俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

精神医療

2015-06-21 10:07:15 | Weblog
 千葉市の石郷岡病院で入院患者が病院職員によって暴行を受ける映像がテレビで何度も放映された。極めて不愉快な映像だが私には見覚えがあった。「精神医療ダークサイド」という本でイラストを使って紹介されていた事件だったからだ。
 この本によると大学生だったユウキ氏(仮名)は欝状態になり抗鬱剤を処方された。ところが突然暴力を振るったことから今度は統合失調症と診断されて抗精神病薬を処方された。しかし症状は悪化する一方だった。大学病院に転院したが電気ショック療法などによって更に悪化させられた。次に行った石郷岡病院では発達障害と診断されて入院した末この惨劇に至った。
 現代の精神医療の欠陥の縮図であり絶望的な状況が現れている。診断はバラバラで全く首尾一貫せずにまるで思い付きのように適当な病名が割り当てられている。副作用の大きな薬、更には電気ショック療法まで動員されて、気の毒なことに廃人にされ、最後は病院職員による暴行が原因で昨年亡くなったとのことだ。
 一旦精神病患者と診断されれば悲惨だ。人権が無くなる。病状の悪化を訴えても「キチガイの戯言」として無視されかねない。
 ユウキ氏の肉親によるブログがあることを今回の報道をきっかけにして知った。「弟のこと。~その陽はまだ沈まない~」というタイトルだ。「精神医療ダークサイド」とは少なからず異なった記録であり、わざわざ「拡散希望!!」と書かれているので是非一読して頂きたい。
 この事件と同列に扱うべきことではないが、「絶歌」を出版して問題になっている元少年Aこと酒鬼薔薇聖斗は中学1年生の時から精神科に通っていたらしい。精神科で治療を受けていたにも拘わらず、ではなく精神科医が誤った治療をしたからこそ悪化してあんな猟奇的な事件を起こしたのだと思う。
 最近は「医者を見たら死神と思え」という漫画まであるが、精神科医は人間性を破壊するのだから死神や通り魔よりも怖い。こんな状況を招いているのは医師が薬の意味を理解していないからだ。効果を過信し副作用の怖さを余りにも軽視している。薬学の教科書には必ず「副作用の無い薬は無い」と書かれているそうだ。初心忘るべからず。

文明

2015-06-21 09:29:55 | Weblog
 文明は農業と共に始まったと言われている。狩猟採集民に文明は必要ないからだ。獲物は早く多く取れば良い。獲物が取れなくなったら別の土地に移る。計画性など必要ない。
 農業を始めると事情が変わる。所有と共有を区別する必要が生じる。農業は長期的な展望を必要とするから計画的・合理的に働かねばならなくなる。農業の規模が大きくなると多くの人との協力も必要になる。
 必要に迫られれば文明は進歩する。治水のために土木技術が磨かれ、増産のために農業技術は高められる。農業技術が高まれば時間的余裕が生まれる。総ての時間を農業に費やす必要が無くなれば農業以外、つまり食料生産以外に従事する人を抱える余裕ができる。このことによって文明が一層進歩する。
 野蛮人に支配されれば文明は停滞する。支配者が文明の価値を理解せず教育を軽視するからだ。植民地支配において殆んどの国は愚民化政策を採った。植民地経営のノウハウを自分達で独占し、支配される民衆に知恵は不要であり服従心さえ植え付ければ良かった。この意味で日本は植民地政策を誤った。台湾でも朝鮮でも教育の充実に努めたからだ。これを世界史上最も下手な植民地政策と考えるか、あるいはそもそも植民地支配ではなかったと考えるかはそれぞれが勝手に解釈しても構わないだろう。
 ヨーロッパでは中世がキリスト教によって支配される暗黒時代だった。ルネサンスと宗教改革が無ければヨーロッパ人は野蛮人のままだっただろう。中国では元以降、大半が蛮族に支配されている。その中でも最も野蛮な集団によって支配されているのが現代だ。共産党はキリスト教や蛮族よりも悪辣だ。かつては世界最高の文明を誇った中国が蛮族によって支配され続けているとは何とも残念なことだ。蛮族は恐怖によって支配する。道理ではなく暴力によって脅そうとするから死刑を乱発する。文明化は可能だろうか?
 

