昨日の「あさイチ」でASDの特集が放送されてました。
(超長文なので興味がない方はスルーして下さい。でも後半にいつものお料理を載せますね。)
うちの虎次郎(今18才)も診断は受けてないけど、
アスペルガー症候群じゃないかと思ってるので興味深かったです。
ASDというのはオウティスティック・スペクトラム・ディスオーダーの略?かな。
スペクトラムと言うのは多分 広汎性のような意味で、
私が理解してるのは例えば1~100の症状があったとしたら全員に100の症状が出るわけじゃなく、
その人によって出る組み合わせが全く違うので一人として全く同じ症状はない、
型にはめては考えられない、と思ってます。
テレビを見ながらちょっと書き取った部分を赤字で書いておきます。
<主な症状>
言葉が遅い
目を合わさない
甘えてこない
一人遊びが好き(他人に感心がない)
音を不安がる/雑音が一緒に聞こえてくる
<言葉が遅い>
言葉は遅かったです。3才半くらいでもまだ1、2語文って感じでした。
そして幼稚園で習って来るフォニックスが苦手で全然言葉が読めるようになりませんでした。
英語のフォニックスは日本のローマ字みたいなもの。「P」と「A」が合わさったら「パ」と読むと教えます。これが息子の脳は受け取れなかった。
私は何度も音で教えたけど駄目。
ところがある日、単語カード(絵付き)を見せて読んであげたのです。そうしたらあっという間に全部覚えてしまった。
息子にとっては「PA」なんて何の意味もないけど「paper」(紙)や「 plane」(飛行機)は文字列の順番(スペル)で覚えれば良いので楽だったのですね。
フォニックスで最初習った長女は今でもスペルで混乱しますが、最初からパズルのように文字の順番と単語を写真のように覚えた息子は飛行機のプレインの終わりに何でEがあるかなんて関係ない。なので生物学用語など変わったスペルでも全く問題ないです。
そうやって教えた単語はどんどん覚えていって6才くらいの時、子ども用百科事典を読むのが好きでした。今でも小説は嫌いです。感情のやり取りがつかめないんだと思います。だから事実が書いてあるテレビ、本が好きです。
息子の場合、大人しいシャイな面があるので自分が覚えた事を他人の前で永遠と話してるって事はないんですけどね。
<目を合わさない>
これはうちの息子に関しては感じたことはなかったです。
<甘えて来ない>
甘えて来ないと言えば、私は結構厳しい母親だったので(今は違うけど最初の子2人は結構神経質に育ててたかも)、それで長女でもあまり私に甘えられなかったかも。
それでも子どもが小さい時は可愛い可愛いって抱いたりしてたけど、虎次郎が何才だったか、小学校に入ってからかもしれないけど、ある日、添い寝してあげようとしたら嫌だって言ってきて、触られるの好きじゃないって。それが本当に嫌そうだったのでそれから止めました。
皮膚が敏感とか、味覚や、聴覚が普通の人と比べて過敏って感じなのは聞いた事があります。それで息子もそうなのかな~と。
無理強いしても駄目だし。
でも本当は可愛がられたかったんだと思うのです。だから可愛がってくれるおばあちゃんは大好きだった。私は私自身が子どもをちゃんとした人間に育てなきゃと思い過ぎてあまり可愛がってあげてなかった部分があったかも。
<一人遊びが好き>
私は当時仕事をしてたので2才くらいで幼稚園に2時間ほど預けていたのだけど、その時から迎えに行くと虎次郎だけ他の子と遊んでなくて、一人だけ違うことしてたんですよね。それで先生に気になって聞いたけど先生は普通ですよ~っとしか言いませんでした。
でも虎次郎の場合は小学校の時に友達を凄く求めてました。それなのに誰も虎次郎とは遊んでくれなくて、遊んでくれる人が居ると車で遠くでも連れて行ったりしてました。相手の子が一緒に遊んで楽しいと思わない子だったのかもしれませんね。でも友達と遊びたがって、フィリピンは近所とか子ども同士で遊ぶ習慣もあまりないし、暑いので昼間は外に出れないし、なかなか難しかったです。
<音を不安がる>
子どもの頃からそう言えばテレビの音とか敏感だったのだけど、高校に入ってから、お迎えに行く帰りに私がクラシックのラジオ番組を聞いていると息子が止めて欲しいって言った事があって、何でかと聞くと「ザーザー音がするから」って言ったのです。
確かにクラシックのラジオ番組は電波が弱くてしょっちゅうザーザー鳴ってしまうのです。でも私の脳はそのザーザーは聞かない選択をしてるみたいでした。虎次郎は全部聞こえてしまうんですね。
今日、テレビの先生が「雑音が一緒に聞こえて来る」って言ったので凄く納得です。
ただ心の準備が出来ているとちょっとうるさいのは大丈夫になりました。
ちょっとずつだけど「うるさい事もあるからね」と最初は一回ずつ心の準備させ、それから「突然うるさい事ってあるよ」みたいな感じで慣れていったのだと思います。
