俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ノミニケーション

2015-01-11 10:10:33 | Weblog
 最近では流行らないらしいがノミニケーションは実は優れた精神療法なのではないだろうか。これは薬物療法と心理療法を同時に行っているからだ。アルコールの薬理作用によって脳をリラックスさせた状態で愚痴や不満を話すのだから本音や時には深層心理のレベルでの議論も可能になる。これと比べれば現代の精神医療は片手落ちとさえ思える。
 精神医療は2種類ある。精神医学と心理療法だ。前者は理系の医学であり後者は文系の心理学だ。前者は脳の病気と捕え後者は心の病と考える。ごく稀に心理療法にも通じた精神科医もいるが、殆んどの精神科医は薬だけで治療しようとする。日本の精神医療は2分割されることによって機能不全に陥っている。
 私は抗精神病薬を罵り続けているがこれを無効と考えている訳ではない。薬だけで治そうとすることを否定しているだけだ。急性期には薬で症状を抑えることが有効だ。しかし薬で症状を抑えている間に原因に取り組まねばならない。原因に正しく対処しなければ治療には至らない。現時点での最も優れた原因療法は心理療法だ。カウンセリングなどを通じて原因を探るからだ。これと比べて薬物療法は徹頭徹尾、対症療法であり原因を無視している。
 精神医学と心理療法は車の両輪のようなものだ。両方揃ってこそ効果を発揮する。身体の病気であれば自然治癒力が働くので対症療法で症状を抑えていれば患者が自力で自然に治癒する。動物の体は何億年に亘る進化を通じて自然治癒力を高めたが人類の脳の歴史はせいぜい500万年程度だ。自然治癒力を得るほどにまで進化してはいない。自然治癒力が備わっていないからこそ原因療法が必須だ。ところが医学は脳の原因療法には未だ至っていない。こんな現状を踏まえればカウンセリングを通じて原因を探ろうとする心理療法が現時点では最も有効だ。
 ノミニケーションで薬物療法と心理療法が同時に行われている。医療の世界では未だ充分には行われていない総合医療がノミニケーションでは実践されている。飲んで議論をすることが精神の安定と成長のために重要であることが再評価されるべきだろう。

偽科学

2015-01-11 09:38:39 | Weblog
 科学は客観的事実の積み重ねだ。客観的事実であることは再現されることによって証明される。リンゴは必ず落下するし、陽はまた昇る。これらは必ず起こる。もし起こらなければ科学を覆す大事件だ。
 ところが科学の名の元で嘘が罷り通っている。例えば原子力発電所は安全という神話がかつてはあった。幾重にも安全策が施されているから絶対に破壊されない筈だった。しかし電源を喪失しただけで簡単に爆発した。
 原発だけではない。私が散々批判しているように医学も嘘だらけだ。およそ科学と呼べないレベルだ。対症療法は科学ではない。かつて森鴎外は軍医として脚気を感染症と信じて様々な対策を行ったが栄養の改善には取り組まなかったために多くの兵士を死に至らしめてしまった。医療が有効であるのは原因を解明してそれに対処するからだ。原因が分からないまま症状の緩和だけを行っても治療できない。それどころか自然治癒力の邪魔までする始末だ。有害物を食べれば一刻も早く排泄する必要があるのに下痢止めを処方して有害物を残留させる馬鹿な医師がいる。
 地震予知もオカルトだ。巨大地震は一定周期で起こると信じて「ここがそろそろ危ない」と無責任な発言を繰り返すばかりだ。何の科学的根拠も無い。
 CO2による地球温暖化もオカルトだ。ツバルが水没すると騒ぎ立てるがもしそうなら日本近海の海面も上昇する筈だ。海面上昇によって日本の国土が狭くなったなどという話を私は知らない。
 科学の名を騙るオカルトが蔓延するのはマスコミ人と官僚が科学に弱いからだろう。無知だから一部の科学者の言葉を鵜呑みにしてしまう。科学者の言葉をまるで神託のように崇め奉ってしまう。これは信仰であり科学からは最も懸け離れている。信仰は科学に敵対する。
 マスコミが科学と信仰を混同するからデタラメな科学情報が蔓延る。報道は科学情報を科学的に検証してから報じるべきだ。科学と論理に対する無理解が日本のマスコミの欠陥だ。
 マスコミと官僚が文系に偏っていることも一因だろう。理系の知識がもう少しあればこんなオカルト紛いの話が広く流布することなど無かろう。
 科学が科学たり得るのは実験によって再現が可能だからだ。逆に言えば実験によって再現できないことは科学ではない。科学らしきものは、検証可能である限りは科学だが、検証不可能なものの多くはオカルトだ。科学の原点さえ理解しない人が生半可な知識で偽科学をバラ撒く。

