俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

嘘つき

2015-06-11 11:11:42 | Weblog
 一部しか知らなくても否定することは許されるが、一部しか知らずに肯定することはできない。例えばある本を読み始めて余りにも稚拙な内容に呆れて中途で放棄してもその本を否定できるが、途中までしか読んでいない本を高評価することはできない。
 一般に肯定は否定よりも難しい。新しい企画を実施することはボツにするよりも遥かに難しい。99の改善があってもたった1つの改悪を根拠にして否定できるからだ。何かに反対することでは一致できても、ではどうするべきかということになれば途端に議論百出してバラバラになってしまう。
 私にとって最も不可解なのは護憲を唱える人々だ。現行憲法は悪文であり欠陥だらけだ。なぜこれを一字一句変えさせまいとするのか全く理解できない。
 私は何度も憲法を通読・精読した上で「これではダメだ」と考えているのだが、一度も読んでいない人が「世界に誇るべき平和憲法を守れ」と主張することに違和感を覚える。なぜ実際に読みもせずに絶賛できるのだろうか。
 これは書評を鵜呑みにする人と似ている。マスコミが名作と評価すれば名作と信じ、駄作と酷評すれば駄作と信じる。自分では全く評価をせずに誰かのオウム返しをしているだけだ。
 なぜこんなことが起こるのだろうか。これは敗戦後のGHQによる言論統制の亡霊が今も蠢いているからだろう。言論統制の元では、米国や米国が作った憲法を批判することは許されなかった。しかし一旦、言論統制の元で世論が形成されてしまうと今度はマスコミはそれを批判できなくなった。批判すれば自分達が言論統制に加担していたことが明らかになってしまうからだ。だから言論統制下の延長でしか報道できなくなってしまった。戦前・戦中は最も好戦的だった朝日新聞は、戦後は一貫して護憲を唱え、中国と韓国には媚び続けている。これは当時のGHQの指針に今尚忠実であり続けているからだ。
 これは嘘つきの心理に似ている。一旦嘘をついてしまえば保身のためには嘘をつき続ける必要が生じる。しかし嘘をつき続けることは良心の呵責を招く。これは辛い。このジレンマから逃れる最も巧妙な方法は嘘を真実だと信じ込むことだ。一旦虚構を作ってしまえばそれに背く話を拒絶できる。だからアメリカは常に正しく、原爆投下は正当であり、日本国憲法は完全無欠で、鬼畜のような日本軍が従軍慰安婦を強制連行したといったデタラメでさえ信じる人がいたし今でもいる。毒を食らわば皿までだ。
 

MERS

2015-06-11 09:52:57 | Weblog
 韓国でMERSの感染が広がっており、10日現在、感染者が108人、死者が9人と発表されている。一部のメディアが報じたことだが韓国政府は「ラクダの生肉を食うべからず」と例によってトンチンカンな指示を出して嘲笑を買っている。韓国嫌いの人はこの感染拡大を韓国の防疫体制の不備と考えているようだがそんな気楽な話ではあるまい。この災害で最も恐ろしいことはたった一人の患者からここまで感染が広がったということだ。これは対岸の火事ではない。
 WHO(世界保健機関)によると、2012年にサウジアラビアで確認されて以来、今年の6月6日までに世界で1,195人が感染し448人が死亡したとのことだ。感染者の大半が中東の住民で、韓国以外ではイギリスの4人、ドイツの3人などであり、まるで風土病のような状況だから、人から人への感染力は余り強くないと考えられていた。ところが8日現在での感染者数は1位がサウジアラビアの1,026人、2位が韓国の87人、3位がUAEの76人と、サウジアラビアの近隣諸国を追い抜いて韓国が世界第二位の危険国になってしまった。
 今回の韓国で広まったコロナウイルスは感染力の強い新種ではなく通常のものだそうだ。このことから韓国人はMERSに感染し易いと考えられる。
 民族によって感染症に対する耐性が異なることは理解しにくいことかも知れないが、非常に大規模で恐ろしい実例が歴史には残されている。
 大航海時代、北米には2千万人、アステカには3千万人、マヤとインカにはそれぞれ2千万人が住んでいたと言われている。彼らの大半が死滅し文明が崩壊したのは単に大虐殺があったからではない。最も多くの人を殺したのは実は病原体だ。旧大陸の人々が持ち込んだ天然痘やハシカなどの感染症に対して新大陸の人々は全く無力だった。バタバタと倒れて次々に死んだと言われている。
 アメリカ大陸と同じように植民地支配されたアジアやアフリカには文化が残っている。それはこれらの地域の人々が感染症に強く、アメリカ大陸とは逆に、植民地支配した白人のほうが感染症に苦しめられたと伝えられている。
 中東の人々は何等かの理由からMERSに対する耐性を持っており韓国人にはそれが無いのではないだろうか。海によって大陸から隔てられた日本人はアメリカ大陸の原住民と同程度、新型感染症に弱くても不思議ではない。好き嫌いは別にして、人種として韓国人は最も日本人に近く、大陸と繋がっている韓国と比べれば日本人のほうがもっとMERSに弱いという可能性は決して少なくない。韓国で起こったことは日本でも中国でも起こり得る。たった一人の旅行者から起こるパンデミックはフィクションではなく現実たり得る。