心の準備で思い出したのですが、誕生会などで呼ばれてゲームなどに参加して負けるとよく癇癪でテーブルの下で泣いてたりしました。でもある日ゲームに負けても癇癪にならなかったのでどうしてだろうと思っていたら長女が「ママ、私が負けても怒っちゃ駄目だよ、って言ったの」と。その時、心の準備が出来ないで突然起こる出来事に対処しきれなくて癇癪になるんだと分かって、その後、色々な事を事前に教えてあげるようになりました。
もっとも小学校の時は癇癪は結構酷くて大変でした。学校ではあまり癇癪にならず、家でなるタイプでした。
小学校の卒業式も何か練習の時に分からない事があったのか前日の卒業式ミサには参加しませんでした。式典なども順序がきちんとしてないフィリピンでは彼は混乱してしまって駄目みたいです。
そして癇癪が凄く酷くなったピークの小7の8月頃から小児精神科医に抗うつ剤を頂いてセロトニンを増やすという薬を飲んでいました。去年の11月に自分でもう飲みたくないと言うまで飲んでいたので計4年くらい飲んでいたんですね。最初の1年は毎日半量で、2年目からは月水金だけ半量。これのお陰で癇癪なく親子の会話が普通に出来るようになって本当に良かったです。
思春期の難しい時期と癇癪がかさなると親も腫れ物を触るようになってしまって、又は叱ってしまうかで、どちらにしてもネガティブな人間関係を学んでしまうのが欠点だと思います。
薬で良かったのは息子が怒らないで普通に話しが出来た事。常に怒っていると普通の会話をする方法を本人が学ぶ機会がないので大人になってからますますコミュニケーションに躓くと思うのです。
性格、個性だと思われがち
親のしつけの問題、過保護にしていると非難される
自分もちゃんとしなきゃと躾ようとして虐待の一歩手前のように厳しくしたり
叱ってしまう
私も結構何度か実家の母にはそれが個性だと思えば、って言われました。
確かに個性と言ってしまえば個性と言えなくもないかなとも思います。
ただ肯定的に見てくれる人ばかりなら個性でも良いのですが、多分多くの人が診断を付けたいと思う理由は周りに理解して欲しいと思うからじゃないからでしょうか。
周りで一番理解して欲しい人は家族(特に夫とか)や祖父母とか、ちょっと年齢がいっていたら兄弟とか。学校や友達にカミングアウトするかの問題はもっと先って感じです。特に日本は難しいかも。
多分、うちの息子にしてみれば私の方が変なのです。
私みたいなアスペルガーじゃない人は彼らにしてみればいい加減だし、コミュニケーション能力はあるかもしれないけど嘘をつくことだって(嘘も方便で)あるし、他人の気持ちも読めるし察っする事が出来るかもしれないけれど「本音と建前」を使い分けたり、利害関係の為にお世辞を言えたりするし、記憶力が低いからさっき言った事と今やってる事が違ってたりする変な存在。
私はアスペルガー症候群の人は「色盲」ならぬ「感情盲」だと思う事が多いのですが、でも実は息子などを見ていると他人の感情や表情は読み取れない事が多いのですが、自分の気持ちにはとても敏感で傷つきやすいです。
だから理解がない人の言葉で本当に深く傷ついてしまうし、うつになったりするような二次障害も出てきてしまいやすい。
本当にいい加減じゃないし、真面目なのです。
うちの主人も色々な面で一緒に暮らして「ああ、ここがアスペルガーだな」と思う部分はあっても、私はこの真面目さや何でも一生懸命やるところは何にも代え難い好きな面です。
ただ周りの理解がないと誤解されやすく、トラブルになったり、本人が辛い思いをしてしまうと思います。
それをどう解消するか、息子に関してはこれは私にとってもいつも不安なこと。
でも主人に関しては私は理由が分かったから納得して許せてる感じです。
過保護と言えば、私の場合も周りから結構私が過保護だからこうなったんだろ、と言われたものです。
義両親にも言われたけど、主人の義姉たちや、それから主人にまで言われました。小さい頃は癇癪は息子の我が侭だと思って叩いたこともあって、その頃は理由が分からないから叩くと本人も痛いから癇癪が止まるし、それで良いと思っていたらとんでもない、何の問題解決にもなってなくて、年齢が上がってきたら癇癪がエスカレートしてきました。
結局虎次郎が何で癇癪を起こすか、一定のパターンを見つけるのに凄い時間がかかりました。
子どもの頃は暑さ、寒さ、居心地の悪さなどでも癇癪になってたと思うけど、年齢が上がるに従って時間通りに計画してたのがずれたとか、そういう思ってたのと違うって言うのが多かったです。
何人もの医者に連れて行ったけど正常です、っていうのが一番多かったです。中にははっきりと「お母さんが甘やかすからつけあがった」と言う医者もいて、主人に帰りの車で責められて走ってる車から飛び出そうとした事もありましたよ~。フィリピンでは正確な診断はつけられないまま今まで来ちゃいました。
文字で見える形にしないと理解出来ない事が多い。
会話が苦手なので紙に書いてまとめてから人と話すように指導すると良い。
