということだ。
 しかし救急車の利用料は保育園の遅刻ペナルティとは全く質的に異なる。保育園の場合は免罪符的な役割を果たすが救急車の場合は公共サービスに対する対価だからだ。
 もし商品が無料で配られたら多くの人が群がってたちまち品切れになるだろう。これは要らないものでも貰おうとする人がいるからだ。これがチャリティバザールであればそんなことにはならない。たとえ少額とは言え代金を払うのだから節度が生まれる。
 介護については8月から一部の人の本人負担が1割から2割に増額される。これを無料にすれば利用者が減るなどと本気で考える人はいないだろう。無料にすれば確実に利用者が増える。
 サービスを受けるというポジティブな行為の対価とペナルティのようなネガティブな支払を同一視すべきではない。言う迄も無く救急車の利用料はペナルティではなく公的サービスの対価だ。これを有料にしても安易な利用者が増えるとは考えられない。屁理屈を並べるよりもどこかの地域で実験してみればすぐに分かることだ。救急車の有料化は倫理の問題ではなく現実的課題だ。空理空論よりも実験が有効だ。

奇跡

2015-01-21 09:44:05 | Weblog
 SF作家の平井和正氏が17日に亡くなった。代表作は「8マン」や「幻魔大戦」とのことだがどちらも漫画の原作だ。「8マン」と同様、桑田次郎氏とのコンビでの作品「エリート」や「デスハンター」は知名度こそ低いがこれらに劣らぬ名作だと思っている。
 時代を先取りし過ぎて読者に理解されずに連載打ち切りになった「幻魔大戦」は、原作者も漫画家も諦められなかったようで、それぞれが続編を書いている。
 漫画家の石森章太郎氏はオリジナルの「幻魔大戦」と平井氏原作による「新幻魔大戦」を描き、平井氏は小説の「幻魔大戦」と「真幻魔大戦」を書いた。
 小説の「幻魔大戦」は当初は漫画のリメイクだったが途中から変な方向へと向かった。主人公の超能力者・東丈が大学で新興宗教団体の「幻魔研究会(GENKEN)」の教祖になるという話だ。この団体が当時大学に広がっていた統一教会の「原理研究会」のパロディなのかどうかは、途中で購読をやめてしまったのでよく分からない。
 この作品を読んでいて奇跡と宗教の関係について考えさせられた。超能力者であれば奇跡を起こせる。未来を予知したり遠くの物を動かしたりできる。しかしそれが宗教たり得るのだろうか。役の小角や安倍晴明などは神通力を使ったと伝えられているが宗教家とは言い難い。
 イエス・キリストは死者を蘇えらせたり病人を治すなどの多くの奇跡を起こしたとされている。しかし奇跡を起こしたことを根拠にしてイエスを神の子と認められるだろうか。
 「神は奇跡を起こす」という命題が仮に正しくても「奇跡を起こすのは神だ」という命題は正しくない。超能力者であれば奇跡を起こせるからだ。超能力者=神という命題は成立しないし、奇跡が起こっても神の存在証明にはならない。鯨の棲む場所には必ず魚がいるが魚がいても鯨がいるとは限らないように、奇跡は神を証明する十分条件ではない。
 日本近代史を考えても思い当たることがある。日清戦争と日露戦争に勝ったことは奇跡と思えたのではないだろうか。天皇の軍隊=奇跡を起こした軍隊=神の軍隊、という誤謬推理が働いて天皇の神格化が進んだと考えれば奇跡に対する絶賛は極めて危険なものと考えざるを得ない。オウム真理教の麻原彰晃は、空中浮揚ができることを訴えて信者を集めたそうだ。仮に人間離れをした能力を持っていても神通力と考えるのは軽率だ。目は進化によって作られたし、「奇跡の人」ヘレン・ケラーは人力によって成し遂げられた。奇跡は神を前提にしなくても起こり得る。