ツガイ

2015-01-09 10:07:43 | Weblog
 鳥の多くはツガイで子育てをする。これは倫理的な理由ではなくそうしなければ子孫を残せないからだ。生存のために最低限必要な能力を100とするなら個々の鳥は150ぐらいを備えているだろう。しかしこの程度の能力では単独で子育てをできない。親子共倒れにもなりかねない。ツガイであればこそ両者の余力を合わせることによって親も子も死なずに済む。
 人類の子育てはもっと大変だ。人類の発育は全動物中で最も遅い。それにも拘わらず人類の生存余力は鳥よりも少ない。個体差が大きいが120ぐらいと想定して良かろう。自分一人が生き延びるだけで精一杯であれば日々の糧を稼ぎつつ育児をすることなど不可能だ。だから鳥と同様ツガイで育てて更に学校のような共同保育所も必要になる。夫が稼いで妻が子育てをするという役割分担は理に適っている。
 もし夫婦共に働こうとすればアウトソーシングが必要になる。現代では託児所ばかりに関心が向けられているが祖父母の活用こそ最も望ましい。私は人類の寿命がこんなに長くなったのは孫を育てるためだとさえ考えている。その意味でかつての大家族制は合理的だった。家制度の崩壊と共に大家族も否定されて核家族化されたが、なぜ日本人がこんな方向に一直線に向かったのか理解できない。もしかしたら日本人の絶滅を狙うアメリカの陰謀なのかも知れない。
 核家族制は多くの不幸の原因になっている。最近問題化されている貧困児童や老人の孤独死、あるいは生活保護の激増、これらは大家族制であれば激減する。
 人類には奇妙な特性がある。孫を特別可愛く感じるという特性だ。孫は子の半分しか遺伝子を引き継いでいないのだから血縁性は薄い。他の動物であれば近縁者を大切にするのに人類だけが孫を溺愛する。これは個体の生存余力が極めて乏しい人類に特有の異常な進化だろう。個々の力が乏しいから集団で生きざるを得ない人類は繁殖においても近縁者の協力を得るという特殊な特性を獲得したのだろう。