どうやって指示するか上司も学ぶように指導する。
人と関わる時に苦手な場面があったらそれを話してもらい、どういう言い方をするかお手本を書いてあげ、その会話を何度も疑似練習してあげる。
決まったマニュアルに従って接待などするように教えると出来る。
言葉の裏が読み取れないので言葉のまま受け取る
(勝手にしろと言われたら勝手にさせてくれて有り難うと言う)
小さな事でも確認を取って進めるようにしないと、分かっていると思ってもこちらが当然と思うことで勘違いをしている事がある
(上司もアスペルガーの部下も両方で確認)
指示は明確に具体的に与えないといけない
これは今まであまりやった事がなかったです。
テレビで具体的に例をあげてやってるところを見せてくれていました。
一つのことを飽きずにやり続ける
集中力と粘り強さがある
企業でアスペルガーを積極的に採用してるデンマークのソフトの会社が紹介されていた。その会社では、苦手な顧客の接待は他の社員がやり、アスペルガーの社員はソフトの開発の仕事のみをしていれば良いようになっている。そして黒地続き経営になっている。
得意な部分を伸ばす。
他人の気持ちが理解出来ない → 妥協しないという長所
(長所と短所は裏表)
女性のアスペルガーは文章力、外国語が得意だったりして通訳翻訳をしている人もいる。
特殊な能力を活かして採用する会社が今、日本にも出てきているが、もっともっと増えていって欲しい
私もそう思います。
人との関わりは苦手ですが、良い面も沢山持っているし、企業がそれを理解してサポートしながら使ってくれるのは本当に有り難いです。
ただ現実はそういう会社があったとしても入れるのは一握りなので、
大人になった時に苛めにあったりして仕事に支障が出たり、人生が生き辛いような事がないように少しずつでも何かした方がいいのだとは思います。
生まれつき心の目が見えないと言われる
対人関係には鈍感で見えていないが
学習によって(マニュアルを頭に入れることで)対人出来るようになる
恥じらいがないと言われたりもする
確かに、思ったことをはっきり言い過ぎて相手が傷つくことがあります。
だからこちらが「そういう事言ったら傷つくから言わない方がいいよ」と言っても「はっきり言われた方が本人の為だろう」なんて言うし、本当にそう思ってるみたい。
でもこれも主人や義父みたいに弁護士をしてたりすると躊躇なく何でも事実の通りに発言する能力は買われるわけなのです。
そして相手もあまり傷つかないし。
サポーターが必要
サポートすべき
マネージャーのように母親が何でもしてあげるべき
大学で(保護者が居なかったら)保健センターに行けとか過剰のようにサポートするのは有効
サポート一切なしで普通に出来るレベルではない
お母さんだけが相談に行くのもいい
小さい頃の様子が診断に重要(必要)
診断が下ってからは対処法がわかってイライラしなくなった(視聴者からのメッセージ)
カミングアウトした為に苛めにあった(視聴者からのメッセージ)
この医師が「過剰のようにサポートするのが有効」って言葉に私は凄く救われた気がしました。
するなと言われてもサポートしてたけど、あ~何で~と思いながらしてたし。
先日の高校のクリアランスを私が手続きしたのも、ほんと、息子には絶対に出来なかったと思う。
そもそもクリアランスの紙をぐしゃって握りつぶしてた。もうこれが限界って感じで。
コミュニケーションが苦手な息子には、クリアランスは何十人もの人に聞き回って何処にいるか分からない先生を捜すという大変な作業だった。しかも聞き回っても答えが出ない感じの作業。
こういうのが一番苦手。
もっとも私(親)がやっても大変だったけど。
このクリアランスの署名集めで私の万歩計は1日で5km歩いたって出てました。
(歩くのは息子だって出来るけどね)
でも、大学の入学手続きは他の親は同行したけど私は一緒に行かなかったから息子一人でやってましたよ~。
本当は授業料を現金で持参しなきゃいけなかったけどお金渡してなかったから翌日に息子は朝早く払いに行ってたし。
だから思うのです。
他の人より遅いけど成長してる部分もあるって。
人とのコミュニケーションはきっとずっと苦手なままかもしれないけど。
それは主人も同じ。主人は自分の親に電話連絡すら出来ないので私がいつもやってるのです。主人は仕事で役所周りなどがあると下っ端に行かせてるし。
どの部分が出来て、どの部分が出来ないか、本当は自分で把握出来れば一番いいのだけど、
自分で「これは自分は出来ないから手伝って欲しい」と言えるとか。
あ、でも今までの経験では他人は結構冷たいかな~。特に自分で出来る人は「そんなこと自分でやらせるべきでしょ」って感じで「何甘やかしてるの」って目で見て来るから。
小学校の時は教科書を全部読んであげてた。息子は読むのと書くのが苦手だったから、宿題で書く宿題が出たりすると凄く時間がかかってた。フィリピンの先生は英語の作文(国語の作文のあたる)に絵の装飾して提出とか言うけど息子は絵も苦手。それでそういう絵は私が描いてあげてた。