2015-06-09 10:22:40 | Weblog
 卵は半熟の状態が一番美味い。オムレツであれ目玉焼きであれスクランブルエッグであれかに玉であれ卵スープであれ、固まってしまわない半熟状態が一番美味い。
 大半の外国人は半熟卵の美味さを知らない。それは彼らが古くて不潔な卵を食べているからだ。古くて不潔な卵であれば充分に加熱しなければ食中毒を起こす。だから彼らは子供の頃から、卵を充分に加熱するよう教えられ、生卵や半熟卵を怖がる。
 半熟卵と出汁の相性は抜群に良い。温泉卵もそうだが、卵かけご飯と吸い物の組み合わせは絶妙だ。シンプルでありながら奥深く、日本料理の神髄とさえ思える。卵は半熟状態が最も消化吸収され易いのだから健康食でもある。
 魚料理も同じことだ。外国人は古くて不潔な魚しか知らなかった。だから充分に加熱しなければ食中毒を起こした。日本人だけが新鮮で清潔な魚を生で食べていた。外国人は日本に来て初めて生魚の美味さを知った。
 日本では魚の鮮度管理がしっかりされていたが、外国ではできていなかった。加工用の魚しか流通していなかったから腐りかけのような魚しか入手できなかった。外国でも新鮮で清潔な魚が食べられるようになったのは、冷蔵技術が発達してからだ。
 肉については事情が異なる。肉には元々病原菌が付着しているから幾ら鮮度や衛生管理を徹底しても生では食べられない。牛レバーを生で食べることは危険を伴う。生牛が駄目なら生豚を、というのは狂気の発想だ。牛丼が駄目なら豚丼を、といった話ではない。豚のほうが牛よりも多く病原菌や寄生虫に汚染されている。「生牛なおもて危険、況や生豚をや」だ。豚の生レバーを代替品にしようとした人は余りにも非常識だ。安全性を無視した軽率な選択だ。12日から豚の生レバーが禁じられるが、元々生食には適さない食材だった。私は豚しゃぶさえ食べようとは思わない。

腫れ(3)