医療費

2015-01-09 09:36:12 | Weblog
 国民は高額の医療保険費を徴収されそれにも拘わらず健康保険は多額の赤字を垂れ流し続けている。本来であればこんな妙なことになる筈が無い。これが国民の健康増進のために役立っているなら必要な負担だがどうやらそうではなさそうだ。無駄な医療のために多くが使われている。
 3種類の無駄があると思う。①不治の病の治療②勝手に治る病に対する偽医療③不必要な医療。
 ①不治の病・・・・私は癌と認知症は不治の病だと思っている。治せない病の治療に幾らお金を注ぎ込んでも死に金にしかならない。苦痛の緩和だけが有効だろう。近藤誠医師は、癌は放置することが最善と主張する。癌が発見された時点で既に転移しているから助からない。早期治療で助かったとされている症例は実は良性腫瘍の「がんもどき」だった場合に限られる。良性腫瘍であれば手術する必要さえ無い。つまり助からないことが分かっている手術か放っておいても助かる人に対する手術の2種類しか無い。要するに癌の手術は無駄だということだ。
 本当の認知症であれば治らない。認知症もどきであれば治る。例えば降圧剤で血圧を下げれば脳に充分な血液が届かず知的障害が起こる。これは簡単に治る。降圧剤をやめれば良い。ところが無駄で有害な医療をやめずに更に薬漬けにするという愚行が医療の名の元で行われている。
 ②勝手に治る病・・・・通院者の多くを占める風邪は勝手に治る。実は風邪を治す薬は無く、対症療法で症状を誤魔化している内に自然治癒力が働いて勝手に治る。
 ③不必要な医療・・・・生活習慣病とされている患者の大半は治療する必要が無い。医師の学会が不当に厳しい基準値を勝手に設定して健常者を病人扱いしているだけだ。36.9℃を病人と定めるようなデタラメな基準値だ。それだけではなく降圧剤のように健常者を病人にする薬もあれば、新型糖尿病治療薬のように患者を死に至らしめる劇薬もある。
 このように医療費の半分以上が無駄遣いだ。癌と戦いたい人の権利を否定しようとは思わないが無駄な戦いであれば健康保険の対象外として自己負担で足掻くべきだろう。個人の道楽まで国民が負担すべきとは思えない。
 無駄な医療をやめれば必要な医療が充実する。偽患者が通院しなくなれば病院の待ち時間も減る。これらは庶民の無知に付け込んだ大規模な詐欺のようなものだ。

精神病患者

2015-01-07 10:17:13 | Weblog
 通り魔的な犯罪者が、精神科に通っていたと報じられることが少なくない。多くの人は狂人を野放しにすることを危険と考えるだろうが、私は少なからぬ凶悪犯罪者が精神科医によって作られたのではないかと危惧する。つまり治療をしていたにも拘わらず、ではなく、誤った治療をしたから凶悪犯罪者になったのではないかと恐れる。
 躁鬱病という病気がある。精神科医でもあった作家の北杜夫氏がこの病気を患っていたが、躁状態と欝状態を繰り返す病気だ。この患者の多くは欝状態の時に受診し、躁状態で受診することは殆んど無い。医師はほぼ確実に鬱病と診断し抗鬱剤や興奮剤を処方する。この患者が躁状態を迎えればどうなるか、処方された薬との相乗作用で超躁状態になる。そんな時にどんな行動を起こすか医師にも本人にも全く分からない。
 危険ドラッグによる犯罪は多く報じられている。しかし薬(ドラッグ)による犯罪も少なくなかろう。抗精神病薬は脳に異常反応を起こさせる。酒を飲んで暴れる人がいるが、薬の威力はアルコールよりも遥かに強力だ。薬の影響で一時的に人格が壊れて犯罪者になることもあり得る。
 乱暴な人に鎮静剤が使われることがある。これによって周囲の人は安全になるが、本人は単に大人しくなるだけではなく欝状態あるいは無気力状態になることもある。薬の効き過ぎを治すために興奮剤が使われれば気力は戻るが同時に暴力性も戻るだろう。場合によっては当初よりも凶暴になることもあり得る。鎮静剤と興奮剤を交互に使い続けていればいずれ手の付けようの無い狂人になってしまうだろう。
 降圧剤により血圧を下げると脳に充分な血液が届かなくなることがある。「血の巡り」が悪くなればどうなるか?認知症と同じような状態になる。ヤブ医者はこれを認知症と思い込んで有害な認知症治療薬を投与する。本来、病気ではない人に的外れの脳を異常にさせる薬が使われたら脳が狂う。少なからぬ精神病患者が実は医原病患者だろう。