読むのも嫌いだから教科書や宿題の質問部分は私が読んでた。課題図書も全部読み聞かせした。
でも今18才の息子は全然それを覚えてない。全部自分の力でやったって言ってる。
忘れたのか~と思うけど、今、彼は自分の力で読んだり書いたりしていて、だから今まで自分で全部やってきた気になってる。
多分何でも自分で勉強出来るようになったのは14才くらいだったと思う、全く私の手助けを必要としないで勉強が出来るようになった。多分読むのは今でも苦手だとは思うけど、それでも落第しない程度にはちゃんと読んでるんだと思う。
まあ、高校時代の4年間のノートは全教科白紙で、今も大学ではノート取ってないけど、聞いたら全部頭に入るからいいんだって。
もっとも・・息子に関しては不安だらけ。
主人は子育てには全く協力してくれない、と言うか彼自身がASDだから無理なんだと思う。
昔は虎次郎が癇癪を起こすと主人も癇癪を起こしてたので虎次郎にかかりたいけど主人を止めるので必死だったし。私が父の脳梗塞の事で日本に帰った時も主人は虎次郎を汚い言葉でののしったらしくて耐熱皿を何枚も虎次郎は割ってしまい、しかも家出したりしていた。主人は虎次郎に優しかったことはなくて、癇癪になると殴ろうとしたり、突き飛ばしたり、大きな体でまだ小学生の息子に言葉の暴力を使ってた。そうなると息子の癇癪が何十倍にも大きくなって普段なら直ぐに治まるのに12時間以上続いて息子は何も食べない、飲まない状態になったりも。
主人が息子を放っておくようになったのはサイエンス高校に入って周りの先生から褒められるようになってから。
「こんな自慢の息子を育ててくれてありがとう~」って私に言う。主人の父もASDで同じようなことを言う。成績が優秀な子は良い子、駄目な子は駄目って。
だから義父は自分の子ども達に今でも嫌われてるけど気づかない。そして同じ事をする主人。自慢の息子~とか言っちゃって。
それでもコミュニケーションが苦手な主人は息子の学校に出向いたり交流会なども一度も参加せず。まあ、彼も意識してない発達障害だから仕方ないけど。
だから虎次郎を家に置いて日本に行くのが不安じゃなくて、主人と一緒にするのが不安。
最近は主人と旅行に行くのに息子だけ家で留守番してる事が多くてむしろホッとしてるくらい。
最近主人は虎次郎が自分とは口利かないな~んてたまに言うけど、主人は自分でも私に「俺はただの資金提供者(プロバイダー)で家族の事は関わりたくない」って言い続けてきて義姉も呆れてるくらいなのに、親子関係築いてないでしょ~。別に虎次郎は主人と口利きたくないわけじゃなくて接点が全くないだけだと思う。最近は主人もかなり押さえるようになりました。自慢の息子が得意だからもあるかもしれません。
脱線しました・・
私はフィリピンで(多分アメリカやオーストラリアも)いいと思うのは発達障害に対する人々の偏見があまりない事だと思います。
割と普通に大学でも「私は発達障害なの」って友達にカミングアウトしてる人は多いみたいです。
良かったら応援お願いします。
**************************************************************
<どうでもいい菜の花家の食卓>
主人が今出向で行ってる田舎からアボカドを大量に持ってきたけど全部熟れてない~。
私はアボカド好きなんですがこんなに大量もちょっと困ります。
一昨日の夕飯に作ったお寿司は近所の人がくれたアボカド入り~。
こんな感じです。
この胸肉は蒸気で料理したらものすご~く柔らかく仕上がってメイドさんにも食べさせてあげたら
「え~これがパサパサにいつもなっちゃう胸肉とは思えない~」とびっくり。
サラダのトッピングに使いました。
息子のお寿司は焼肉入りにしたけど、
なんか最近、息子は米を食べると具合悪くなるとこだわってて小さいチジミを作ったのですがそれだけで夕飯。
そのせいか今日、風邪ひいたみたいって。
(急いで巻いたら剥がれてきた・・)
桃ちゃんも昨日から熱なのでうつったかもしれないけど、息子は最近食事をちゃんとしないし(偏食が激しい)、夜2時、3時までまたゲームで’夜更かししてるせいです。
これは主人に昨日のお弁当で、ニンニク、玉ねぎ、トマト、海老のボロを炒めて、
水を足し、
夕飯で余った魚の身はほぐして、頭とシッポはそのまま入れ、
ちょっと湯気で魚の頭が見えにくいですが、
先にチンゲンサイの茎をいれ、
それから葉を。これで出来上がりの簡単料理。
ボロはお米と何か(海老や魚)を発酵させるフィリピンの食べ物。
酸っぱい米って感じで私は最初の数年は食べられませんでした。
今夜の夕食のサラダ。クランベリー入り~♪
夕飯のパスタ。
主人にプリン体の多く含む物を避けようと思ってタンパク質なしのパスタにしました。
尿酸を減らそうと色々考えてます。
いつも応援有り難う御座います!