2015-06-09 09:50:37 | Weblog
 ある日の朝、右足首に痛みを感じた。原因はその前日、不自然な歩き方をしたせいだ。好天に恵まれたので久々にビーチサンダルで大阪の街を歩き回ったが左足に靴擦れができてそれを庇うために妙な歩き方をしたからだ。足の怪我は片足で終わらないことが本当に多い。片足を傷めるとそれを庇って両足を傷めてしまう。
 朝は軽い痛みだったが段々痛みが強くなり夕方には足首から先が腫れ上がった。腫れた足を見て私は安堵した。この感覚は常識とは異なる。腫れたら冷やして鎮めようとする人が多い。しかしそれは誤りだと私は考える。
 腫れとは何か?血流が増して損傷を修復するという自然治癒力の現れだろう。傷んだ足首への血の巡りを良くして治癒に取り掛かっているということだ。体内の医師と看護師を総動員して治療に当たるということだ。体が万全の治療体制を整えたということだから私は体の自然治癒力に全幅の信頼を寄せて安心した。これで故障から回復できると確信した。
 しかしここで大失敗をした。自然治癒力が活性化していることを過信して2日目には痛む足を使って水泳などをしてしまった。3日目には腫れがピークに達して足首が曲がらなくなった。つまり歩けない状態になってしまった。この状態を治癒力の現れではなく症状と考えることも妥当だろう。腫れた状態では安静を最優先すべきだったと悔やんでいる。
 慌てて対策に取り組んだ。それは睡眠療法だ。風邪であれば必ず昼寝をしていたが怪我で昼寝をしたのは初めてだ。その甲斐あって5日目にはかなり快癒した。多分、自然治癒力を高めるためには睡眠が最も有効だろう。昼寝をして回復するのは時間による治癒なのか睡眠による治癒なのか区別できないが、副交感神経を最も活発に働かせて、しかも最も安静な状態なのだから通常の生活より良いことは間違いあるまい。
 腫れることによって血流が増えて熱を持つ。これこそ自然治癒力が働いていることの証しだ。湿布をして腫れを引かせるなどとんでもないことだ。それは火事の現場に駆け付ける消防車や救急車の妨害をするような愚行だ。痛むなら動かさなければ良い。体が動くことを禁じているのだから、極力動かさず、自然治癒の進行に身を任せれば良い。
 人は浅知恵で自然治癒力の妨害をし勝ちだ。風邪に効く薬など無い。安静にして自然治癒力に任せるのが最善策だ。間違っても解熱剤など使うべきではない。解熱剤は自然治癒力を妨害するだけではなく、副作用による障害まで引き起こす。百害あって一利なしだ。
 腫れを大切にすべし、という考え方は現時点では定説にはなっていない。しかし体のメカニズムを考えれば、腫れによって故障箇所が修復されることは明白だ。病であれ怪我であれ、自然治癒力の妨害こそ最悪の偽医療だ。

サミット

2015-06-07 10:15:19 | Weblog
 2016年のサミットが志摩市で開催されることが一昨日(5日)に発表された。実はある事情から、志摩市に内定していることを私は確信していた。それは会場と想定されている志摩観光ホテルが現在休館していることだ。ネットで調べればすぐに確認できるが「5月8日から2016年春まで耐震補強・改装工事のために休館」と告知されている。
 観光ホテルの書き入れ時は年に4回ある。年末年始、ゴールデンウイーク、夏休み、シルバーウィークだ。書き入れ時の志摩観光ホテルは連日満室になるから、期間の長い夏休みが最大のピークになる。そして今年のシルバーウィークは、秋分の日が23日(水)に当たるために21日(月)の敬老の日と22日(火)の国民の休日、更に土日を合わせれば5連休になり例年より長い。通常であればシルバーウィークが終わった時点で工事を始めゴールデンウイークまでに終えるだろう。こうすれば年末年始を逃すだけで済む。ところが今回の工事では夏休み・シルバーウィーク・年末年始を逃すことになる。こんな奇妙な工事日程を組むのは余程特殊な事情があるからとしか考えられない。スポーツであればオリンピックかワールドカップ、政治であればサミットなどの最重要会議だ。
 多分政府はかなり早い時期に内定を出し、志摩観光ホテルはそれに基づいて耐震・改装および防犯の工事を進めているのだろう。表には出ていないが防犯こそ最重要課題だろう。つまりテロ対策だ。テロを未然に防止するために最新・最強の防犯設備を備えることが最優先される。逆に言えば現時点で防犯設備増強工事に取り組んでいないホテルはサミットの会場になる資格を持たない。だから私は今年の春頃から志摩市が選ばれると確信していた。政府がそれを伏せていたのはFIFAのような収賄が目的ではなく他の事情があったからだと信じたい。