労働力

2015-01-07 09:44:18 | Weblog
 人口の減少と少子高齢化が進む日本では今後、労働力が減るので国力を維持し高齢者を扶養するために外国人労働者を受け入れることが必要と言われている。文化が異なる外国人に頼るよりもずっと簡単で有効な方法がある。高齢者と女性の活用だ。
 現在の高齢者は若い。単に寿命が延びただけではなく健康寿命も延びている。元気な70代も少なくない。但し注意すべきことは高齢者の個人差が非常に大きいということだ。知力においても体力においても、まるで別の動物かと思えるほど懸け離れている。だから高齢者と一括りにすべきではない。定年延長や定年廃止は高齢者を一括りにするから問題が生じる。老いた高齢者と元気な高齢者は分けて考える必要がある。
 老いた高齢者は引退すべきだろう。あるいは、それでも可能な補助的業務に就くべきだ。元気な高齢者は本人が希望する限り働き続けて構わない。充分な経験を積み重ねているから外国人と比べて遥かに優れた労働力になる。元気な高齢者の多くが働かないのは、老いた高齢者と同等に扱われて人を馬鹿にしたような処遇をされるからだ。正当に評価されるなら働く気を起こす高齢者は少なくない。
 日本では能力による差別を否定して年齢による差別を肯定している。確かに年齢は能力よりも客観的な基準ではあるが合理的ではない。こんな差別は身長による差別と大差は無い。むしろアメリカのように、能力以外の差別を総て禁止するほうが妥当だ。
 知的能力はともかく肉体的には衰えがある。高齢者雇用によって最も補いにくいのは肉体労働と思われるだろう。しかし外国人に頼るのではなくロボット化という選択肢がある。最近の工場の機械化はロボット化に近い。
 女性の活用は高齢者以上に必須だ。一旦退職した女性は人材の宝庫だ。雇用条件が悪いから優秀な女性が働こうとしない。
 先日テレビで漁の映像を見ていて疑問を感じた。夫が操船をして妻が作業をしていたからだ。この役割分担は逆さまだ。体力の乏しい妻が操船をして夫が作業をすべきだろう。こんな間違った役割分担から離脱すれば女性が活躍できる場は大きく広がる。例えばダンプカーを運転するのは男でも女でも構わない。技術の高い者が担当すれば良い。機械化やロボット化を進めれば女性や高齢者が作業現場を担当することも決して難しくない。女性や高齢者が安価な労働力として搾取されている現状は全く不合理であり、能力に相応しく処遇されるべきだ。
 高齢者の雇用で私が最も心配するのは、生涯賃金が増えない可能性があることだ。60歳以上の賃上げがあっても60歳未満の賃下げとセットになっていれば、就労期間が長くなるだけで、労働者には何のメリットも無い。

精神病

2015-01-05 10:21:54 | Weblog
 薬は毒だという思いから医学を疑い始めた。しかしその一方で医療によって人命が救われているという事実がある。では人を救う医療と人を害する医療があるのだろうか?私は、あると考える。原因療法が人を救う医療で対症療法が人を害する医療だ。医療を全否定することも全肯定することも正しくない。何であろうとも光と影がある。テレビであれ漫画であれ自民党であれ功罪の両面を併せ持つ。
 医療が人を救うのは原因に正しく対処する時だ。感染症であれ栄養障害であれアレルギーであれ、原因を特定してそれに対応すれば有効であり、森鴎外のように脚気の原因を病原体だと思い込んでいれば予防も治療もできない。
 対症療法は原因を問わない。不快な症状を緩和するだけだ。これの有害性が最も顕著に現れたのは、和歌山砒素カレー事件と堺市でのО-157による集団食中毒事件だ。どちらの事件でも下痢止めを処方された患者の死亡率が有意に高かった。せっかく体が有害物を排泄しようとしているのにその邪魔をしたから死亡者が増えた。これは消火のために駆け付ける消防隊の妨害をするような愚行だ。
 医療の名の元で全く異なる2つの行為が行われている。原因療法と対症療法だ。対症療法が有効であるように誤解されるのは、不快感を緩和している間に自然治癒力が働くからだ。実際には自然治癒力で快癒しているのに対症療法が有効であったかのように誤解されている。風邪で解熱剤を使えば全快するのが2日ほど遅れると言う。発熱には2つの効果がある。熱に弱い病原体の活動を抑えることと免疫機能の活性化だ。熱を下げるだけの解熱剤は自然治癒力の妨害をする。解熱剤と下痢止めは特に分かり易い有害な対症療法だ。
 自然治癒力が働かなければ対症療法は無効だ。対症療法によって症状を抑えている間に病気は進行する。体とは違って歯と脳には自然治癒力が無い。歯が傷めば削って埋めるしか無い。
 ロボトミー手術は、自然治癒力が働かない脳を治療するために歯科の技術を使った。つまり傷んだ場所を切り取る、ということだ。しかしこれは人格の破壊を招いた。脳の機能が解明されていない時期での手術は時期尚早だった。しかし将来、再開可能になるかも知れない。
 現在できることは対症療法を最小限に留めることと心因対応だろう。原因が分からないままでの薬物依存は百害あって一利ない。しかし脳で何が起こっているか分からなくても、心で起こっていることなら把握できる。それが可能なのはカウンセリングなどを通じた心理療法だ。最近ではすっかり軽んじられているフロイトやユングの手法に戻ることが必要だろう。精神医学を立て直すためには、精神科医を再教育して薬物医療の危険性を理解させると共に心理療法を1から学ばせるべきだろう。