(超長文なので興味がない方はスルーして下さい。でも後半にいつものお料理を載せますね。)
うちの虎次郎(今18才)も診断は受けてないけど、
アスペルガー症候群じゃないかと思ってるので興味深かったです。
ASDというのはオウティスティック・スペクトラム・ディスオーダーの略?かな。
スペクトラムと言うのは多分 広汎性のような意味で、
私が理解してるのは例えば1~100の症状があったとしたら全員に100の症状が出るわけじゃなく、
その人によって出る組み合わせが全く違うので一人として全く同じ症状はない、
型にはめては考えられない、と思ってます。
テレビを見ながらちょっと書き取った部分を赤字で書いておきます。
<主な症状>
言葉が遅い
目を合わさない
甘えてこない
一人遊びが好き(他人に感心がない)
音を不安がる/雑音が一緒に聞こえてくる
<言葉が遅い>
言葉は遅かったです。3才半くらいでもまだ1、2語文って感じでした。
そして幼稚園で習って来るフォニックスが苦手で全然言葉が読めるようになりませんでした。
英語のフォニックスは日本のローマ字みたいなもの。「P」と「A」が合わさったら「パ」と読むと教えます。これが息子の脳は受け取れなかった。
私は何度も音で教えたけど駄目。
ところがある日、単語カード(絵付き)を見せて読んであげたのです。そうしたらあっという間に全部覚えてしまった。
息子にとっては「PA」なんて何の意味もないけど「paper」(紙)や「 plane」(飛行機)は文字列の順番(スペル)で覚えれば良いので楽だったのですね。
フォニックスで最初習った長女は今でもスペルで混乱しますが、最初からパズルのように文字の順番と単語を写真のように覚えた息子は飛行機のプレインの終わりに何でEがあるかなんて関係ない。なので生物学用語など変わったスペルでも全く問題ないです。
そうやって教えた単語はどんどん覚えていって6才くらいの時、子ども用百科事典を読むのが好きでした。今でも小説は嫌いです。感情のやり取りがつかめないんだと思います。だから事実が書いてあるテレビ、本が好きです。
息子の場合、大人しいシャイな面があるので自分が覚えた事を他人の前で永遠と話してるって事はないんですけどね。
<目を合わさない>
これはうちの息子に関しては感じたことはなかったです。
<甘えて来ない>
甘えて来ないと言えば、私は結構厳しい母親だったので(今は違うけど最初の子2人は結構神経質に育ててたかも)、それで長女でもあまり私に甘えられなかったかも。
それでも子どもが小さい時は可愛い可愛いって抱いたりしてたけど、虎次郎が何才だったか、小学校に入ってからかもしれないけど、ある日、添い寝してあげようとしたら嫌だって言ってきて、触られるの好きじゃないって。それが本当に嫌そうだったのでそれから止めました。
皮膚が敏感とか、味覚や、聴覚が普通の人と比べて過敏って感じなのは聞いた事があります。それで息子もそうなのかな~と。
無理強いしても駄目だし。
でも本当は可愛がられたかったんだと思うのです。だから可愛がってくれるおばあちゃんは大好きだった。私は私自身が子どもをちゃんとした人間に育てなきゃと思い過ぎてあまり可愛がってあげてなかった部分があったかも。
<一人遊びが好き>
私は当時仕事をしてたので2才くらいで幼稚園に2時間ほど預けていたのだけど、その時から迎えに行くと虎次郎だけ他の子と遊んでなくて、一人だけ違うことしてたんですよね。それで先生に気になって聞いたけど先生は普通ですよ~っとしか言いませんでした。
でも虎次郎の場合は小学校の時に友達を凄く求めてました。それなのに誰も虎次郎とは遊んでくれなくて、遊んでくれる人が居ると車で遠くでも連れて行ったりしてました。相手の子が一緒に遊んで楽しいと思わない子だったのかもしれませんね。でも友達と遊びたがって、フィリピンは近所とか子ども同士で遊ぶ習慣もあまりないし、暑いので昼間は外に出れないし、なかなか難しかったです。
<音を不安がる>
子どもの頃からそう言えばテレビの音とか敏感だったのだけど、高校に入ってから、お迎えに行く帰りに私がクラシックのラジオ番組を聞いていると息子が止めて欲しいって言った事があって、何でかと聞くと「ザーザー音がするから」って言ったのです。
確かにクラシックのラジオ番組は電波が弱くてしょっちゅうザーザー鳴ってしまうのです。でも私の脳はそのザーザーは聞かない選択をしてるみたいでした。虎次郎は全部聞こえてしまうんですね。
今日、テレビの先生が「雑音が一緒に聞こえて来る」って言ったので凄く納得です。
ただ心の準備が出来ているとちょっとうるさいのは大丈夫になりました。
ちょっとずつだけど「うるさい事もあるからね」と最初は一回ずつ心の準備させ、それから「突然うるさい事ってあるよ」みたいな感じで慣れていったのだと思います。