参議院

2015-06-19 10:18:37 | Weblog
 参議院選挙が来年の7月に迫っているのに選挙制度改革が進展していない。最低なのは自民党案の6増6減案であり、一票の格差が4.31倍と、昨年最高裁が「違憲状態」と判断した4.75倍と殆んど違わない。こんな改革であれば選挙の直後に違憲・選挙無効との判決が出されかねない。自民党がゴリ押ししようとするのは県代表という位置付けがあるからだ。一県一人以上という原則を変えようとしない。
 私はこの主張を無意味とは考えない。人口が少ない県にも議員が必要という考えにも一理ある。国連はどんな小さな国でも一国一票であるし、アメリカの上院議員は州の代表と位置付けられているから一票の格差は何と66倍だ。
 参議院は都道府県代表を別枠にすれば良いと思う。自治体の知事が規模の大小を問わず一人であるのと同じ理屈だ。次回の改選は121議席だから、まず「地方区」として47都道府県に1議席ずつ割り当てて、残りの74議席と分離すれば良いと考える。比例区を廃止した上で選挙区の合区・分区をすれば格差は1.5倍程度に収まるだろう。
 比例区は問題が多過ぎるから廃止しても構わない。自力ではなく党名で当選した議員が離党しても議席を失わない現行制度は要らない。但し私の持論である「バーチャル議員」が可能なら74議席総てを比例区にしても良いと思う。
 バーチャル議員とは比例区の議席に議員を割り当てない制度であり、5年前にブログで提案したのだが余り賛同を得られなかったようだ。仮にある党が20議席を獲得すればそれを参議院での20票と評価する。議席ではあるが議員はいない。議員さえいなければ当然、議員報酬も必要ない。こんなバーチャル議員であれば定数を削減する必要も無い。議席が増えればそれだけ少数意見も反映されるのだから74議席どころか100議席に増やしても構わない。数合わせに過ぎない比例区の議員など必要なく、採決時の票数に参入するだけで充分だろう。

垂れ流し

2015-06-19 09:43:32 | Weblog
 公的機関による発表であればマスコミの誤報は免責されるのだろうか?16日(デジタル版では17日)の朝日新聞は「コレステロール摂取制限なくす」という記事を6段を使って報じた。これまで散々コレステロールの有害性を報じていたのに手の平を返すような報道だ。これまでの誤報についての訂正や謝罪は一切無い。
 朝日新聞としては「これまでは厚生労働省が発表したとおりに報道していたし、今回も厚労省の発表を掲載しただけだ」と責任逃れをするだろう。疑わしい情報をそのまま垂れ流しても報道機関に責任は無く、あくまで情報提供者の側の責任だという理屈だ。テレビ局が怪しいCMを日常的に流しているのと同様、倫理感覚を無くしているのではないだろうか。
 情報の垂れ流しこそ日本のマスコミの最大の悪弊だ。官公庁であれ警察であれ地震学者であれ、彼らの発表を無批判で垂れ流す。垂れ流している限り自らに責任は無いと考える。「彼らがこう発表したということは事実だ」という逃げ口上が用意されている。たとえ何等かの意図を持った発表でも無批判で垂れ流すことによって彼らのための宣伝道具になり下がっている。これでは大本営発表を垂れ流していた戦前・戦中と同じだ。いやむしろ、言論の自由が保証されている現代における垂れ流しのほうがずっと罪深い。職業倫理が欠落している。
 コレステロール有害説は10年以上前から疑われていたし、素人の私でさえ何度も指摘したほど疑わしい仮説だった。しかしマスコミは官公庁の発表を垂れ流すばかりであり何ら疑問を挟もうとはしなかった。
 科学情報が垂れ流しでありながら、政治情報については主観丸出しだ。朝日新聞に限れば橋下市長や護憲や歴史観などにおいては偏向と批判されるほど露骨な政治的主張を盛り込んだ記事を平気で掲載する。その極端な例が従軍慰安婦の強制連行の記事であり、政治的主張のために嘘まで利用していた。このアンバランスさは一体どういうことなのだろうか?
 政府に批判的であることは良いことだ。批判はあって然るべきであり御用新聞になるべきではない。それと同じように科学情報にも批判的であるべきだ。ダイオキシンや環境ホルモンで馬鹿騒ぎをしたことを反省も訂正もせず、今度はコレステロール摂取制限は不要と垂れ流すだけだ。マスコミはもっと言論に責任を持つべきだ。不良情報を販売したことを悔い改めるべきだ。主観に左右され勝ちな政治情報以上に、客観的な科学においてこそ疑わしい情報に対しては批判的であるべきだ。