予言

2015-01-19 10:12:21 | Weblog
 人が関わる予言はしばしば矛盾に直面する。不都合な予言に対して人はそれを覆そうとするからだ。あらゆる手段を尽くしても運命に飲み込まれる人の物語はギリシャ神話にも聖書にも沢山ある。
 実際には予言は覆せるものだ。ある企業の社長人事を日経新聞がスッパ抜いたことがある。広報部には他紙からの問い合わせが相次ぎ、広報部は「事実無根」と否定した。その企業は社長交代を1年延期することによって日経の記事を誤報にしてしまった。これはその企業の広報担当者から直接聞いた裏話だ。
 私の元勤務先はもっと酷いやり方で「新聞人事」を否定した。ある夕刊紙が次期社長について報じたところ、社長は激怒して次期社長と名指された役員を子会社に追放してしまった。その社長と比べて「次期社長」のほうが有能と思えただけに、これが会社の凋落の原因になったのではないかと思う。
 役に立つ予言もある。天変地異に関する予言だ。予め分かっていれば災害に備えることができる。しかし一番有効な筈のこの予言は今のところ外れっ放しだ。地震予知にせよ特別警報にせよ当たったことが無い。
 「石油はあと50年で枯渇する」といつも言われている。今も、30年前も、50年前も同じことを言っている。なぜこの予言は延々と外れ続けているのだろうか?人為が介入するからだ。埋蔵量とはあくまで利用可能な石油の量だ。だから仮に月に石油があっても埋蔵量には含まれない。シェールオイルもシェールガスもかつては採掘コストが高過ぎて役に立たない資源だったが、石油の価格が上がればそれまで利用対象外だった資源も採掘される。こうして予言は覆され続けた。
 南太平洋の島ツバルが地球温暖化による海面上昇によって水没すると騒がれたことがある。その後も米中印および2011年以降の日本などによるCO2排出量は増え続けているが一向に沈む気配は無い。これは予言そのものが間違っていたのだろう。もしツバルの海面が1m上昇するなら日本近海の海面も同程度上昇する筈だが今のところ日本の国土が狭くなったという話を私は知らない。身近な予言であれば検証できるが遠く離れたツバルについて検証することは簡単ではない。騒ぎ立てた張本人のNHKさえ検証しないのは予言どおりに推移していないからだろう。もし予言が実現していればツバルの悲劇を大喜びして報じているだろう。

習慣

2015-01-19 09:37:09 | Weblog
 イモ虫を食べさせられたら日本人は怒るだろう。しかしこれをオーストラリアのアボリジニは常食している。多くの西洋人はタコを食べようとしない。悪魔の魚(devil fish)と忌み嫌っているからだ。
 日本人は土足で室内に入ることを許さない。しかし西洋人にとって靴を脱ぐことは恥ずかしいことだ。いきなりズボンを脱げと言われるようなものだ。
 日本では風呂で小便をしてはならない。しかし西洋人はシャワー室で平気で小便をする。バスとトイレは類似施設だからだ。
 銭湯も日本独自のものだ。西洋人であれば同性愛者だけが大喜びする。日本には今でも混浴が残っていると知れば腰を抜かすかも知れない。
 これらは習慣の違いに過ぎない。民族はそれぞれ異なった習慣を持つ。宗教的裏付けを持つ習慣が冒された時には凄まじい怒りを招く。
 日本人は宗教的意識が低いから冒涜を感じるlことは少ない。それでも鳥居や寺社仏閣や墓石に小便を掛けられたら激怒するだろう。あるいは人肉を食べさせられたと知ったら嘔吐するだろう。これは宗教レベルに近い禁忌になっている。
 日本人は西洋的習慣をグローバルスタンダードだと思っている。これはとんでもない間違いだ。キリスト教圏だけのローカルスタンダードに過ぎない。明治以降、西洋文化を積極的に取り入れたから余り違和感が無いだけだ。
 西洋人も西洋文化をグローバルだと信じている。西洋人と違えば野蛮人だと考える。何と傲慢な姿勢だろうか。イスラム教や仏教やヒンズー教の教えに従った生活を迷信や偏見と決め付けて蔑視する。自らの生き方がキリスト教的偏見に基づいているとは夢にも思わない。西洋人が他文化を蔑視する限り文明の対立は続く。
 タイでは子供の頭をなでてはいけない。頭には精霊が宿っていると信じられているからだ。比較的馴染み深い筈の仏教にも日本人の知らないタブーがある。
 イスラム教やヒンズー教についての知識は余りにも少ない。だからシャルリー・エブド紙による風刺画がムスリム(イスラム教徒)にとってどれほど不愉快であるかを理解できない。これは十字架のイエスのパンツを脱がして不格好なペニスを露出させるのと同じくらい悪趣味で悪意に満ちた表現だ。国内では少数派であるムスリムに対する侮辱であり差別的ないじめだ。
 そもそもイスラム原理主義者によるテロに対する報復をイスラム教に向けることが根本的に間違っている。これはオウム真理教によるテロを根拠にして仏教を侮辱するような愚行だ。

