午後1時半から友人の葬儀ミサがあって主人と行って来ました。
日本と違って黒を着ていかなくてはいけないという事はないみたいで
Tシャツで来てる人もいれば、ちょっとおしゃれな訪問着(金色のワンピースも見ました)の人や、
主人なんかは黒だと悲し過ぎるから「白」がいいって。
なので主人も私も白で、
ズボンは私は黒のGパンで行きました。
献金の時に聖歌隊が歌っていた歌のビデオです。
(主人は最初から最後まで泣きっぱなしでした)
お通夜の前に火葬になっていたので
ミサの後、教会の下にある納骨堂に納骨するのですが、
その前にお通夜してた部屋に戻って家族がお別れのスピーチしてくれました。
亡くなった彼は7人兄弟だったので6人の方が思い出などを語られました。
それを聞いていて思ったんですが・・
彼、発達障害だったんだな~と。
(夕方、なんちゃって日本レストランに行ったらこんなに沢山唐揚げが積んでありました)
兄弟のスピーチから思っただけなんですが、
先ず、言葉が非常に遅くてなかなか話し始めなかった。
話し始めても直ぐにペラペラ話すのではなくて1語文、2語文、とゆっくり。(3、4才)
幼稚園に行って文字を習っても覚えない、書くのも嫌い、読むのも嫌いだった。(5才)
小学校は小さい規模のモンテッソーリに行ったせいもあるが教室にじっとしている事が出来なかった。
何日も外に放置されてある木材で秘密基地を建てて授業に参加してない事もあった。
同じ場所にじっとしていられない、常に動き回っていたい。
中学、高校は伝統的な学校に移ったのですがそこでも教室でじっとしていられない、癇癪があるなどで何度も何度も処罰を受けて納屋に閉じ込められたり、停学になったりした。
学者のような話し方、書き方をする。
大学では文才を発揮して教会についての卒論で最高得点を貰う。
(フィリピン人の宴会があるとかであの唐揚げでせっせとお皿を作ってます)
発達障害が未診断だとこういう所で本人が可哀想なんですよね。
何も考慮してもらえないから。
出来ない事をしろと要求され、本人も出来ないのに無理しようとする。
そして落ち込んだり自分は駄目だとネガティブな自己イメージを持ったりもする。
(どんなお皿か見てみると・・やっぱりです。フィリピン人野菜嫌いですし、骨付きフライドチキン大好きですから。)
実は彼の両親は昔、広告代理店を経営していたのですが、
外国の広告代理店に会社を売ってリタイアしてしまいました。
親は会社を売ったお金で悠々自適のリタイア生活、
子ども達には資本を少し分けて自分で商売しろ、と最初だけ援助。
(アイスエイジの映画を見ていた主人と桃ちゃんを迎えに行くとロボットのコスプレでお小遣い稼ぎしてる人発見)
それで発達障害だった彼は人との関わりがあまり得意ではなかったようで、
研究者などなら良かったのでしょうけど
商売はあまり上手くいってなかったようです。
(同じ日にお葬式だったコメディアンのドルフィー。彼が亡くなってどれだけ多くのお妾さんと子ども、孫が居たかテレビで公表。)
奥様があんな状態で話し相手もいず、
彼はじっとしていられない性格からオートバイ仲間とフィリピンの田舎を旅して歩いたり、
野鳥の会や、自然の会、など
次々と色々な会を創設して自分が会長になっていったそう。
こだわり、とも言える様な、まるで何かを収集するように色々な会の創設・・。
奥様が生きておられたら
彼女がある程度歯止めになったかもしれませんね。
(レストランに犬を連れて来てる人、本当に多いです。大人しい犬ばかりでびっくり。)
うちの主人は仕事から帰って来たら何もせずにテレビ見てリラックスし、
食事も作らず、メイドさんの命令も全部私がやっているけれど
亡くなった彼はそういう人を動かす仕事が苦手なのに
帰宅してもリラックス出来ず、
子どもの世話も、脳障害の奥様の世話を一人でやってきたんですね。
一人でやるべきって思っていたのかもしれません。
***************************************************
<どうでもいい菜の花家の食卓>
と言うことで今日はちゃんと夕飯作ってないのですが、
主人のお弁当用にきゅうりの梅干し種漬けを作りました。
作ったってほどのものではないですが。
韓国のスーパーで買った乾燥した葉、
水で戻してから茹でこぼしてみたけど、
固くて固くて、どうやって料理したらいいのかさっぱり分かりません。
切り干し大根に食感は似てます。
ネットでちょっと調べたくらいじゃ出て来ませんでした。
ま、ゆっくり検索します。
いつも応援有り難うございます!