鶴橋

2015-06-17 10:13:31 | Weblog
 14日に近鉄鶴橋駅で、利用者がホームから線路に突き落とされる事件があった。近隣に朝鮮系の住民が多いこともあり韓国嫌いの人が勝手な噂を流しているようだが、これは駅の構造上の欠陥が原因であり、私自身、何度も危ない思いをしている。
 最大の欠陥はプラットホームが2つしか無いことだ。近鉄の他の主要駅である阿部野橋駅や上本町駅などと比べれば極端に少ない。JR環状線との乗換駅になっているからラッシュアワーでの混雑ぶりは大阪市内でも有数のものだ。
 混雑することだけであればJR大阪駅の環状線のホームのほうがずっと酷いが、鶴橋駅には別の要因があってホーム上での歩行が多いから危険性が高まっている。それは座席指定の特急の乗車駅であることだ。座席指定が無ければ人は適当な場所から乗り込む。しかし座席指定の電車なら指定乗車口に並ぶ。乗車口に向かうためには各停や急行を待っている人を掻き分けて進まねばならない。これは決して簡単ではない。ホームには目的が異なる行列が何種類もあり、それぞれが割り込まれまいとして殆んど隙間無く並んでいる。人の壁が至る所に何枚もあって通せん坊状態になっている。だから私は危険を承知で黄色い線の外側、つまり電車の通る側を歩く。突かれたら簡単に線路に落ちる場所だ。
 14日の事件は多分、被害者も加害者も黄色い線の外側を歩いており被害者はかなりゆっくり歩いていたと思われる。狭い通路をゆっくりと歩かれれば追い抜くことはできない。
 先日、東京へ行って駅の姿が大阪とは全然違うことに驚いた。大半のホームに安全柵が設けられていたからだ。安全柵のあるホームなど関西では大阪モノレール以外では殆ど見た覚えが無い。東西でなぜこんなに格差があるのだろうか。
 多分、近鉄鶴橋駅は日本で最も危険な駅の1つだろう。データがある訳ではないが、線路への転落や電車との接触事故が頻発していると思える。駅の構造的欠陥がそれを招いている。近鉄による早期の改善を望みたい。

切り売り

2015-06-17 09:39:54 | Weblog
 ギリシャは相変わらず債務返済に四苦八苦しているようだ。ギリシャのチプラス首相は緊縮財政などする気は無いようで、債務返済期限が6月末に迫っていよいよ債務不履行(デフォルト)が現実味を帯びて来た。しかし起死回生の一手があると思う。それは領土の切り売りだ。ギリシャは約3,000の島で構成されており、隣接するイタリアやトルコなら喜んで買うのではないだろうか。あるいは海を持たないスイスやオーストリアにとっても充分魅力があるように思える。もし資金調達のメドが立てばデフォルトを回避できるだろう。
 領土の切り売りは決して奇想天外・荒唐無稽な話ではない。1803年にフランスはルイジアナを1,500万$で売却し、1867年にロシアはアラスカを720万$で売った。昨年のロシアによるクリミア併合と比べるまでもなく、平和裡に行われた領有権の売却だ。
 アルザス・ロレーヌ地区の領有を巡って何度も戦争が行われた。戦争によって領有を争うのではなく金銭によって領有権が決まるのなら、海賊が善良な貿易商人に変わるようなものであって大歓迎すべきだろう。
 手続きとしてはまずギリシャが一部の島の売却を発表して他国は欲しい島と購入条件を提示する。無人島であればあとは両国で条件交渉を進めれば良い。
 人が住んでいる島であれば住民投票が必要だろう。賛成多数なら住民ごと売却し、国籍変更を望まない人にはギリシャ国籍のままその島に残留するか国内に移住するかを選択させる。史上最も民主的な領土割譲となり、民主主義発祥の地ギリシャに相応しい快挙と称賛されるだろう。住民にとっては政治も財政も不安定なギリシャからの転籍は決して損な選択ではなかろう。
 軍事力を背景にして領土拡張に躍起になっている野蛮な国がある一方で、民意を尊重しながら領有権を売却するという画期的な手法は国際協調の新しいあり方となり得るだろう。もし切り売りする島が底を突いてしまったら・・・・その時は残りの土地も人もまるごとドイツか中国にでも売却すれば良かろう。
 実は領土の切り売りをしている国は既にあるようだ。北朝鮮だ。北朝鮮は、中朝国境を流れる鴨緑江に浮かぶ黄金坪島と威化島の開発権を2011年に中国に譲渡した。正確な情報を得にくい両国間での話ではあるが実質的に領土の切り売りだろう。