飛び道具

2015-01-17 10:19:43 | Weblog
 男女の運動能力で最も差が大きいのは投擲力ではないかと思う。大半の女性は肩と肘と足腰そして手首を連動させて上手く投げることができない。ソフトボールの日本代表級の選手でさえスローイングはぎこちなく、草野球の男性のほうがずっと上手く投げる。子供の頃、スローイングが下手な者を「女投げ」と馬鹿にしたものだ。
 この男女差は多分、異なる役割を担う中で違う方向に進化したからだろう。狩りにおいて投擲ほど有利な戦法は無い。安全な場所に身を置いたまま一方的に攻撃できるからだ。初期の人類は石を投げ、その後、槍を投げることを学習したのだろう。この時代はかなり長く続いたと思われる。だからこそ男女の投擲力にこれほどの差が生まれたのだろう。
 チンパンジーやゴリラでさえ上手く投げることはできないようだ。むしろイルカのほうが器用にキャッチボールをする。
 手裏剣は日本独自の武器だろう。忍者が外国人に人気があるのも手裏剣という摩訶不思議な武器を使うからではないだろうか。外国ではせいぜいナイフ投げだ。映画の「荒野の七人」にはジェームズ・コバーン扮するナイフ投げの名人が登場するが、実際にナイフ投げが使われることは殆んど無く所詮サーカスの出し物に留まる。動物相手ならともかく、人間相手でのナイフ投げには大きな弱点がある。武器を手放すからそれで致命傷にできなければ相手に武器を渡すことになってしまう。こんな欠点があるから投擲は弓に取って代わられた。弓は威力も射程距離も投擲を遥かに上回るから世界中で様々な改良が加えられた。
 自分は安全な位置にいて相手を攻撃することはどの時代においても最も有利な戦法なので、弓から鉄砲を経て大砲へと進歩した。ペリーの黒船が江戸の住民を恐怖に陥れたのは、沖から大砲で攻撃できたからだ。日本の大砲では届かない位置から一方的に攻撃するのだから幕府の武器では戦いようが無かった。現代を代表する飛び道具は無人攻撃機プレデターとミサイルであり、相変わらず最強の兵器であり続けている。
 

有給休暇(2)

