フィリピン国際結婚・菜の花の主婦日記goo版

南国フィリピン便りー結婚しフィリピン在23年。22才長女、20才息子、9才末娘のお母さんである私の毎日ー

友人の死

2012年07月13日 03時07分35秒 | フィリピン人夫とその関係
突然届いた友人の死の知らせ。
主人の大学時代からの友人でした。
そして今日はお通夜に行って来ました。




写真はフェイスブックから拝借しました。

彼の奥様は結婚前は国立バレエ団で踊っていたバレリーナだったのですが
結婚して10ヶ月後、長女を出産して直ぐに出血多量で一旦は心肺停止になり、
蘇生したのですが脳にダメージを受けてしまいました。
彼女は話す事も立つ事も出来なくなり、
両手、両足痙攣が起きてしまうし、
自分から排泄したいとわかる事もなくなりオムツ生活となりました。

男手一人で奥さんの介護をしながら
娘さんを育てるのはきっと凄く大変だったのでしょうね。
その娘さんも今、中学4年生なので15才か16才くらいかしら。

お通夜のミサで彼と親しかった司祭が

「亡くなった夜、彼の兄弟と集まって
”彼はどんなに重い物を抱え、苦しんでいたのだろう”
と思いを巡らせました。今となっては神に元で平安を得ているだろう。」

と言っていました。

彼がまだ44才か45才の若さで亡くなったので
最初に悲しい知らせを聞いた私たちは「一体何があったの?」と聞き合いましたが
家族は死因を公表されませんでした。
しかもフィリピンでは珍しい、お葬式の前に火葬にされてあり
お通夜なのにちゃんとお別れ出来ない感じだったのです。

何があったのか、司祭の言葉から想像するだけです。
でも詮索することは正しい事ではないですね。

主人なんて先月、亡くなった彼から糖尿病になったと聞いたそうで、
誰かに携帯メールで「一体どうして亡くなったの?」と聞かれると
「糖尿病で」って返事してました~。
ま、それでも良いかもしれませんね。
じゃないと皆、詮索し続けますし。

彼のお兄さんは公にではなくぼそっと「神経衰弱」と言ってましたが
うつだったみたいです。

彼は伝統的な保守的な家に育ち、
親から抱きしめられたりなどあまり経験しないで育ったらしいのですが
彼の奥様は通りでも手を繋いだりする方で、人前で手をつなぐなんて恥ずかしいと最初は思ったそうなんですが、そんな奥様を少しずつ受け入れて自分も変わり始めていたのに、たった10ヶ月で出産の事故。

最初は皆、友達も集まってあげたりしてましたが、
それぞれ皆、結婚したり、海外に移住したりして、親しい友人とはなかなか会えない状況。
オートバイや自転車で一緒に走る仲間もいたようですが
もしかしたら糖尿病がわかって運動も思うままに出来なかったのかもしれません。

奥様は生きておられても話し相手にならないし
彼の世話をしてくれる事もないですから
糖尿病でも彼の健康を気づかって食事に注意したりなんて誰もしないでしょうし。

不真面目な方ならきっと彼女でも作ったと思いますが
(フィリピンのお金持ちで奥様がおられても恋人がいるなんてよく聞きますし)
彼はとても真面目だったのでそんな事はなかったようで、
まだ生きておられる年取ったお母様と同居して世話もしていました。

ご冥福をお祈り申し上げたいです。



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<どうでもいい菜の花家の食卓>




メイドさんが作った豚の足のアドボ










私が作った紫キャベツのコールスローサラダ。












明日は主人は久々に養鶏場のある田舎に行くのでまた4人分の食事をお届けするんですが、
タンパク質は比較的プリン体が多いので
今回はキノアと野菜(パセリ、きゅうり、トマト、にんにく、玉ねぎ、バジル)+ハムの千切り。
マヨネーズ和えにしてみました。





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