長寿

2015-06-15 10:18:59 | Weblog
 長寿は健康長寿を意味するべきだろう。寝たきりやチューブ巻き状態での長寿など何の意味も無い。外国には寝たきり老人は殆んどいないらしい。自力で生きられなくなった時点で枯れ死するのだろうか。少なくとも日本のように死にかけている老人を植物人間の状態で生き永らえさせるようなことはしないらしい。それなら日本が世界一の長寿国であるという統計的事実の価値が疑わしくなる。日本人は単に植物人間として長生きしているだけなのではないだろうか。
 もっと極端な例は頭部の移植だろう。世界中で中国のみで研究が進められているらしいが、頭を移植した場合、それは一体誰になるのだろうか。もし男の頭を女の体に移植した場合それは男なのだろうか女なのだろうか?私は頭部移植を全く考えていなかった。しかし考えてみれば脳移植よりも頭まるごとの移植のほうがずっと合理的だ。頭部には多くの神経があり、もし脳移植をした場合、視神経の接続だけでも大変な作業になるだろう。
 頭部の挿げ替えが医学的に可能になれば、「もし体が入れ替わって女性になったら何をしたいか」という馬鹿馬鹿しいが興味深いアンケートも無意味ではなくなる。「裸になって体を観察する」と「女風呂に行く」の2つがトップだった。私も妙に納得してしまう。もし頭部の移植が可能になったら「女の体が欲しい」と思うスケベ男は決して少なくなかろう。しかし何年で飽きるだろうか?
 もし脳だけを培養液に浸せば200年ぐらい生きられるのではないだろうか。もう少しまともな、首だけの培養でも150年ぐらいなら生きられるかも知れない。しかしこれらを長寿と呼べるのだろうか。
 極端なことを並べたが、寝たきり老人を生者と呼べるのかを問いたい。そもそも無理やり生かすことに意味があるのだろうか?
 仮に寝たきり老人が世界一多いのなら日本の長寿は「長生き」ではなく「長生かせ」に過ぎない。病院を儲けさせ、次世代に負担を強いているだけだ。PPK(ピンピンコロリ)が理想とされながら現実が植物人間であるならそのギャップは大き過ぎる。
 養鶏場は工場に似ている。雌鶏は産む機械のようなものだ。病院も植物人間の栽培工場のようなものだ。植物人間はただ生かされているだけであって、最早人間としての尊厳性を持っていない。無駄に生き永らえるよりも尊厳死のほうが好ましい。

不快

2015-06-15 09:41:11 | Weblog
 乱暴な定義だが、病気とは命に関わるものか不快感を与えるものではないだろうか。だから視力が高まるとか疲れないとかいった異常は病気とは見なされない。例外は精神病であり、爽快感や全能感などの本人にとっては不快ではない異常が周囲によって病気と判断される。
 最大の不快は痛みだろう。医療の多くは痛みからの解放を目標とする。しかし痛みには必ず原因がある。一番分かり易いのは怪我だ。怪我の痛みを無くすためにはその原因である怪我そのものの治療が必要であり、痛みの解消を優先すれば本末転倒になる。
 頭痛の原因は様々だ。最も日常的な頭痛である二日酔いや生理痛であれば放っておいても治るしその場凌ぎに鎮痛剤を使っても構わない。問題は脳に異常がある場合であり、手術によって根治を図るか放置して病気と付き合い続けるかは本人が判断せざるを得ない。
 痛みの原因が分かれば正しい対処があり得る。しかし原因が分からない場合は、痛み止めを処方して経過を見ることになる。容態が変わればそれから対処することになるし変わらなければ訳の分からないままズルズルと使い続けているのが現状だ。
 虫垂炎による腹痛であれば炎症箇所を切除すれば全快する。しかし対応を誤れば死に至ることもある。かつて横綱・玉の海は虫垂炎が原因で死んだ。7月に発症したが仕事を優先して薬で痛みを抑え、10月にようやく手術をしたが腹膜炎寸前まで悪化しており27歳の若さで亡くなった。
 痛みや不快感は症状ではなく警鐘として捕えるべきだろう。何らかの不具合があるから痛みなどの不快感が警鐘として現れる。警鐘をただの不快感と考えて薬の力で感じにくくすることは警報器のスイッチを切るような愚行だ。終末期医療以外では使うべきではなかろう。所謂対症療法は原因を放置して症状だけを緩和するのだから多くが有害だ。虫垂炎の痛みを抑えても病気を悪化させるだけだ。
 精神医療の多くは原因を無視する。薬によって作り出した異常状態によって苦痛を緩和するだけであり、麻薬やアルコールを処方するようなことが治療の名の元で行われている。これは薬物によるロボトミーだ。ロボトミー手術は一時期行われていたがその有害性が明白になって今では禁じられている。症状さえ軽減されるなら何でも許されるという訳ではあるまい。非常時での投薬までは否定しないが、対症療法一辺倒である現代の精神医学はフロイトの時代よりも劣化しているとさえ思える。
 