民族主義

2015-06-07 09:44:25 | Weblog
 民族主義という言葉は日本では良い意味では使われない。なぜか大和民族至上主義の類義語として捕えられ勝ちだからだ。そしてコスモポリタンであることが奨励される。しかしウィグルの現状を知れば知るほど、価値観を共有しない人との共存は難しいと感じる。私はコスモポリタニズムはあり得ないと思っている。それはimpossible dream(夢想)だろう。人は根無し草にはなれない。
 ウィグル族が漢民族と価値観を共有できるだろうか。より正確には漢民族による文化の押し付けに耐えられるだろうか。イスラム教を捨てて豚を食え、という2つだけでさえ受け入れ難いだろう。
 インドとバングラデシュの間には何と160もの飛び地があったそうだ。昨日(6日)にようやく解決されたらしいが、これはヒンズー教徒とムスリム(イスラム教徒)の居住地が入り組んでいたから飛び地にせざるを得なかったのだろう。
 共存とはお互いの価値観を尊重し合ってこそ可能だ。多数者の価値観を押し付けることは同化ではなく正に植民地支配なのではないだろうか。
 辛亥革命後の中華民国では五族共和、満洲国では五族協和が唱えられた。前者は漢・満・蒙・回・蔵(チベット)で、後者は満・日・韓・蒙・漢であり構成メンバーが異なる。中華文明圏の国々だけで構成される後者と比べれば、前者のほうが回つまりムスリムのウィグル族が含まれるだけに共和は一層難しい。
 中東であればスンニ派とシーア派などによる対立はあってもイスラム教という共通の価値基盤があるので何とか共存できるだろう。これはキリスト教が新教と旧教の壁を乗り越えられることと似ている。しかし無神論である儒教徒の漢民族とムスリムによる共存は極めて困難だ。
 狭い日本列島で歴史と文化を共有して来た日本人には共存できない異文化があるとはなかなか理解できない。譲り合えば共存できると能天気に考えている。国内では圧倒的少数者である他民族は大人しい。しかしある程度人数が増えれば「郷に入っては郷に従え」という理屈だけではなく民族としての独自の権利を主張する。愛知県のブラジル人や各地の中国人などがそれであり、それぞれの地域では問題化している。
 宗教的偏見とは気付かずに日本のクジラ漁を批判する欧米人は日本人からは異常者としか思えないし、クジラばかりかタコ(devil fish)やフグまで食べる日本人をゲテ物食いの野蛮人と彼らは思っているだろう。
 明治維新とは文化革命だった。西洋列強の植民地にされないためには自ら西洋的価値観を受容するしか無かった。文化の壁を超えることは難しい。基本的な価値観を共有できなければ共存は不可能だろう。