心の準備で思い出したのですが、誕生会などで呼ばれてゲームなどに参加して負けるとよく癇癪でテーブルの下で泣いてたりしました。でもある日ゲームに負けても癇癪にならなかったのでどうしてだろうと思っていたら長女が「ママ、私が負けても怒っちゃ駄目だよ、って言ったの」と。その時、心の準備が出来ないで突然起こる出来事に対処しきれなくて癇癪になるんだと分かって、その後、色々な事を事前に教えてあげるようになりました。
もっとも小学校の時は癇癪は結構酷くて大変でした。学校ではあまり癇癪にならず、家でなるタイプでした。
小学校の卒業式も何か練習の時に分からない事があったのか前日の卒業式ミサには参加しませんでした。式典なども順序がきちんとしてないフィリピンでは彼は混乱してしまって駄目みたいです。
そして癇癪が凄く酷くなったピークの小7の8月頃から小児精神科医に抗うつ剤を頂いてセロトニンを増やすという薬を飲んでいました。去年の11月に自分でもう飲みたくないと言うまで飲んでいたので計4年くらい飲んでいたんですね。最初の1年は毎日半量で、2年目からは月水金だけ半量。これのお陰で癇癪なく親子の会話が普通に出来るようになって本当に良かったです。
思春期の難しい時期と癇癪がかさなると親も腫れ物を触るようになってしまって、又は叱ってしまうかで、どちらにしてもネガティブな人間関係を学んでしまうのが欠点だと思います。
薬で良かったのは息子が怒らないで普通に話しが出来た事。常に怒っていると普通の会話をする方法を本人が学ぶ機会がないので大人になってからますますコミュニケーションに躓くと思うのです。
性格、個性だと思われがち
親のしつけの問題、過保護にしていると非難される
自分もちゃんとしなきゃと躾ようとして虐待の一歩手前のように厳しくしたり
叱ってしまう
私も結構何度か実家の母にはそれが個性だと思えば、って言われました。
確かに個性と言ってしまえば個性と言えなくもないかなとも思います。
ただ肯定的に見てくれる人ばかりなら個性でも良いのですが、多分多くの人が診断を付けたいと思う理由は周りに理解して欲しいと思うからじゃないからでしょうか。
周りで一番理解して欲しい人は家族(特に夫とか)や祖父母とか、ちょっと年齢がいっていたら兄弟とか。学校や友達にカミングアウトするかの問題はもっと先って感じです。特に日本は難しいかも。
多分、うちの息子にしてみれば私の方が変なのです。
私みたいなアスペルガーじゃない人は彼らにしてみればいい加減だし、コミュニケーション能力はあるかもしれないけど嘘をつくことだって(嘘も方便で)あるし、他人の気持ちも読めるし察っする事が出来るかもしれないけれど「本音と建前」を使い分けたり、利害関係の為にお世辞を言えたりするし、記憶力が低いからさっき言った事と今やってる事が違ってたりする変な存在。
私はアスペルガー症候群の人は「色盲」ならぬ「感情盲」だと思う事が多いのですが、でも実は息子などを見ていると他人の感情や表情は読み取れない事が多いのですが、自分の気持ちにはとても敏感で傷つきやすいです。
だから理解がない人の言葉で本当に深く傷ついてしまうし、うつになったりするような二次障害も出てきてしまいやすい。
本当にいい加減じゃないし、真面目なのです。
うちの主人も色々な面で一緒に暮らして「ああ、ここがアスペルガーだな」と思う部分はあっても、私はこの真面目さや何でも一生懸命やるところは何にも代え難い好きな面です。
ただ周りの理解がないと誤解されやすく、トラブルになったり、本人が辛い思いをしてしまうと思います。
それをどう解消するか、息子に関してはこれは私にとってもいつも不安なこと。
でも主人に関しては私は理由が分かったから納得して許せてる感じです。
過保護と言えば、私の場合も周りから結構私が過保護だからこうなったんだろ、と言われたものです。
義両親にも言われたけど、主人の義姉たちや、それから主人にまで言われました。小さい頃は癇癪は息子の我が侭だと思って叩いたこともあって、その頃は理由が分からないから叩くと本人も痛いから癇癪が止まるし、それで良いと思っていたらとんでもない、何の問題解決にもなってなくて、年齢が上がってきたら癇癪がエスカレートしてきました。
結局虎次郎が何で癇癪を起こすか、一定のパターンを見つけるのに凄い時間がかかりました。
子どもの頃は暑さ、寒さ、居心地の悪さなどでも癇癪になってたと思うけど、年齢が上がるに従って時間通りに計画してたのがずれたとか、そういう思ってたのと違うって言うのが多かったです。
何人もの医者に連れて行ったけど正常です、っていうのが一番多かったです。中にははっきりと「お母さんが甘やかすからつけあがった」と言う医者もいて、主人に帰りの車で責められて走ってる車から飛び出そうとした事もありましたよ~。フィリピンでは正確な診断はつけられないまま今まで来ちゃいました。
文字で見える形にしないと理解出来ない事が多い。
会話が苦手なので紙に書いてまとめてから人と話すように指導すると良い。
どうやって指示するか上司も学ぶように指導する。