2015-01-17 09:42:11 | Weblog
 厚生労働省は有給休暇の取得率を高めるために、企業側に有給休暇取得の時期を指定させる方針らしい。全くお役所的発想だ。土日祝日が休日の企業しか想定していないようだ。年中無休の企業は沢山ある。小売業や交通機関や遊戯施設、あるいは公務員でも警察や消防は年中無休だ。休まない企業の従業員は交代で休んでおり、この勤務シフトに有給休暇を組み込むことは容易ではない。
 コンビニを例にしよう。フランチャイズ店であれば、オーナーと雇われ店長とアルバイトが主要メンバーになるだろう。オーナーは主に2つのことを店長に要求する。増収と人件費削減だ。店長の立場は辛い。一瞬たりとも販売員0にはできないのだから自らが穴埋め役を務めることが少なくない。こんな状況で自分の有給休暇を組み込めるだろうか。有給休暇にした日はタテマエ上では休日なのだから穴埋めのための出勤の時間外手当さえ受け取れないことになるだろう。これでは無休だけではなく無給ということになる。
 役人は机上の空論のために無駄な時間を使わずに現実を知るべきだ。1週間コンビニで働いてみれば労働の実態が少しは分かるだろう。厚労省のデータでは有給休暇の取得率は48.8%とのことだが、あるアンケートでは殆んどあるいは全く有給休暇を取得できない人がほぼ半数を占めている。もし両方共に正しければ、日本人は有給休暇取り放題の人と殆んど取れない人に二極化していることになる。これでは賃金差以上に酷い格差社会だ。
 そもそもなぜ厚労省は有給休暇の取得率を高めようとするのだろうか。ただ単に自分達が仕事をしているとアピールしたいだけなのではないだろうか。こんなくだらない理由で振り回される労働者こそ迷惑だ。必要なのは労働条件の改善であり企業に労働基準法を順守させることだ。
 ではどう解決するのか。ルールに現実を合わせるのではなく現実にルールを合わせれば良い。休めないという現実を踏まえてそれを賃金に反映させるべきだ。つまり使えなかった有給休暇を日当の25%増しで企業に買い取らせるべきだ。休んでも給与が支払われるのが有給休暇なのだから、使えなかった人にその対価が支払われるのは当然のことではないだろうか。こういうルールであればコンビニの店長が人件費削減のために有給休暇を取得するというモチベーションも起こり得る。自分が休んで誰かを勤務させたほうが店の人件費削減になるからだ。企業側も負担増を避けるために本気で有給休暇の取得を奨励するだろう。
 役人は今でも靴に足を合わさせようとする。改めるべきなのは足ではなく靴だ。現実に基づいたルールを定めるべきであり現実に背いたルールなど百害あって一利無い。役人によるスタンドプレーは国益を損なう。

表現の自由

2015-01-15 10:09:34 | Weblog
 フランスでの新聞社に対するテロを容認する気は全く無い。しかし差別抑止か表現の自由かを選ぶなら私は前者を選ぶ。シャルリ・エブド紙の風刺画はイスラム教に対する悪意に基づいており、これを放置することはヘイトスピーチの放置に等しい。
 イスラム教は偶像崇拝を禁じておりマホメットの似顔絵を描くことは許されない。実はユダヤ教も原始キリスト教も偶像崇拝を禁じていた。近代キリスト教は偶像を認めているがこれは異端思想だろう。
 キリスト教徒はムスリム(イスラム教徒)を見下しているからイスラム教の禁忌を平気で破って風刺する。では彼らはキリストが茶化されたらどうするか?神聖侵すべからざるものに対する冒涜として糾弾する。
 昔ビートルズのジョン・レノンが「ビートルズはキリストよりも人気がある」と発言したとして非難された。これは誤訳でありpopularは「大衆受け」とか「お馴染み」と訳すべきだろう。日本語になった「ポピュラー」も「流行り」とか「一般的」といった意味であり少なくとも「価値が高い」という意味ではない。こんな発言にさえヒステリックに騒ぎ立てるキリスト教徒だからキリストが茶化されたらどんな反応をするだろうか?宗教意識の低い日本人がキリストを風刺する漫画を描けばきっと激怒するだろう。
 無神論者の私からすればキリスト教徒もイスラム教徒も偏見の塊りでありどちらも否定したい。しかし彼らの信仰を馬鹿にしたり茶化そうとは思わない。それは冒涜だろう。批判するなら理性に訴えるべきであり差別感情に迎合すべきではない。
 マスコミ人は宗教意識が低いから表現の自由ばかりに目を向ける。しかし宗教の冒涜がどんな意味であるのかを考慮すべきだろう。彼らは狡い。創価学会やPL教団に対する批判は避けて、日本では少数者であるイスラム教ばかりを蔑視する。それどころか天文法華の乱などの宗教戦争は教科書からさえ抹殺されている。国内宗教に対する過剰な配慮と国外宗教に対する無神経ぶりには呆れざるを得ない。