梅雨入り

2015-06-05 10:12:08 | Weblog
 気象庁は3日に「近畿地方で梅雨入りしたと見られる」と発表したが、なぜこの時点で梅雨入りと見なしたのだろうか。4日の近畿地区の予報は殆んどが晴であり、実際に大阪の4日の天気はこの1か月でも最高と思えるほどの晴天だった。梅雨入りは5日以降としても良かっただろう。一方では梅雨入りとしてもう一方では翌日の天気を晴と予報する。これでは自己矛盾だ。
 自己矛盾のパラドクスは沢山ある。古くは「クレタ島の人はいつも嘘をつく」とクレタ島の人が語ったとするエピメニデスのパラドクスだ。「いつも嘘をつく」が正しければこの言葉は正しいが、それでは嘘をつかなかったということになってしまう。あるいは「私は嘘を言っている」も同様の矛盾に繋がる。かつて当時の首相の池田勇人氏が「私は嘘を申しません」と語ってマスコミを賑わせたが、このパラドクスを踏まえての言葉だろう。
 類例として「例外の無いルール(規則・法則)は無い」が挙げられる。仮に総てのルールに例外があるなら、このルールだけが例外の無いルールになってしまう。
 気象庁が一方で梅雨入りを発表し、その一方で翌日の天気予報で晴と発表したのは、長期と短期で担当者が異なるからだろう。しかしこんなセクショナリズムは迷惑だ。これは決して克服できない矛盾ではない。簡単に克服できる。翌日が晴と予想されるなら梅雨入りを翌々日以降に発表すれば済むことだ。たかが天気だから笑い話で済むが、これが安全宣言と危険告知であれば大変なことだ。自らの評価を下げることを平気で行えるのが今も続くお役所の体質だろう。他の省庁ならともかく、予報が本来業務である気象庁がこんなことを仕出かすとは全く恥ずかしいことだ。

カンニング

2015-06-05 09:40:21 | Weblog
 性格が悪いのは脳の病気のせいだろうか。最近の風潮ではこれも立派な病気とされ勝ちだ。異常が悉く病気とされることこそ異常なことだろう。病気の再定義が必要だろう。広辞苑によると病気とは「生物の全身または一部分に生理状態の異常を来し、正常の機能が営めず、また諸種の苦痛を訴える現象」とされている。本来の病気とは一時的な異常で治療可能なものだろう。だから老化は病気ではない。治療不可能なものであれば「障害」と呼ぶべきだろう。
 病気と似た概念として怪我がある。治療可能であれば怪我であり、治療不可能であれば障害とされる。骨折は怪我だが切断すれば障害になる。病気と比べれば区別が分かり易い。
 病気の概念が曖昧になったのは「呼ぼう医療」とも揶揄される予防医療が一因だ。心筋梗塞になり易いとして高血圧症が注目されたが、これがどんどんんエスカレートした。心筋梗塞の予防として高血圧症が、高血圧症の予防としてやや高めの血圧まで治療対象とされた。目的が忘れられて手段が目的化している。100点満点でなければたとえ99点でも不合格にされてしまった。限りなく白に近いグレーでも黒扱いされているのが現状だ。
 しかし治療に使われている薬とは一体どんな代物なのだろうか。これは単に血圧を下げる効果しか持たない。血圧が上がるメカニズムは全く放置して力付くで数値を下げるだけだ。検査数値だけを改善しても無意味だ。これはスポーツの後で早くなった呼吸や脈拍を薬で鎮めるような愚行だ。これはカンニングにも似ている。カンニングをすれば成績は上がるが学力は上がらない。原因を放置して血圧だけを下げることはカンニングによって成績を上げるようなものだろう。
 治療は目的を忘れるべきではない。高血圧が心筋梗塞の原因になり得るなら心筋梗塞の予防に有効な方法で血圧を下げるべきであって、血圧を下げることが自己目的化してはならない。