人と関わる時に苦手な場面があったらそれを話してもらい、どういう言い方をするかお手本を書いてあげ、その会話を何度も疑似練習してあげる。
決まったマニュアルに従って接待などするように教えると出来る。
言葉の裏が読み取れないので言葉のまま受け取る
(勝手にしろと言われたら勝手にさせてくれて有り難うと言う)
小さな事でも確認を取って進めるようにしないと、分かっていると思ってもこちらが当然と思うことで勘違いをしている事がある
(上司もアスペルガーの部下も両方で確認)
指示は明確に具体的に与えないといけない
これは今まであまりやった事がなかったです。
テレビで具体的に例をあげてやってるところを見せてくれていました。
一つのことを飽きずにやり続ける
集中力と粘り強さがある
企業でアスペルガーを積極的に採用してるデンマークのソフトの会社が紹介されていた。その会社では、苦手な顧客の接待は他の社員がやり、アスペルガーの社員はソフトの開発の仕事のみをしていれば良いようになっている。そして黒地続き経営になっている。
得意な部分を伸ばす。
他人の気持ちが理解出来ない → 妥協しないという長所
(長所と短所は裏表)
女性のアスペルガーは文章力、外国語が得意だったりして通訳翻訳をしている人もいる。
特殊な能力を活かして採用する会社が今、日本にも出てきているが、もっともっと増えていって欲しい
私もそう思います。
人との関わりは苦手ですが、良い面も沢山持っているし、企業がそれを理解してサポートしながら使ってくれるのは本当に有り難いです。
ただ現実はそういう会社があったとしても入れるのは一握りなので、
大人になった時に苛めにあったりして仕事に支障が出たり、人生が生き辛いような事がないように少しずつでも何かした方がいいのだとは思います。
生まれつき心の目が見えないと言われる
対人関係には鈍感で見えていないが
学習によって(マニュアルを頭に入れることで)対人出来るようになる
恥じらいがないと言われたりもする
確かに、思ったことをはっきり言い過ぎて相手が傷つくことがあります。
だからこちらが「そういう事言ったら傷つくから言わない方がいいよ」と言っても「はっきり言われた方が本人の為だろう」なんて言うし、本当にそう思ってるみたい。
でもこれも主人や義父みたいに弁護士をしてたりすると躊躇なく何でも事実の通りに発言する能力は買われるわけなのです。
そして相手もあまり傷つかないし。
サポーターが必要
サポートすべき
マネージャーのように母親が何でもしてあげるべき
大学で(保護者が居なかったら)保健センターに行けとか過剰のようにサポートするのは有効
サポート一切なしで普通に出来るレベルではない
お母さんだけが相談に行くのもいい
小さい頃の様子が診断に重要(必要)
診断が下ってからは対処法がわかってイライラしなくなった(視聴者からのメッセージ)
カミングアウトした為に苛めにあった(視聴者からのメッセージ)
この医師が「過剰のようにサポートするのが有効」って言葉に私は凄く救われた気がしました。
するなと言われてもサポートしてたけど、あ~何で~と思いながらしてたし。
先日の高校のクリアランスを私が手続きしたのも、ほんと、息子には絶対に出来なかったと思う。
そもそもクリアランスの紙をぐしゃって握りつぶしてた。もうこれが限界って感じで。
コミュニケーションが苦手な息子には、クリアランスは何十人もの人に聞き回って何処にいるか分からない先生を捜すという大変な作業だった。しかも聞き回っても答えが出ない感じの作業。
こういうのが一番苦手。
もっとも私(親)がやっても大変だったけど。
このクリアランスの署名集めで私の万歩計は1日で5km歩いたって出てました。
(歩くのは息子だって出来るけどね)
でも、大学の入学手続きは他の親は同行したけど私は一緒に行かなかったから息子一人でやってましたよ~。
本当は授業料を現金で持参しなきゃいけなかったけどお金渡してなかったから翌日に息子は朝早く払いに行ってたし。
だから思うのです。
他の人より遅いけど成長してる部分もあるって。
人とのコミュニケーションはきっとずっと苦手なままかもしれないけど。
それは主人も同じ。主人は自分の親に電話連絡すら出来ないので私がいつもやってるのです。主人は仕事で役所周りなどがあると下っ端に行かせてるし。
どの部分が出来て、どの部分が出来ないか、本当は自分で把握出来れば一番いいのだけど、
自分で「これは自分は出来ないから手伝って欲しい」と言えるとか。
あ、でも今までの経験では他人は結構冷たいかな~。特に自分で出来る人は「そんなこと自分でやらせるべきでしょ」って感じで「何甘やかしてるの」って目で見て来るから。
小学校の時は教科書を全部読んであげてた。息子は読むのと書くのが苦手だったから、宿題で書く宿題が出たりすると凄く時間がかかってた。フィリピンの先生は英語の作文(国語の作文のあたる)に絵の装飾して提出とか言うけど息子は絵も苦手。それでそういう絵は私が描いてあげてた。