日本と違って黒を着ていかなくてはいけないという事はないみたいで
Tシャツで来てる人もいれば、ちょっとおしゃれな訪問着(金色のワンピースも見ました)の人や、
主人なんかは黒だと悲し過ぎるから「白」がいいって。
なので主人も私も白で、
ズボンは私は黒のGパンで行きました。
献金の時に聖歌隊が歌っていた歌のビデオです。
(主人は最初から最後まで泣きっぱなしでした)
お通夜の前に火葬になっていたので
ミサの後、教会の下にある納骨堂に納骨するのですが、
その前にお通夜してた部屋に戻って家族がお別れのスピーチしてくれました。
亡くなった彼は7人兄弟だったので6人の方が思い出などを語られました。
それを聞いていて思ったんですが・・
彼、発達障害だったんだな~と。
(夕方、なんちゃって日本レストランに行ったらこんなに沢山唐揚げが積んでありました)
兄弟のスピーチから思っただけなんですが、
先ず、言葉が非常に遅くてなかなか話し始めなかった。
話し始めても直ぐにペラペラ話すのではなくて1語文、2語文、とゆっくり。(3、4才)
幼稚園に行って文字を習っても覚えない、書くのも嫌い、読むのも嫌いだった。(5才)
小学校は小さい規模のモンテッソーリに行ったせいもあるが教室にじっとしている事が出来なかった。
何日も外に放置されてある木材で秘密基地を建てて授業に参加してない事もあった。
同じ場所にじっとしていられない、常に動き回っていたい。
中学、高校は伝統的な学校に移ったのですがそこでも教室でじっとしていられない、癇癪があるなどで何度も何度も処罰を受けて納屋に閉じ込められたり、停学になったりした。
学者のような話し方、書き方をする。
大学では文才を発揮して教会についての卒論で最高得点を貰う。
(フィリピン人の宴会があるとかであの唐揚げでせっせとお皿を作ってます)
発達障害が未診断だとこういう所で本人が可哀想なんですよね。
何も考慮してもらえないから。
出来ない事をしろと要求され、本人も出来ないのに無理しようとする。
そして落ち込んだり自分は駄目だとネガティブな自己イメージを持ったりもする。
(どんなお皿か見てみると・・やっぱりです。フィリピン人野菜嫌いですし、骨付きフライドチキン大好きですから。)
実は彼の両親は昔、広告代理店を経営していたのですが、
外国の広告代理店に会社を売ってリタイアしてしまいました。
親は会社を売ったお金で悠々自適のリタイア生活、
子ども達には資本を少し分けて自分で商売しろ、と最初だけ援助。
(アイスエイジの映画を見ていた主人と桃ちゃんを迎えに行くとロボットのコスプレでお小遣い稼ぎしてる人発見)
それで発達障害だった彼は人との関わりがあまり得意ではなかったようで、
研究者などなら良かったのでしょうけど
商売はあまり上手くいってなかったようです。
(同じ日にお葬式だったコメディアンのドルフィー。彼が亡くなってどれだけ多くのお妾さんと子ども、孫が居たかテレビで公表。)
奥様があんな状態で話し相手もいず、
彼はじっとしていられない性格からオートバイ仲間とフィリピンの田舎を旅して歩いたり、
野鳥の会や、自然の会、など
次々と色々な会を創設して自分が会長になっていったそう。
こだわり、とも言える様な、まるで何かを収集するように色々な会の創設・・。
奥様が生きておられたら
彼女がある程度歯止めになったかもしれませんね。
(レストランに犬を連れて来てる人、本当に多いです。大人しい犬ばかりでびっくり。)
うちの主人は仕事から帰って来たら何もせずにテレビ見てリラックスし、
食事も作らず、メイドさんの命令も全部私がやっているけれど
亡くなった彼はそういう人を動かす仕事が苦手なのに
帰宅してもリラックス出来ず、
子どもの世話も、脳障害の奥様の世話を一人でやってきたんですね。
一人でやるべきって思っていたのかもしれません。
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<どうでもいい菜の花家の食卓>
と言うことで今日はちゃんと夕飯作ってないのですが、
主人のお弁当用にきゅうりの梅干し種漬けを作りました。
作ったってほどのものではないですが。
韓国のスーパーで買った乾燥した葉、
水で戻してから茹でこぼしてみたけど、
固くて固くて、どうやって料理したらいいのかさっぱり分かりません。
切り干し大根に食感は似てます。
ネットでちょっと調べたくらいじゃ出て来ませんでした。
ま、ゆっくり検索します。
いつも応援有り難うございます!