CM

2015-01-15 09:36:28 | Weblog
 インフルエンザが流行っていることもあり風邪薬のCMが目立つ時期になった。私のような余りテレビを見ない者でも風邪薬のCMは嫌と言うほど見掛ける。しかしどれも詐欺紛いのものばかりだ。目に付いたものを列挙しよう。
 効いたよね、早目のパブロン
 熱・喉・鼻にルルが効く
 ズバッと効いてズーッと効くプレコール
 熱・喉に即効ルルアタック
 ちょうど良く効く改源錠
 列挙して改めて「効く」という言葉が頻繁に使われていることが分かる。「治す」や「治療する」ではなく只管「効く」を使う。面白いのはどう「効く」のかという具体性が欠けており、しかもどれ1つとして「風邪に効く」とは訴えていない。これは当たり前の話で、風邪薬は風邪に対しては全く効かないからだ。風邪薬は諸症状の緩和効果だけが認められており風邪に対する薬効は全く無い。もし「風邪に効く」と訴えれば誇大広告になる。
 消費者が騙されるのは、何に効くかが曖昧にされているからだ。困ったことに人は空白部分を勝手に埋める習性を持っている。空白があれば勝手に想像して適当なもので埋めてしまう。
 昔、新聞が「首無し美女の遺体」と報じたそうだ。当然突っ込みがあった。首が無いのになぜ美女と言えるのか、ということだ。幾らナイスバディであろうとも顔立ちが良かったとは限るまい。今では使わないが「バックシャン」という言葉があった。後ろ姿美女のことだ。
 風邪薬の効能は末期癌患者に対するモルヒネに似ている。苦痛が緩和されるだけで治療効果は全く無い。それどころか、モルヒネであれば病気を悪化させないが、解熱剤は風邪を長引かせる。熱に弱い病原体の活動を高め同時に免疫力を低下させるからだ。
 製薬会社は法律ギリギリのCMを続ける。「風邪に効く」とは絶対に言わず「効く」とだけ言う。それを風邪に効くと誤解しても誤解するほうが悪い。困ったことだがマスコミはこの欺瞞を暴こうとはしない。大スポンサー様のご機嫌を損なえば自社の損失に繋がるからだ。だから結果的には詐欺の片棒を担いでいるようなものだ。正義の味方のふりをしているが悪徳商法の共犯者だ。