精神科医

2015-06-03 10:16:28 | Weblog
 小学生の頃に軽いノイローゼ(神経症)を患った。今風に言えば不安症候群だ。きっかけは祖父の死と土葬だった。真っ暗な土の中で動けないまま体が腐って行く状況を永遠に続く暗黒と捕えて恐怖を感じた。周囲からも指摘されるほど挙動がおかしかったらしい。幸い自力で快癒できたものの、もし現代のように精神科の敷居が低ければ、抗精神病薬を投与されて医原性の精神病患者にされていただろう。
 ショッキングな出来事があれば一時的な精神の変調は誰にでも起こり得る。しかしこれは自力で克服すべきことだ。薬によって誤魔化すべきではない。抗精神病薬は症状を誤魔化すという機能しか持っておらず、治療効果など全く無い。
 洋服屋には人がハンガーのように見えるそうだ。同様に医師には総ての人が病人に見える。だからどう治療すべきかということにしか関心が向かわない。回復しつつある患者も医師には病人にしか見えない。「無理は禁物」という言葉を使って病人であり続けさせようとする。
 特に精神科医は困ったものだ。本当に病気であれば、たまには薬が効くこともあろう。実際には病気でない人に薬を処方して医原病患者にしてしまうことが少なくない。医師こそ病人を作っている。精神科医によって狂わされて犯行に至った人が一体どれほどいることだろうか?
 医師は精神病を脳の病気だと信じる。だからブラック企業でこき使われて精神に変調を来した人にまで薬物を与えて苦しみだけを取り除く。そんな状況で平気でいられる人こそ狂人であるなどとは思わない。医師がやっていることは狂人作りであって決して正常化ではない。
 草津節にもあるとおり「お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬ。」貧困や過酷な労働などは恋の病よりも深刻だ。恋患いのためには若さと馬鹿さと暇が必要だが、生存を脅かす悩みの深刻さは恋患いの比ではない。精神科医は馬鹿の1つ覚えのように薬によって治療しようとする。これは薬信仰の呪術師のようなものだ。彼らは薬以外での治療方法を教わっていないからこそ薬に頼らざるを得ないだけだ。こんなヤブ医者による診断書でも「天の声」になるから厄介だ。「3か月の休職が必要」という診断書があれば企業は逆らえない。こうして新型鬱病患者が大量生産されている。

常識人

2015-06-03 09:39:28 | Weblog
 複数の命題があって初めて矛盾に気付く。「南京大虐殺で30万人が殺された」という命題はそれが単独であれば正誤を判定できない。しかし「当時の南京の人口が25万人だった」という命題があればどちらかあるいは両方が誤りだと断定できる。矛盾に気付くためには豊富な知識が欠かせない。
 非常識な記事ばかり書いているが私は極めて常識的な男だ。常識に従うからこそ常識の矛盾に直面して悩む。私が最初に直面させられた矛盾は生命の尊重と肉食だった。動物を可愛がれという倫理と肉を食べるという食習慣の矛盾を承認できなかった。小学生の間は極力肉食を避けていたが、よく考えてみれば植物食も生命を奪う行為だ。この矛盾については今尚解消できていない。せいぜい絶滅危惧種である鰻と人間だけは食べまいと思っている。こんなことを大真面目に考えているからこそ、キリスト教やイスラム教などにおける食生活上でのタブーの欺瞞性に腹を立てる。
 2+3=5と知っていれば3+2=4という命題を疑う。私の懐疑は所詮その程度のものだ。私は平和を大切だと思う。だからこそ日本国憲法の平和尊重を評価する。私が最も憎むのは憲法を改めようとする人ではなく昔のままで温存しようとする、「護憲」を標榜するイカサマ師たちだ。彼らこそ憲法を劣化させ解釈改憲を可能にした張本人だ。本当に平和を求めるなら曲解を許さないように条文を改善すべきだった。それを妨害したのが彼ら教条主義だった。
 私は従順であり新しい情報をすぐに信じ勝ちだ。だからこそ朝日新聞が認める前に強制連行が嘘であることに気付いた。今でこそ侵略戦争は否定されているが、第二次世界大戦までは、侵略も植民地支配も肯定される弱肉強食が世界秩序の根底にあった。当時の軍隊とは最優先すべき国家プロジェクトだった。そんな大切なエリート集団の元に強制連行したど素人を送るなどあり得るだろうか。当時、売春は合法だったのだから、プロ中のプロ、テクニシャン中のテクニシャンを派遣して、お国のために命懸けで働いている兵隊さんに報いるべきだろう。私が朝日新聞の嘘に気付いたのは私が常識人であり、戦争当時の常識を理解したからだ。
 懐疑主義に陥る必要はあるまい。とりあえず現状での矛盾に気付けば充分だろう。総てが嘘なのではなく、一部で嘘が蔓延しているだけだ。誤った常識を見直せば充分だ。