実験好適地

2015-01-05 09:40:03 | Weblog
 「アメリカが日本文化を守ろうとしたから京都は戦災を免れた。」母のこんな言葉に絶句してしまった。戦後のGHQとそれに迎合するマスコミによるプロパガンダで当時の日本人がすっかり洗脳されていたことを実感した。戦中世代こそ最も濃密に嘘の歴史を刷り込まれている。アメリカが京都を破壊しようとしていたということこそ歴史的事実だ。それも核兵器によって。
 原爆投下の候補地は横浜・京都・広島・小倉だった。その理由は①人口が多いこと②余り被災していないこと、だった。この選定基準は全くアメリカ人らしく合理的だ。イエローモンキーを使った大規模な原爆実験の結果を分析し易くすることが目的だ。候補地に選定後、この4都市に対する爆撃が禁じられた。だからこそ京都は被災しなかった。
 東京・大阪・名古屋・神戸が候補から外されたのはそれまでに散々爆撃したからだ。こんな所に原爆を落としてもそれまでの爆撃のせいで原爆の効果が検証しにくい。原爆投下は「処女地」であるべきだった。
 最終的には広島と小倉が選ばれた。ところが小倉は天気が悪かったために急遽長崎に変更された。長崎の住民にとっては不運としか言いようが無い。
 米軍が京都を爆撃しなかったのは日本文化を守るためではなく、原爆の効果を検証するために保護されたに過ぎない。アメリカ人にとって日本文化などネイティブアメリカン(インディアン)文化と同様原始的なものだ。あの薄っぺらいアメリカ文化こそ唯一かつ最高の文化だ。京都を破壊しなかったのは切り刻む予定の実験動物の健康状態を良好に保とうとするのと全く同じことであり、原爆実験の価値を高めるために過ぎない。それを恥ずかしげも無く、日本文化を守るために京都には爆撃しなかったなどとGHQは大嘘を言った。GHQに迎合したマスコミはそのデタラメを垂れ流し多分、今尚、訂正していない。
 戦前・戦中・戦後の歴史は嘘に塗れている。極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決の受諾はサンフランシスコ平和条約で定められているから公式には否定できないが、GHQによる悪行の数々を暴露しても何も問題は生じない。東京裁判の見直しは民間人にしかできないが、GHQの悪行を暴くことは政府と文部科学省が主導すべきだろう。GHQの実態が暴かれれば東京裁判がデタラメであったことは自ずから明らかになる。