護憲

2015-01-13 10:20:20 | Weblog
 菅官房長官は10日のテレビ番組で「9条より前に着手すべき事例として(中略)私学への公費支出を禁じた89条の改正を挙げた」と11日付けの朝日新聞は報じた。たった2段の記事だがマスコミが89条に触れるのは珍しい。私は憲法89条が左右両派から無視されていることに憤りを感じているからこの小さな記事に注目した。
 89条はこう定めている。「公金その他の公の財産は(中略)公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対して、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」
 どう読んでも私立学校への補助金は憲法違反としか思えない。官房長官が「私学への公費支出を禁じた89条」と発言して誰も批判しないのだからこの解釈で間違い無かろう。
 ではなぜ私学への補助金が認められているのだろうか。憲法が無視されているからに他ならない。司法も行政も政治団体も89条を無視しているから補助金が公認されている。
 私は安倍内閣による9条曲解と同じくらい「護憲」勢力による89条無視に怒っている。「憲法を守れ」と主張するなら89条も守るべきだろう。89条違反を放置しておいて「憲法を守れ」と言うのは余りにもご都合主義だ。もしかしたら89条の内容も知らないままに「憲法を守れ」と言っているのかも知れない。
 かつて60年安保闘争の時、デモに参加している学生に尋ねたところ大半の学生が安保条約の条文を読んでいなかったという呆れた話が残っている。日本人はこの頃から少しも進歩していない。碌に調べもせずに空気に流されて賛成・反対を主張する。彼らの多くは特定の政治勢力によって踊らされているだけであり、内容を吟味さえせずに主張するのは無責任かつ厚顔無恥だ。
 89条を守ろうとするなら補助金を廃止するか、「公の支配に属して」大学自治の権利を放棄すべきだろう。どちらも選ばずに「憲法を守れ」は余りにも恥ずかしい主張だ。憲法改正以外に選択肢は無かろう。
 憲法改正に賛成か反対かのアンケート調査はしばしば行われる。今年は更に「憲法の全文を読んだことがあるか?」を付け加えてはどうだろうか。賛成派と反対派のどちらのほうが意識が高いのか明らかになるだろう。

薬害

2015-01-13 09:43:34 | Weblog
 マクドナルドなどによる異物混入が連日報じられている。混入しても構わないなどと言うつもりは毛頭無いが、これらによる健康被害は1件も無いし、野菜に虫が付くことや手袋などの繊維が付着することなどはある程度許容されるべきだろう。こんなことで馬鹿騒ぎをするよりも人命に関わる重大な情報が報じられていないことのほうが大変な問題だ。恐るべき薬害の実態がある。
 近年マスコミが騒いだ薬害は子宮頸癌ワクチンとインフルエンザ治療薬のタミフルぐらいだ。しばらく前には抗癌剤のイレッサが騒がれていた。しかしこれらは氷山の一角に過ぎない。被害者が多過ぎて隠し切れなくなってから報じられただけだ。隠されている薬害は桁外れに多い。市販の風邪薬による死亡例も少なくない。
 最近、新型の糖尿病治療薬で10人が死亡したことが報じられたがマクドナルドの異物混入事件と比べれば殆んど話題にさえされていない。恐ろしいことにこの新薬は昨年4月に発売されたばかりとのことだから、僅か半年ほどで死者10人、副作用5,000件ということだ。奇しくもこの被害状況は、死者13人、重軽傷6,000人と言われるオウム真理教による地下鉄サリン事件に匹敵する。こんな大事件がなぜ充分に報じられないのだろうか。
 薬害は因果性が分かりにくい。薬の副作用なのか病気が原因なのか区別できないことが多い。異常行動を起こさせる危険な薬と言われたタミフルも実はインフルエンザによって脳が冒されていたことが原因かも知れない。今でもタミフルは堂々と売られておりここ数年はまるで特効薬のように持て囃されている。この辺の検証を怠るマスコミは全く無責任だ。
 抗癌剤の危険性は広く知られているが、市場規模が極端に大きい生活習慣病の治療薬こそ注意が必要だ。特に注意を要するのは降圧剤だろう。血圧130~147が正常かどうか今も議論されているが、降圧剤が必要かどうかこそ問われるべきだろう。高齢者の血圧が高くなるのは合理的な理由がある。血管が細く固くなれば血流が悪くなる。元々「血の気が少ない」高齢者の細い血管で充分な血液を流すためには血圧を高めて血流を早める必要が生じる。これは物理的に考えても当然のことであり、体による対応は理に適っている。こんな状況で、多少血圧が高いという理由だけで薬によって血圧を下げればどうなるか?脳に充分な血液が回らなくなり知的障害が起こる。ヤブ医者はこの副作用を初期の認知症と誤診して有害な認知症治療薬を処方する。これによって単なる薬害に留まらず医原病患者が作られるということになってしまう。