読むのも嫌いだから教科書や宿題の質問部分は私が読んでた。課題図書も全部読み聞かせした。
でも今18才の息子は全然それを覚えてない。全部自分の力でやったって言ってる。
忘れたのか~と思うけど、今、彼は自分の力で読んだり書いたりしていて、だから今まで自分で全部やってきた気になってる。
多分何でも自分で勉強出来るようになったのは14才くらいだったと思う、全く私の手助けを必要としないで勉強が出来るようになった。多分読むのは今でも苦手だとは思うけど、それでも落第しない程度にはちゃんと読んでるんだと思う。
まあ、高校時代の4年間のノートは全教科白紙で、今も大学ではノート取ってないけど、聞いたら全部頭に入るからいいんだって。
もっとも・・息子に関しては不安だらけ。
主人は子育てには全く協力してくれない、と言うか彼自身がASDだから無理なんだと思う。
昔は虎次郎が癇癪を起こすと主人も癇癪を起こしてたので虎次郎にかかりたいけど主人を止めるので必死だったし。私が父の脳梗塞の事で日本に帰った時も主人は虎次郎を汚い言葉でののしったらしくて耐熱皿を何枚も虎次郎は割ってしまい、しかも家出したりしていた。主人は虎次郎に優しかったことはなくて、癇癪になると殴ろうとしたり、突き飛ばしたり、大きな体でまだ小学生の息子に言葉の暴力を使ってた。そうなると息子の癇癪が何十倍にも大きくなって普段なら直ぐに治まるのに12時間以上続いて息子は何も食べない、飲まない状態になったりも。
主人が息子を放っておくようになったのはサイエンス高校に入って周りの先生から褒められるようになってから。
「こんな自慢の息子を育ててくれてありがとう~」って私に言う。主人の父もASDで同じようなことを言う。成績が優秀な子は良い子、駄目な子は駄目って。
だから義父は自分の子ども達に今でも嫌われてるけど気づかない。そして同じ事をする主人。自慢の息子~とか言っちゃって。
それでもコミュニケーションが苦手な主人は息子の学校に出向いたり交流会なども一度も参加せず。まあ、彼も意識してない発達障害だから仕方ないけど。
だから虎次郎を家に置いて日本に行くのが不安じゃなくて、主人と一緒にするのが不安。
最近は主人と旅行に行くのに息子だけ家で留守番してる事が多くてむしろホッとしてるくらい。
最近主人は虎次郎が自分とは口利かないな~んてたまに言うけど、主人は自分でも私に「俺はただの資金提供者(プロバイダー)で家族の事は関わりたくない」って言い続けてきて義姉も呆れてるくらいなのに、親子関係築いてないでしょ~。別に虎次郎は主人と口利きたくないわけじゃなくて接点が全くないだけだと思う。最近は主人もかなり押さえるようになりました。自慢の息子が得意だからもあるかもしれません。
脱線しました・・
私はフィリピンで(多分アメリカやオーストラリアも)いいと思うのは発達障害に対する人々の偏見があまりない事だと思います。
割と普通に大学でも「私は発達障害なの」って友達にカミングアウトしてる人は多いみたいです。
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<どうでもいい菜の花家の食卓>
主人が今出向で行ってる田舎からアボカドを大量に持ってきたけど全部熟れてない~。
私はアボカド好きなんですがこんなに大量もちょっと困ります。
一昨日の夕飯に作ったお寿司は近所の人がくれたアボカド入り~。
こんな感じです。
この胸肉は蒸気で料理したらものすご~く柔らかく仕上がってメイドさんにも食べさせてあげたら
「え~これがパサパサにいつもなっちゃう胸肉とは思えない~」とびっくり。
サラダのトッピングに使いました。
息子のお寿司は焼肉入りにしたけど、
なんか最近、息子は米を食べると具合悪くなるとこだわってて小さいチジミを作ったのですがそれだけで夕飯。
そのせいか今日、風邪ひいたみたいって。
(急いで巻いたら剥がれてきた・・)
桃ちゃんも昨日から熱なのでうつったかもしれないけど、息子は最近食事をちゃんとしないし(偏食が激しい)、夜2時、3時までまたゲームで’夜更かししてるせいです。
これは主人に昨日のお弁当で、ニンニク、玉ねぎ、トマト、海老のボロを炒めて、
水を足し、
夕飯で余った魚の身はほぐして、頭とシッポはそのまま入れ、
ちょっと湯気で魚の頭が見えにくいですが、
先にチンゲンサイの茎をいれ、
それから葉を。これで出来上がりの簡単料理。
ボロはお米と何か(海老や魚)を発酵させるフィリピンの食べ物。
酸っぱい米って感じで私は最初の数年は食べられませんでした。
今夜の夕食のサラダ。クランベリー入り~♪
夕飯のパスタ。
主人にプリン体の多く含む物を避けようと思ってタンパク質なしのパスタにしました。
尿酸を減らそうと色々考えてます。
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