 

無責任者

2015-06-13 10:07:23 | Weblog
 韓国ではトラブル続きだ。このことについて朴クネ大統領を無責任だと非難するつもりではない。責任者不在の状態、つまり無・責任者であることが国全体に蔓延していることが問題の核心だ。
 MERSの拡散についても責任者不在だ。皆が責任逃れに走るからどこに問題があるのかさっぱり分からなくなる。
 セウォル号の沈没事故では船長が真っ先に逃げ出したし、集まった救助隊は何をすれば良いのか分からずウロウロするばかりだった。船体改造の疑惑も曖昧なまま放置されているようだ。船長を断罪すれば済む問題ではなかろう。
 広島空港で起こったアシアナ航空機の事故もどこに問題があったのか解明されていない。
 これは国民性が生んだ悲劇だろう。韓国人が無責任だからではない。個人責任を追及し過ぎることが問題だ。事故があればすぐに「犯人探し」が始まる。原因を追及することよりも犯人の責任追及が優先される。当事者は犯人にされないために必死になって誰かに責任転嫁をしようとする。
 本当は多くの人に責任がある。複数の原因があるからこそ大事故が起こる。ところが誰もが他人に責任があると主張する。こんな状況で自分の責任を認めれば主犯として袋叩きに会いかねない。皆が保身に走るから原因は究明されない。
 大きな災害があればその責任を問うことより原因究明が急がれるべきだ。今更責任を追及しても犠牲者が生き返る訳ではないのだから、その主たる目的は再発防止であるべきだ。司法はこの立場に立つべきなのだがそれを許さないのが国民感情である恨(ハン)だ。国民が恨を主張する限り、司法もそれに沿わざるを得なくなる。司法まで一緒になってのリンチが始まる。
 「罪を悪(にく)んで人を悪まず」という立場が再発防止のためには最も有効だろう。そうであれば当事者全員が各自の軽微な過失を認めることによって再発防止へと繋がる。それを阻害しているのが国民感情である恨であり、この感情が強過ぎるから関係者は責任逃れに終始して、その結果として原因が究明されない、ということだ。
 実際には多くの責任者がいるのに皆が揃いも揃って責任逃れをするから責任者がいなくなっている。

周期性

2015-06-13 09:31:52 | Weblog
 確率が分かってもそれは周期性を意味しない。サイコロで6の目が出た次の試技で6が出る確率は1/6であり、他の目が出る確率と同じだ。6に賭けて5回続けて外れると「そろそろ6が出る頃だ」と考える人は確率の意味を理解していない。
 地震学者の多くは「ここでは200年に1度ずつ大きな地震が起こっている」と言って「そろそろ起こる」と言う。確率論で考えればこれは有意性を持たない。せいぜい1000年ぐらいしか検証していないのだからサンプル数はたったの5つだ。サイコロを5回振って5回とも偶数だったという理由から、次も偶数だと予測することと大差は無い。
 蓄積されたエネルギーが周期的に放出されるという仮説は科学的なようでありながら実は非科学的だ。地震よりもデータが豊富な火山の噴火でさえ周期性は殆んど証明できない。大抵、噴火してから「突然噴火した」とか「前兆があった」と報じられるように、比較的単純な噴火でさえ周期性は疑わしく、噴火以上に複雑なメカニズムで起こる地震に周期性を期待すべきではなかろう。
 周期性の考え方は女性には受け入れられ易い。それは彼女らの体が周期性を持っているからだ。男性の体には殆んど周期性は無い。考えてみれば周期性が確実なことは殆んどが地球の自転と公転が原因だ。地球が等速で自転と公転を続けているから四季や昼夜が周期的に現れる。逆に言えば、自転と公転に基づくもの以外で周期性を見出すことは難しい。地球上での周期性の正体は地球の運動の等速性だ。周期性とは等速運動が特殊な形で現れた現象に過ぎない。
 なまじっか身近に周期性が存在するから安易に何にでも周期性を認めようとする。これは誤謬推理だ。人口の増減であれ歴史であれ、これらに周期性は無い。あくまで因果性で説明すべきだ。ニーチェを否定するような表現になるが、世界は回帰しない。