2014年

2015-01-03 20:45:00 | Weblog
 大韓航空によるナッツリターンは決して重大な犯罪ではない。厳重な注意プラス罰金程度で済むことだろう。問題なのは会社と国土交通省がグルになって揉み消しを図ったことだ。これで個人犯罪ではなく国家権力を含めた組織的問題になった。
 賞味期限切れの菓子を売ってもそれが過失であれば大した問題ではない。期限を会社ぐるみで偽装をすれば重大な犯罪になる。
 朝日新聞が誤報をしても許される。間違いと分かった時点で誤報を認めれば済むことだ。しかし32年も経ってから過ちを認めるのは余りにも不自然だ。これは社として事実よりも主張を優先したからだと考えざるを得ない。報道機関としてあるまじきことだ。朝日新聞のホームページには「事実に迫る。ジャーナリズムこそが原点です。」というスローガンが今でも恥ずかしげも無く掲げられている。ちゃんと事実に迫ってほしかった。
 昨年の漢字は「税」が選ばれたが私の印象は「偽」だ。「偽」は既に2007年の漢字に選ばれているから「捏」でも構わない。STAP細胞事件、号泣記者会見、ゴーストライター問題など総てが意図的な捏造だ。特にSTAP細胞の小保方晴子氏には期待していたし、騒動の中で、日本を代表する学者とも思われる笹井芳樹氏まで失ったのだから残念でならない。
 ゴーストライター問題ではなぜ佐村河内氏だけが非難されてNHKの責任が問われないのか不思議でならない。佐村河内氏はNHKが「現代のベートーベン」と散々持て囃したからこそ名声を得た。朝日新聞と同様、重大な誤報だろう。虚言壁のある吉田某の主張を鵜呑みにして報じた朝日新聞が非難されるなら、全聾ではないと多分知りながら番組を作ったNHKの責任が問われるべきだろう。NHKは詐欺の片棒を担いでいたと言えるのではないだろうか。
 海外に目を転じれば、紛争が激化した年だった。アラブの春は「春の嵐」になり「イスラム国」のような史上最大のテロリスト集団まで出現した。ウクライナ問題は民間機撃墜事件へと飛び火した。中国の内外の問題は相変わらず治まりそうにない。ロシアは大変な状況だから、個人的にはこの弱みに付け込んで日本に有利な条件で北方領土問題を解決してほしいと思うが、欧米がそれを許さないだろう。
 エボラ出血熱やデング熱に限らず感染症の危険性は高まる一方だ。日本の医療は有害な対症療法を改めて、感染症対策などの有益な医療に軸足を移してほしいと心から思う。

鼓腹撃壌

2015-01-03 20:05:47 | Weblog
 古代中国の堯の治世でのことだ。帝である堯は粗末な身なりをしてお忍びで町に出掛けた。人民の本音を知るためだ。ある男が腹を叩きながら「帝力何有於我哉(帝なんて関係無い)」と歌うのを聞いて堯はすっかり満足したそうだ。(「十八史略」より)
 生活に不満があれば人は権力者を罵る。権力者の悪政のせいでこんな酷い生活を強いられていると責任転嫁をする。幸福だからこそ権力者が無視される。空気のような存在であることこそ良き治世だ。
 人は空気に感謝しない。空気が無ければ生きられないのに人は空気の存在さえ自覚しない。魚は水の存在を知らない。間違って水から出てしまった時に初めて水の有難味を理解する。
 食物が足りなければ不満を感じる。量が満たされれば質を求める。質も量も満たされればそれが当たり前のことになってしまう。
 経済が順調で良い政治が行われていれば人は権力者を意識しない。日々の生活を考えて幸福に暮らす。不景気になって初めて景気対策を要請する。経済が順調であれば国の介入は邪魔なだけだ。自由放任が求められる。
 平和な社会や不満の無い社会では人は幸福と感じない。痛みを覚えて初めて痛みの無い生活を求める。民主党政権が余りにも酷い政治をしたから改めて自民党のほうがマシだったことに気付く。
 幸福であれば不満を感じない。まともな空気を吸える我々は空気の有難味を知らない。空気に不満を感じるのはかつての四日市住民と中国・インドの住民だ。良い社会とは良い空気のようなものだ。
 快楽主義者(エピキュリアン)とされるエピクロスの理想はアタラクシア(欲望から解放された平静で自由な心境)だ。不平を感じない状態こそ望ましい。ところが多くの宗教は、人間には克服できない老・病・死の恐ろしさを煽り立ててこんな幸福を否定しようとする。彼らは不平分子と結託してこの世を貶めようとする。不平を煽る宗教は総て邪教だ。あの世を賛美する連中は自らの主張に従ってさっさとこの世を去ってくれれば良いと思う。